第十話 新年会
あっと言う間に最終回です!
是非最後までお付き合いください!
小田急線経堂駅から農大通りを歩いて五分。細い路地を曲がった先に、えんじの暖簾がかかった居酒屋が一軒。
カウンター七席に、四人掛けのテーブルが二つ。親父が一人で切り盛りする、こぢんまりとした店だ。
メニューはない。その日仕入れた新鮮な魚や旬の野菜を、親父が気の向くままに料理する。
親父は無愛想で、客の話にも気のない返事をするばかり。
それなのに、不思議と客たちは悩みを打ち明ける。
親父は答えを出さない。ただ料理を作り、酒を注ぐだけだ。
それでも、店を出る頃には、なぜか少しだけ前を向いている。
多分偶然なのだろう。
だが、偶然も重なれば必然となる。
口さがない常連客たちは、この店を「門出屋」と呼ぶという。
その店の名は「居酒屋ユージ」。
今夜も静かに営業中。
◇
仕事始めだというのに、正月気分が抜けず、机でぼーっとパソコンを眺めていた門出屋の常連客、通称「陽気なおっさん」のスマホが鳴った。
「おっ! 門出屋からか」
画面には、居酒屋ユージからの新着メッセージが表示されていた。
「あの親父、とうとうSNSを始めたのか」
以前、店の宣伝にSNSを使ってみたらどうかと勧めたことがある。
だが、その時の返事は素っ気なかった。
「そんな面倒くせえもん、誰がやるか」
それがどういう風の吹き回しか。
おっさんは首を傾げながら、メッセージを開いた。
『居酒屋ユージをご愛顧いただいているお客様へ
新年あけましておめでとうございます。
日頃のご愛顧に感謝して、居酒屋ユージで新年会を開催することになりました!
日時:1月15日(金)午後6時より
当日は大将が腕を振るって、美味しい料理をご用意します。
会費は特に決めておりません。お気持ちに応じて、心づけだけ頂戴できれば幸いです。
皆さまと楽しい時間を過ごせることを楽しみにしています。
なお、当日はちょっとしたサプライズもご用意していますので、どうぞお楽しみに!
居酒屋ユージ
新年会幹事』
「しかし、新年会なんて初めてじゃねえか?」
おっさんは首を傾げた。
「しかも、この文面。全く親父らしさが感じられねえ」
もう一度、最初から読み返す。
「年が変わって、気も変わったのかな?」
しばらく考え込んでから、首を横に振った。
「いや、あの親父に限ってそれは無いな。こりゃなんか怪しいぞ」
そして、最後の一文に目を留めた。
「それに、このサプライズってなんだ?」
おっさんはしばらくスマホを眺めていたが、やがて楽しそうに笑った。
「まあ、行ってみりゃ分かるか」
参加の返事を送った。
◇
一月十五日、金曜日。
午後六時を少し回った頃、居酒屋ユージには、いつもの常連たちが集まり始めていた。
陽気なおっさんが暖簾をくぐる。
「よう、親父! 明けましておめでとう!」
「おう」
「相変わらず愛想がねえなあ。せっかく新年会だってのに」
「うるせえな。そこに座ってろ」
「はいはい」
おっさんは笑いながら店内を見回した。
そして、目を丸くした。
「……あれ?」
カウンターの向こうに、見覚えのある女性が立っていた。
エプロンを着け、皿を並べている。
「いらっしゃいませ! お待ちしてました!」
「おいおい! 鬼課長じゃねえか!」
「あら、久しぶり!」
「何やってんだ、そんなところで?」
「何って、お店のお手伝いよ」
「手伝い?」
「そう。さあ、早く座って。今日は美味しいものがたくさんあるわよ!」
鬼課長はにっこり笑うと、慣れた手つきで箸と取り皿を並べた。
おっさんはユージを見た。
「おい、親父。どういうことだ?」
「何がだよ」
「いや、何がって……」
「いいから座れ。邪魔だ」
いつもの調子で追い払われた。
「……ますます怪しいな」
おっさんはそう呟きながら、カウンターに腰を下ろした。
やがて、ほかの常連たちも顔を揃えた。
高知出身の老婦人も、にこやかな顔で席に着いている。
「あらまあ、今日は賑やかねえ」
「そうでしょう? 楽しんでいってくださいね!」
エプロン姿の鬼課長が、嬉しそうに答えた。
ユージは黙々と料理の準備を進めていた。
◇
新年会が始まると、店内はたちまち賑やかになった。
正月らしい料理が次々と運ばれ、瓶ビールが空いていく。
普段は静かな居酒屋ユージも、今夜ばかりは笑い声が絶えなかった。
「いやあ、親父。たまにはこういうのもいいじゃねえか」
「お前らは飲んで食ってるだけだからな」
「そんなこと言わずに、親父も楽しめよ!」
「俺は料理作ってんだよ!」
そんなやり取りをしているうちに、エプロン姿の鬼課長が手を叩いた。
「はーい! 皆さん、ちょっとよろしいでしょうか!」
「おっ、なんだなんだ?」
「そろそろ、皆さんお楽しみのサプライズです!」
常連たちが一斉に顔を上げた。
「そういや、案内に書いてあったな」
「何が始まるんだ?」
鬼課長は少し得意げに胸を張った。
「えー、私、石川里帆は、昨年十年勤めた会社を辞めました!」
「いや、それはこないだ聞いたぞ!」
「うるさいわね! 黙って聞いてちょうだい!」
店内に笑いが起こった。
「えー、それでですね、この居酒屋ユージに再就職することになりました!」
「何! 本当か?」
「もちろん、本当です」
里帆は、さらに嬉しそうな顔をした。
「しかも、実はこのお店の二階に、ユージさんと二人で住んでます!」
「なんだと!」
陽気なおっさんが声を上げた。
「なんか怪しいと思ってたんだ!」
「おいおい! 親父! どういうことだ!」
「どういうことも何も、そりゃ男と女が同じ屋根の下で暮らすってのは、そういうことだろ?」
「ちょっとおじさん! ストレート過ぎるわよ!」
「あはは!」
「で、親父、ホントなのか?」
「そこ! なんでわざわざ確認する?」
そう言った里帆は、少し顔を赤らめた。
そして、ユージの方をちらりと見て、恥ずかしそうに言った。
「私としては、永久就職でもいいんだけど……」
「おおーっ!!!」
店内にどよめきが走った。
「親父! ちょっと展開が早すぎないか!」
「朴念仁のフリして、隅に置けないな! このエロ親父!」
「そんなんじゃねえ!」
「じゃ、なんなんだよ?」
「会社も辞めた、アパートも引き払ったって言って、転がり込んできやがったんだ」
「あらまあ、積極的ね!」
高知出身の老婦人が、楽しそうに目を細めた。
「まあ、最近ちょっと忙しくなって来たから、手伝って貰ってるだけだ」
「もう、照れちゃって!」
そう言って里帆は、ユージの脇腹を肘で突いた。
「いてっ! 何しやがる!」
「なんだよ、イチャイチャしてるじゃないかよ!」
「イチャイチャなんかしてねえ!」
笑い声がさらに大きくなった。
「おいお前ら、これ以上ふざけてると叩き出すぞ!」
「おー怖い!」
老婦人まで笑っている。
ユージは苦虫を噛み潰したような顔をして、鍋に向き直った。
「次の料理が出来たぞ。食いたくねえのか!」
全員で声を合わせて言った。
「いただきます!!」
◇
運ばれてきたのは、蓋付きの椀だった。
蓋を取ると、湯気とともに上品な出汁の香りが立ち上った。
「おお、こりゃ何だ?」
「蟹真丈の吸い物だ。正月だからな、ちょっと奮発した」
「蟹か! 豪華だねえ」
「白身魚のすり身に蟹の身を合わせてある。蟹だけじゃまとまりが悪いが、すり身を合わせると、ふんわり仕上がるんだ」
「なるほどねえ」
常連たちは椀を手に取り、出汁を味わった。
「うん、美味い!」
「上品な味ねえ」
ユージは満足そうに頷いた。
「本当は土瓶蒸しを出したかったんだがな」
「土瓶蒸し? 松茸の吸い物か?」
「ああ。夏のハモの終わり間際と、秋の松茸の出始めの、ほんの一時だけ食べることができる、奇跡の絶品料理だ」
「なるほどねえ」
里帆がにっこり笑った。
「まるで私たちみたいね!」
「確かに!」
「素敵だわ!」
「親父も見かけによらずロマンチストだな!」
「そんなんじゃねえ! 俺は料理の話をしてんだ!」
「わかったわかった! ご馳走様」
「おい! 早く食わねえと、蟹真丈が冷めちまうだろう!」
常連たちは、また大笑いした。
ユージは、もう何も言わなかった。
ただ、里帆が隣で嬉しそうに笑っているのを見て、ますます不機嫌そうな顔になった。
◇
料理がひと段落した頃、ユージが冷蔵庫から一本の日本酒を取り出した。
「おい、今日はもう一本、飲ませたい酒があるんだ」
「おっ、今度は何だ?」
「能登の酒だ」
ユージは瓶をカウンターに置いた。
ラベルには、『襷』と書かれていた。
「……あれ? これ、ひょっとして」
「ああ。駅伝君の酒だ」
「おお! あいつか!」
陽気なおっさんが身を乗り出した。
「こないだ来た時は、まだ出来上がって無いって言って、加賀鳶持って来てたよな」
「そうだな。先週、やっと出来上がったって送って来てくれたんだ」
ユージは瓶を手に取った。
大学を卒業した三月、能登の酒蔵へ帰っていった青年。
自分の手で酒を造るために、新しい道へ踏み出した男。
その男が、初めての冬を迎え、ようやく酒を届けてくれた。
「祝いだ。皆で飲んでやろうぜ」
「そりゃいい!」
里帆が杯を並べ、ユージが酒を注いで回った。
全員の杯に酒が行き渡ったところで、陽気なおっさんが突然立ち上がった。
「えー、それでは皆さん!」
おっさんは、ユージと里帆を交互に見た。
「お二人の今後を祝して、乾杯!」
「かんぱーい!!」
「おい!」
ユージの抗議は、誰にも聞こえなかった。
常連たちは笑いながら杯を合わせ、駅伝君の酒を口に運んだ。
「おお、美味い!」
「こりゃいい酒だ!」
「駅伝君、頑張ったんだねえ」
ユージも一口飲んだ。
しばらく黙って味わってから、小さく頷いた。
「……いい酒になったじゃねえか」
その声は、賑やかな店内に紛れて、誰の耳にも届かなかった。
ただ、隣にいた里帆だけが、ユージの横顔を見て微笑んだ。
◇
新年会が終わったのは、夜も更けた頃だった。
最後の客を見送ると、ユージは大きく息を吐いた。
「やっぱり新年会なんてやめときゃ良かったぜ」
「あら、いい会だったじゃない。私、こういうの好きよ」
「俺が疲れるんだよ! さっさと片付け始めるぞ!」
「はいはい」
里帆は笑いながら、空いた皿を重ね始めた。
ユージも黙って洗い物に取りかかる。
さっきまでの喧騒が嘘のように、店内は静かだった。
水の流れる音と、食器の触れ合う音だけが響いている。
「ねえ、ユージさん」
「なんだよ」
「今日はありがとう」
「何がだ?」
「新年会。楽しかったわ」
「そりゃ良かったな」
「それに……」
里帆は、少しだけ言い淀んだ。
「私、ここに来て良かった」
ユージは手を止めなかった。
「そうかい」
「うん」
里帆は嬉しそうに笑った。
「これからもよろしくね」
ユージは洗い終えた皿を水切りかごに置いた。
そして、いつもの調子で答えた。
「……まあ、お前さんの気が変わるまではな……」
「だったらやっぱり、永久就職ね」
里帆は明るく笑った。
店の外では、冬の夜風が吹いていた。
居酒屋ユージ。
今夜も静かに……。
*画像をタップすると、レシピが楽しめます!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
異世界ものばかり書いて来ましたが、ふと思い立って、日本の居酒屋の話を書き始めてみたら、筆が止まらなくなってしまいました。
とりあえず、連作短編集としての物語は今回が最終話となりますが、近いうちに番外編なども書いてみたいと思っています。
また、もしかしたら、ついつい居酒屋ユージの様子を見たくなって、第2巻を書いてしまうかもしれません!
では、他の作品も頑張って連載して参りますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!
なお、もしも出来ましたら、感想や評価など、皆様のご意見を聞かせて頂けると幸いです。
アズマユージ




