[記憶屋書店]〜小さくても大きな一歩を歩くため〜[十話]
彼女はきっと私が歩むかもしれなかった道を歩いてる
鏡を覗くように、私に似た女の子に出会う。
それはきっと、
私が歩んでいたかもしれない、もう一つの道。
[スミレの花が今日も変わらず咲いている]
1月15日19時
-辻家夕食卓-
最近娘の様子が変だ。
あれだけ話しかけてくれていたと思えば、最近は黙ったまま、何かを考えている。
「なぁ桜?」
「……うーん」
こんな調子だ。
悩みがあるなら、話してほしい。
いや、駄目だ。
悩みを聞くぐらいの気概を見せなければ。
「桜、何か悩みがあるなら話してほしい」
「……私は何に悩んでるんだろうね」
娘との会話終了。
なんと難しいことか。
これが世間でいう「年頃の娘」なのか。
体調などに関しては、問題なさそうだ。
専門学校を辞めた時とは、明らかに違う悩み方をしている。
塞ぎ込むというより、答えの出ないことを考えているような。
一つだけ、心当たりがある。
娘の働いている、あの書店だ。
他人の記憶を背負う、そんな仕事をしている。
悩みの一つや二つあるだろう。
こうなれば、頼れる相手は一人しかいない。
「桜、次の休みはいつだ?」
不思議そうな顔をしながら答えてくれた。
「明後日だけど?」
いざ参る。
1月17日22時
-書店前-
我ながら馬鹿だ。
娘のバイト先に、娘の様子を聞きに来る親なんて。
私の父がもしそんなことをしていたら、完全に「過保護だ」と悪態をついてしまうだろう。
意を決して、扉を開く。
ちゃりん、ちゃりん。
乾いた鈴の音。
古い紙の匂いと、妙に落ち着く書店の雰囲気に
不思議と心が安らぐ。
桜がこの空間を好きになるのも、よくわかる。
奥から「あの男」がやってきた。
「いらっしゃいませ、あれ?辻さん。桜さんはお休みですよ」
和装に身を包み、穏やかで優しい口調の男。
そう、この書店の店長だ。
「すみません。お仕事中に申し訳ないんですが、少し時間はありますか?」
私の娘を下の名前で呼ぶこの男。
正直なところ。
私はこの男に半ば嫉妬のような感情を抱いている。
父として、してあげなければいけなかったことを、緑野店長は私の代わりに成し遂げた。
たまたまだとわかっていても、その悔しさは拭えない。
「ええ、お客様が来るまでなら問題ありません」
緑野さんは快く答えてくれた。
「ありがとうございます。最近娘が何かに悩んでいるようで。何かご存じだったりしますか?」
店長は考える。
「私自身、桜さんのプライベートなことはあまり知らないもので……」
「いえプライベートでなくても、仕事関係で何か気になることがあったとか……?」
この心当たりがなくなってしまうと、これ以上は見当がつかない。
店長が少し本棚に目をやる。
うーんと悩み、緑野さんが口を開く。
「最近は、桜さん一人でお客様を担当することも増えています。もしかしたら知らぬ間に疲れを溜め込んでしまったのかもしれません。少しお休みを取った方がいいかもしれません」
娘の精神的疲労を心配する緑野さん。
なんて良い人なんだ。
しかしだ、ここに私が押しかけて。
休みを取るようなことになれば。
本気で怒る妻の顔と、間違いなく怒るであろう娘の顔が被ってしまう。
「いえ、ここで働くことを桜は楽しんでいるようですので。その判断は緑野さんに任せます」
もし、書店の勤務が心の拠り所だとしたら。
休ませるのは、かえって逆効果になってしまう。
うーん。ここでもわからなかったか。
せっかく来たついでだ娘の様子も聞いておこう。
「桜の、ここでの仕事ぶりはどうですか?」
緑野さんの返答は早かった。
「桜さんは立派です。お客様に寄り添い、この書店の理念をよく理解しています」
「初めの頃は、お客様の選択に答えを出そうと悩むことも多くありました。今ではお客様自身が決断できるよう、見守ることができるようになりました」
「あの年齢なら、自分の価値観で『こうした方がいい』と言いたくなることも多いでしょう」
「ですが桜さんは、気づいています。正しいことが、必ずしもその人にとって正しい選択になるわけではないことを」
「私自身、感覚的にはわかっていたつもりですが、桜さんの接客を見ていて、ようやく言葉にできたような気がします」
優しく笑う緑野さんは、桜のことを本当に誇らしく思ってくれていた。
「桜さんの接客には、私も学ぶことがたくさんあります」
そこからしばらく緑野さんは桜を褒め続けた。
「しかし、心配ですね。桜さんの悩み、私は気づけませんでした」
ほんの少しだけ、父親として勝てた気がした。
……しかし、なにと戦っているんだ私は。
「私も桜さんには随分助けられていますから、何かお返しができたらと思っているんですが」
うーん、無駄なライバル意識を持っていたが、緑野さんは純粋に桜のことを思ってくれている。
私にとっても、きっと。
娘を支えてくれる大切な人なのだろう。
「……4月20日が桜の誕生日です」
「誕生日ですか?」
「はい、もし何かしてあげたいと思ってるなら、その日にでも」
「辻さん、ありがとうございます」
よくわからない、保護者二人の対談は、
結局、何一つ解決しないまま終わった。
1月18日23時
-書店-
今日は店長の様子がおかしい。
私が書店に着くなり、妙な質問をしてきた。
「何か悩みはありませんか?」
「何か欲しいものとか、好きなものは?」
なぜだろう、父にもこんなことを聞かれた気がする。
うーん、あまり良くない。
無駄なものに、気を取られすぎている。
頬を少し叩いて気合いを入れ直す。
こんな弛んだ気持ちで接客はできない!
よし!頑張るぞ!
そんな時だ、扉の鈴が鳴る。
ちゃりん、ちゃりん。
今までの浮ついた空気が凍ってしまうような。
ずぶ濡れのメガネをかけた女性がそこにいた。
傘も差さず長い間、雨に打たれていたのだろう。
髪から雫が落ち、頬を伝っている。
涙なのか、雨なのかは分からない。
今にもいなくなってしまいそうな女性に、
私の胸はざわついた。
「すみません、記憶を消したくて」
今まで、泣きながら入店してきたお客様は何人かいたが。
ここまで追い詰められているお客様は初めてだ。
身長は、私と同じくらいか。
「とりあえず身体を拭いてください」
私は彼女にタオルを手渡し、
奥に置いてある自分の服を持ってきた。
身体を拭き、着替えを終えた彼女に話を聞く。
「では、どのような記憶を消すかは心に決めていますか?」
「……わかりません」
彼女は俯く。
「わからない、ですか」
「……はい。生きるのに疲れたといいますか。このまま前に進めないような気がして、雨の中を歩いてました」
それで、ずぶ濡れだったのか。
その姿を見ていると、私が初めてここに来た時を思い出す。
「すべての記憶を消したら、私はどうなりますか?」
少し離れて様子を見ていた店長が説明してくれる。
「もし貴方がすべての記憶を消そうとしているのなら、きっと記憶は消せないでしょう」
「……それはどうして?」
「本人が無意識のうちに、完全に自分を失うことに抵抗してしまうからです」
そんな一言に、彼女はさらに俯いた。
「ただし、一つの記憶がその人の大部分を占めていた場合、連鎖的に多くの記憶を失ってしまうことはあります」
多分この人が今記憶を消しても、すべての記憶を消すことにはならない。
せめて選択できるよう、少しだけ話を聞いてみよう。
「差し支えなければ、何があったか聞いてもよろしいでしょうか?」
ぽつり、ぽつりと彼女は自分の過去を話してくれた。
-月野すみれの過去-
私の名前はすみれ。大学三年生。
田舎育ちの普通の学生だ。
地元の高校を卒業し、都内の大学へ入学。
そこから、人生というものに行き詰まってしまった。
父も母も優しく、地元には友達もいる。
都内でも同じように、過ごせるかと思っていた。
しかし、いつからだろう。
友達を作ることが、こんなにも難しくなってしまったのは。
親しい友人は、ここにはいない。
息苦しい、そんな日々。
みんなは、どうやって乗り越えているのだろうか。
アルバイトで失敗し、怒られた。
大学の一限に、間に合わなかった。
就活も、まだ何も手をつけていない。
息苦しい。
変わり映えしない、小さな苦痛がずっと続くような。
終わりのない迷路に迷い込んでしまったような。
久しぶりに地元へ帰ってみると、
昔馴染みの友人達と会えた。
でも、みんな私の記憶の中にいる頃とは少しずつ変わっていた。
恋人の話をしていた友人は、結婚の話を。
就職した友人は、仕事の話を。
……私だけ何も変わってない。
友人達からすれば、私だってすごい。
田舎を出て、都内の大学に通って勉強を頑張っている。
だけど、私にはそう思えなかった。
地元の友人達は、少しずつ人生を進めていた。
私だけ。
私だけが、取り残された。
そんな気がした。
都内ではひとりぼっちでも、地元に帰ればいつもの私に戻れる。
そんな心の支えも、もうなくなってしまった。
分かってる。自分から何かすれば、
それだけで人生は進んでいく。
友達が欲しければ、自分から話しかければ。
就活が怖いなら、ちゃんと準備すれば。
自分から……自分から……自分から……。
誰か助けて……。
誰か。
誰か……私の日常を壊してほしい。
1月18日21時
-すみれアパート-
今日はバイトにも行けなかった。
どうしよう……。
自然と涙が出てくる。
スマホが急に明るくなる。
液晶にはお母さんの文字。
あぁ……この電話にも出れないや。
アパートの窓から外を見ると、
ぽつり、ぽつり、と雨が降り始める。
良かった。
この雨が私の何かを洗い流してくれる。
そんな気がして、傘も差さずに外へ出た。
「……それから、ずっと歩いてここに辿り着きました」
すみれはここで話をやめた。
この人は、少し似てる。
この書店に辿り着く前の、私に。
俯いていたすみれさんが口を開いた。
「……私、どうしたらいいですか?」
違う。
この人は気づいてる。
やらなきゃいけないことはわかってる。
だけど、自分で進めないんだ。
だから誰かに助けてほしくて、ここへ来た。
でも、この人は記憶を消すことはきっとできない。
どうしたらいい?
私はすみれさんに、なんて声をかければいい?
店長が質問をしてくれた。
「すみれさんは何が一番辛いですか?」
「……明日が来るのが辛いです」
「それはなぜですか?」
店長が一つ一つ紐解くように、すみれさんへ質問していった。
「やらなきゃいけないことがあって」
「やらなきゃいけないことは何ですか?」
「バイト先にも謝らなきゃいけないし、大学にも行かないと……」
すみれさんは俯いた。
肩を震わせながら、涙をタオルで拭う。
店長が核心に迫る質問を投げかけた。
「なら、大学に入ってからの記憶や、バイトを始めてからの記憶を手放すことは考えられますか?」
駄目だ。
その記憶を手放したところで、この人は変わらない。
この人は、きっと
この書店に帰ってきてしまう。
もしかしたら、帰ってくる力も無くなってしまう。
いけないと思い私が店長の方を振り向くと、「まぁまぁ」といったとでも言うような手振りで私を止めた。
なにか考えがあるのだろうか?
すみれさんが口を開く。
「……い、嫌、それは嫌です」
意外だった。
店長が続ける。
「それはなぜですか?」
「……わかりません」
「分からないけど、自分がなくなっちゃうような気がして」
すみれさんが涙を流しながら、私に質問する。
「もし貴方が私だったら、どうします?」
「私は貴方じゃないので、私ならどうするかは答えられません」
深く息を吸い込み、慎重に言葉を選ぶ。
「ですが、すみれさんが今感じたことが、一番大切だと思います」
-月野すみれ-
もう答えは分かってる。
私自身が言わなきゃいけない。
記憶を消して逃げたところで、この息苦しさはきっと終わらない。
自分から……。
二人の店員さんに見守られる。
怖い。
これを言ってしまったら、もう逃げられない。
この言葉を伝えてしまったら。
でも……。
それでも。
こんな私でも、私は私をなくしたくない。
「……記憶、消しません」
「わかりました」
和装に身を包んだ上司らしき人が、答えてくれた。
そう答えた男性の隣にいる、もう一人の店員さんを見る。
私と同じくらいの子なのに。
すごいなぁ、私と違ってしっかりしてる。
この服もこの子が貸してくれた。
この子はきっと立ち止まることなんてなかったのだろう。
この人と、また会いたいな。
……でもこのまま帰れば、きっと私はそのままだ。
少しでもいい、勇気を出さなきゃ。
断られてもいい。
自分から声を出すんだ。
「……あの、また会えますか?」
女性の店員は不思議そうに首を傾げる。
もっとちゃんと言わないと。
「と、友達になりたくて」
「ぜひ、お願いします」
その店員は笑ってくれた。
「……ありがとうございました」
お礼を言って書店を後にする。
ちゃりん。ちゃりん。
乾いた鈴の音が、私を送り出してくれる。
結局何も変わらなかった。
だけど私はいつもより少し歩幅を広げ、
何も変わらないアパートへと帰った。
-辻桜-
「ぜひ、お願いします」
良かった。
この人が記憶を売らなくて。
そんなことを思っていると、店長に肩をトントンと叩かれた。
すみれさんに聞こえないよう、耳元まで来て質問してくる。
「本当に大丈夫ですか?」
大丈夫ですかって!失礼な人だ!
友達になるの大丈夫かってことだよね!
すみれさんが退店してから、店長に文句を言いに行った。
「なんですか!『大丈夫ですか?』って!私、怒ってますよ!」
ぷりぷり怒りながらそう言うと、店長は笑って答える。
「すいません。でもあのタイミングで言われたら断りづらかったと思って」
あ、確かに。
私は普通に嬉しかったから、何とも思わなかったが。
言われてみれば、そうである。
「桜さんが本当に友達になりたかったなら大丈夫ですけど」
「当然ですよ!もう!」
店長に対して怒ったふりをした。
「なら良かったです」
店長が笑って答える。
この人は!ホントにもう!
すみれさんへの質問の仕方もそうだ。
すみれさんが記憶を売るなんて微塵も思ってないくせに……。
……全くもって、店長には敵わない。
一体この人は、どこまで人を見てるんだろう。
1月20日5時
-すみれアパート-
今日はいつもより早く起きた。
たったそれだけ。
冷たい冬の風が、心地良い。
きっと世界は少しずつ前に進んでる。
私も、気づかないだけで進めてる。
今はまだ分からないけれど。
ほんの少し。
きっと誰にも気づかれない。
昨日と何も変わらない、そんな小さな一歩でも。
[スミレの花が今日も変わらず咲いている]終
変わらない日々に満足できず、少しだけ辛い。
そんな毎日をきっとみんな頑張って過ごしてます。




