[記憶屋書店]〜人の過去を知る責任〜[十一話]
人の過去を知ってしまう。
そんな責任に押しつぶされそうなお客様。
そして、店長を名前で呼ぶ不思議な女性が書店を訪れる。
あなたのことなんて知らなきゃ良かった。
[知らぬ間に私を見守る椿の花が一輪丸ごと落ちていた]
2月20日5時
-桜自室-
バイトが終わり、帰宅する。
ピコン。
スマホにメッセージが届く。
すみれさんだ。
私の就寝前、すみれさんの起床時間。
その時間が重なる少しの間、
私たちはメッセージを送り合っている。
「おはよう、今日のバイトはどうでしたか?」
まだ敬語が抜けない彼女を、少し可愛く感じてしまう。
「今日はお客様一人だけ。こっちはいつも通りです」
彼女とのメッセージは基本的に近況報告ばかりだ。
昨日はバイトを辞めました。
今日の書店は、静かでした。
今日は一限に行けそうです。
今日は店長とこんな話をしました。
すみれさんへメッセージを送る。
今日起こったことを文字にしようとすると、
その日の小さな出来事ですら、以前よりはっきりするようになった。
「桜さんがよければ今度お会いしませんか?」
すみれさんのアパートは私の家から電車で一時間半ほど。
会おうと思えば会える、そんな距離だ。
「ぜひ!予定合わせましょう!」
あの日の夜は、お互いにとって嵐のような出来事だった。
落ち着いてまた話してみたいな。
以前までの私なら無理に人と関わろうとも思えなかったのに、あの書店で働いてから私は少し変わったのだろう。
それにすみれさんから積極的に話してくれるのも一つの要因かもしれない。
予定を作ることに無縁だった私に、久しぶりの楽しみができた。
「ありがとう、それじゃあおやすみなさい」
「ありがとう、大学行ってらっしゃい」
年頃の女性二人とは思えない味気ないメッセージ。
だが、どこか温かく感じた。
2月21日23時
-書店-
ちゃりん。ちゃりん。
「すみません」
来客だ。
「いらっしゃいませ」
私が入り口に向かうとそこには二人、女性のお客様がいた。
一人は二十代ほど。
もう一人は四十代ほどだろうか?
親子にも見えるが、母親だとしたらずいぶん若く見える。
若い方のお客様が話し始める。
「記憶を引き取ってくれるという看板を見たのですが」
「はい。立ち話もなんですからこちらへ」
いつも通り客間へご案内する。
「すみません、お手数をおかけします」
四十代ほどのお客様は俯いたままつぶやいた。
「では、どちらの方の記憶を引き取りますか?」
先ほどの若い方のお客様が、母親の代わりに口を開いた。
「母の記憶を一部だけ引き取ってもらうことは可能でしょうか」
-柳友美の過去-
私の母はシングルマザーだ。
父はとにかくだらしない人物だったそうで、母が十八の時に妊娠。
一年後、父の浮気をきっかけに離婚したという。
母は十九歳から、女手一つで私を育ててくれた。
そんな母からは
「ともちゃんはお父さんみたいな人に引っかからないでね」
「浮気するような男はクズなんだから」
「お父さんみたいな人を選んじゃダメよ!」
と、父を悪く言う言葉をたくさん聞いた。
父の話を聞いた時、
いつか誕生日プレゼントが突然届いたり……。
なんて妄想もしたものだ。
しかし父からはプレゼントも何も、養育費ですら届かなかった。
夜遅くまでボロボロになって働く母を見て、私も父に怒りを覚えていた。
ついこの間だ、突然見覚えのない封書が届いた。
しかも、弁護士事務所からだ。
封書を開けてみると、そこには父が亡くなったということが記されていた。
その封書は父が生前依頼していた弁護士からだった。
相続人になっているため、相続について話がしたいとのこと。
そして父から預かっているものがあるという。
私は父がどんな人だったか全く知らない。
弁護士の電話番号をぼーっと眺める。
「私のお父さん……」
父という存在に憧れていたわけではない。
母はこの年まで私を何不自由なく育ててくれた。
しかし、母を傷つけた父を知ろうとすることはきっと母への裏切りになってしまう。
と思っていたが、母に黙っていれば大丈夫。
そんな軽い気持ちで弁護士に連絡をした。
とあるカフェで弁護士の方と待ち合わせた。
「すみません。柳と申します」
「わざわざ来ていただき、ありがとうございます」
父が住んでいた遠方の町から、こちらまで来てもらったのに。
わざわざというなら、私の方だ。
「渡したいものって?」
「こちらが正式な遺言書になります。相続についての内容が書かれています。そして、こちらがお父様から直接預かっていた手紙です」
弁護士が封筒を差し出す。
「お父様は、自分が長くないとわかった時にこの手紙を残しましてね。封筒にも入れず、直接渡してきたんです」
手紙は一枚だけ、一瞬なにも書いていないように見えた。
「封筒にも入れずに渡されたものですから、私も中身を見てしまいまして。宛名もありませんので、どなたに宛てたものかは分かりません。ただ、あなたにお渡しするのが一番いいだろうと思いました」
手紙には一言『すまなかった』それだけだった。
母に向けてか、私に向けてか。
それすらも書いていないぶっきらぼうな手紙だった。
私がその手紙を見て固まっていると弁護士の方が声をかけてきた。
「お父様は、長年の無理がたたって病気になってしまったらしくて、病院にも行かずに亡くなってしまいました」
「私が依頼を受けてから一か月も経ちませんでした」
「お父様の遺産について説明します」
父の遺産は莫大だった。
家を買ってもお釣りが来るほどの大金だった。
弁護士の話では、父本人は古いアパートに住んでいたという。
父は私と母のことなどどうでもいいのだと、母から聞いた話で思っていた。
しかし、目の前にはこれほどの大金がある。
それなのに、もっと何か伝えたかったであろう最後の手紙には、たった一言だけ。
私は父という人間がますますわからなくなった。
少額なら、お小遣いにしようと思っていたが
これほどの大金なら、母に相談しないわけにはいかない。
その考えが、間違いだったのかもしれない。
それから母に父のことを聞いてみた。
母は私に嘘をついていた。
父は私たちに、無関心ではなかったのだ。
父は離婚してからも、私や母の誕生日にはお金を送ってくれていた。
最初は少額だがすぐ大きな額に変わった。
母は、あの不真面目な父のことだ。悪いことをして稼いだ金に違いないと思ったらしい。
そして父に直接、「もう私たちに関わらないでほしい」と伝えたという。
そこから先は、私が知っている父の姿と同じだった。
何も送ってこない。会いにも来ない。
実際には、何も送らず、関わらないことを選んだのかもしれない。
しかし父は違った。
これほどまでの大金を残してくれた。
そのことを知ってからというもの、
母は塞ぎ込んでしまった。
そんな母から連絡が来た。
不思議な書店を見つけた。
一人だと怖いから一緒に来てほしいとのことだった。
-書店-
「では、消したいのは元旦那様の記憶ですか?」
俯いたままお母様は答えた。
「はい、ただこの遺産と手紙についてだけ忘れたいのです」
「それはなぜですか?」
「私は、あの人への怒りがあったからここまで頑張れたんです」
「でも、この話を聞いた今でも、あの人への怒りは消えていません」
「ただ、このことを知ってから、どこか力が入らなくて……何かが抜け落ちてしまったような。生きる気力が湧かないんです」
「あの人のことなんて知らなきゃ良かった。あの人の過去なんて知らなきゃ良かったって思ってしまって」
人の過去なんて知らなきゃ良かった……か。
「わかりました」
隣を見ると娘さんは、何か言いたげに母親を見つめていた。
「娘さんは、何か伝えたいことはありますか?」
少しだけ間が空いた。
「お母さん、お父さんの手紙のこと忘れる前に教えてくれる?」
「え?」
「私お父さんのことなんにも知らない、知らなくても寂しくないと思ってたけど……。この手紙を見てやっぱりお父さんのこと知りたいの」
真剣な眼差しで母を見る。
「……わがままを言ってごめんなさい」
「でも、『今のお母さん』からお父さんのことを知りたいの」
「わかったよ、ともちゃん今までわがまま言ったことないもんね」
その声は、少し震えていた。
母親がにこりと笑う。
「店員さん、少し二人きりにしてもらっていいですか?」
「構いません。ゆっくりしていってください」
私はそう言い残し客間を後にする。
「ともちゃん、お父さんはね……」
その後、母親は記憶を売った。
2月22日3時
-書店-
閉店時間だ。
店長が話しかけてくる。
「今夜のお客様も、難しい選択をされましたね」
「……はい」
「桜さん!そういえば……」
と言ったところで入口の鈴が鳴る。
ちゃりん、ちゃりん。
おかしい、閉店時間を過ぎている。
この時間に店に辿り着くお客様はいない。
「綴君、いるかい?」
女性の声だった。
「……あれ?店長!?」
隣の店長が素っ頓狂な声をあげた。
?
あれ?
店長が店長を呼んでいる?
「お久しぶりですね。本日は何のご用で?」
「いや、忘れ物をとりに来ただけだよ」
店長が『店長』と呼んだ人物が、入り口からこちらへ歩いてくる。
五十代くらいの女性だ。
背が高く、スタイルも良い。
とても美人な人だった。
そんなことを思っていると、その女性と目が合った。
黒い瞳が、まっすぐ私を捉える。
心の奥まで見透かされているようで、思わず息を呑んだ。
店長の知り合いなら、この書店の関係者だろうと思い挨拶をする。
「去年の五月から、ここで働いています。辻桜です」
「君が……。綴君から話を聞いているよ。一年近くも、ありがとう」
思っていた印象とは裏腹にぺこりとお辞儀をして自己紹介をしてくれた。
「一色楓という。この書店の前店長だ」
「綴君、少しこの子と二人で話してもいいかい?」
楓さんが私をじっと見つめてくる。
なぜだろう。
嫌な予感がする。
「私は構いませんが、桜さんお時間大丈夫ですか?」
「私も大丈夫です」
「わかりました、私は先に上がります。ですがあまり遅くならないようにしてくださいね。桜さんは女の子なんですから」
「『は!』ってなんだ!私も可憐な乙女だよ」
そんな冗談を言うと、店長は先に上がる。
「さて綴君も帰ったことだし女二人、ガールズトークとしましょう」
そこからの会話は五分もなかった。
私はかなり緊張していた。
「よ……よろしくお願いします」
そんな私を見てにこりと笑う。
「大丈夫、怖いことはない。少し確認したいことがあってね」
「確認したいこと?」
「そう、桜君は綴君の本がここにあることを知っているか?」
ドキッとした。
「はい……」
「なぜ読まない?」
「まだどうしたら良いかわからなくて……。でもなんで私が読んでないことがわかるんですか?」
「君の目だよ」
「私の目……?」
「目は口ほどに物を言う。君が綴君を見る目だ」
雰囲気こそまるで違うが、この人の芯となる部分は店長に似ている、そんな気がした。
「君もこの仕事を続けるなら意識してみるといい」
楓さんは続ける。
「今日忘れ物を取りに来ようと思ったが、気が変わった。四月頃に取りに来ることにする」
「忘れ物って……」
「彼の本さ」
試すように楓さんは、私を見つめる。
「四月には取りに来る。わかったかい?」
「……四月」
「君の迷いは正しい」
そう言い残し、楓さんは帰っていってしまった。
2月22日5時15分
-書店-
あれからしばらく書店でひとりぼっち。
店長の本を抱え物思いに耽っていた。
早く帰るよう店長に言われた。
楓さんも五分も経たずに帰ってしまった。
けれど私は動けなかった。
綺麗な白い花……。
考えても答えの出る問題じゃないことは、理解していた。
だって中身を知らないのだ。
しかし、見てしまったらきっと戻れない。
人の過去を知る……。
今日のお客様は後悔していた。
店長の過去を知る。
私にとって『大切な人』、きっとこの本を読んでしまったら戻れない。
ピコン。
すみれさんからのメッセージだ。
「3月3日は空いていますか?」
「空いてます。その日、少し相談してもいいですか?」
藁にもすがる思いだった。
良かった。すみれさんと会えるのが三月で……。
本を読まなければ、このまま変わらずに店長と過ごせる。
でも、あの時の寂しそうに笑う店長が、頭にこびりついて離れない。
あと一か月。
四月が来れば、すべてが消えてなくなってしまうような気がした。
[知らぬ間に私を見守る椿の花が一輪丸ごと落ちていた]終
人のことを許すより
人のことを許さなかったことで
救われる人のほうがたくさんいる
そんな気がします




