第5章 あなたと過ごす一日
朝の光が差し込む頃。
リハルはゆっくりと目を覚ました。ベッドの片側に横たわり、毛布からは片手が覗いている。
その手のすぐ傍ら、床に座り込んでベッドに寄りかかるようにしてユルが眠っていた。毛布から出たリハルの手を、優しく包み込んだままで。
意識がはっきりするにつれ、昨夜の出来事が少しずつ思い出されていく。
記憶が蘇るたびに顔が熱くなり、リハルはたまらず毛布の中へと顔をうずめた。
(……待って。昨日の夜、私『大好き』って言ったわよね? 彼も『愛してる』って答えてくれた……ってことは! いつだって好きな時にキスしていいってことじゃない!?)
恥ずかしさと愛おしさが同時に押し寄せてくる。
(私の良いところも悪いところも、全部知った上で隣にいてくれる……。こんな風に手を握られたら、またキスしたくなっちゃうじゃない……!)
リハルは意を決した。
(迷うことなんて何もないわ。彼は私のものなんだから!)
リハルはユルの頬にそっと唇を重ねた。彼が目を覚ますまで、何度も、何度も。
「ん……っ!?」
突然目を覚ましたユルは、自分にキスを繰り返すリハルに気づき、勢いよく身体を引いた。
「バカっ! 朝っぱらから何やってるんだよ!」
リハルはニヤリと笑うと、ユルの首に腕を回した。
「昨日のレッスンの復習よ! あなたは私のものなんだから、何回キスしたって私の自由でしょ!」
「おい、リハル! 落ち着けって!」
部屋の中で追いかけっこが始まった。逃げ惑うユルが叫ぶ。
「リハル、見境なさすぎるぞ!」
「うるさいわね! 大人しくモーニングキスを寄越しなさい!」
ひとしきり走り回り、二人とも息を切らしてベッドの上に腰掛けた。
リハルはユルの隣にぴたりと寄り添い、ふと尋ねた。
「ねえ……どうして私が好きなこと、もっと早く教えてくれなかったの?」
「……せっかくのいい友達関係が壊れるのが怖かったんだよ」
「ふふ、私も全く同じことを考えて黙っていたのよ? お酒の勢いってすごいわね、どこからあんな勇気が出たのかしら」
次の瞬間、リハルは「あたたた……!」と頭を押さえた。
「うう、頭が割れそう……!」
「あんなに飲めば頭痛もするさ。じっとしてろ、温かい紅茶でも淹れてくるから」
「嫌! 一秒だって離れたくない!」
「でも、紅茶を……」
「私をもっていきなさい!」
リハルは両手をユルに向かって広げた。
「どうすればいいか、分かってるでしょ?」
ユルは苦笑しながら彼女のおでこに手を当てた。
「……熱は下がってるな。よしよし」
ユルはリハルを軽々と抱き上げると、キッチンへ運んで調理台の上にちょこんと座らせた。
「えーっと、茶葉を少し、砂糖を少し……牛乳と水を入れて、火をつける」
お茶を淹れるのに夢中なユルに、リハルが身を乗り出した。
「ねえ、いつ話してくれるの?」
「何の話だ?」
「覚えていたらおじいさんに結婚の話をしてくれるって言ったじゃない! 忘れたの!?」
「覚えているよ。村に帰ったら、一番におじいさんに挨拶に行くさ」
「それでこそ私の男よ!」
満足したリハルはユルの頬にチュッとキスをして、ベッドへ戻ろうとした。
「だから、何度も kiss するなって言ってるだろ!」
「するわよ! 気分次第で何度でもしてやるんだから! 『全身にキスしたい』なんて昨日の夜言ってたのは誰だっけー?」
「っ……! もういいから、早くシャワーを浴びてこい! 終わったら映画でも観よう」
「はーい、ダーリン! でも、外にも遊びに行きたいな」
「『ダーリン』って呼ぶな。体調が完璧に戻るまで外出は禁止だ」
(怒った顔も可愛いのよね……♪ よーし、シャワーを浴びたら電気を消して、ロマンチックな映画を観るの! 今日のプランはこれで決まりね!)
その時、ユルのスマホが鳴り響いた。
「……誰だ? あ、ジャンキャストか! ああ、無事についたよ。昨日は助かった、ありがとな」
電話の向こうでジャンキャストがニヤニヤしながら尋ねる。
『気にすんなって! それよりどうだ? あの子との関係は進展したのか?』
ユルはチラリと浴室の方を確認した。扉が閉まっているのを見ると、一気に顔を綻ばせた。
「おい……信じられないかもしれないが、昨日の夜、あいつから告白されたんだぞ! しかも酒を煽ってプロポーズだ!」
『マジかよ!? あんなに照れ屋そうな子がそんな度胸ある技を繰り出すとはな……!』
「それだけじゃないんだ、一晩中高熱でうなされながら『ユル、大好き』ってずっと繰り返しててさ……。朝起きた瞬間にもいきなりキスされたんだぞ!」
友人と盛り上がるのに夢中になっていたユルは、リハルがすでに浴室から出て後ろに立っていることに全く気づいていなかった。沸騰したお茶が鍋から吹きこぼれかけていることにも。
「……ユル? 誰と何のお話をしているの?」
後ろからかかった冷ややかな声に、ユルは背筋を凍りつかせ、恐る恐る振り返った。
「っ……! ジ、ジャンキャスト、命の危険を感じるから切るぞ!」
電話を切る間もなく、リハルの容赦ない平手打ちがユルの頬に飛んだ!
パンッ!! と鋭い音が響き、通話の向こうでジャンキャストは寒気を覚えた。
『……よし、俺は何も聞いてない! 巻き込まれる前に切ろう……!』
リハルはガスを止めると、仁王立ちになって問い詰めた。
「ユル、私たちが昨日の夜何をしたか、お友達に言いふらしてるわけ!?」
「ご、ごめん! 悪気はなかったんだ!」
「告白されたことくらいはいいわよ! でも、どこにキスされたとか細かいことまで喋るんじゃないわよ! 恥ずかしいじゃないの!」
「分かった、もう絶対に詳細までは話さない! 約束する!」
「約束ね!?」
「本当だ!」
「じゃあ、証明のキスをして!」
「……いちいちキスで解決しようとするなよぉ」
文句を言いつつも、ユルは彼女の頬に優しくキスをした。
「これで満足か?」
「うん! じゃあ、お茶ちょうだい!」
熱い紅茶をカップに注いで渡すと、二人はベッドに並んで腰掛けた。
「さあ、映画タイムよ!」
「ああ。……でもその前に、熱を測らせろ」
リハルは途端に駄々っ子モードになった。
「嫌ぁぁ! もう熱なんてないもん! お熱なんて大嫌い!」
結局、二人は一日中ベッドの上で映画観賞を楽しんだ。
ユルがベッドに横たわり、リハルはその胸に頭を乗せてしっかりと抱きついている。
(あっという間に一日が終わっちゃったな……。一日中彼の裸の上半身を見てたから、少しずつ慣れてきたかも。少なくとも理性が吹き飛ぶことはなくなったわ)
ユルはリハルの髪を優しく撫でながら、リモコンでチャンネルを変えていた。
その時、リハルのお腹から「グゥゥゥ……」と大きな音が鳴り響いた。
「……お腹空いたのか?」
リハルは小さく頷いた。
「僕も空いたな。パニール(チーズ料理)でも作ろうか?」
「パニール!? 食べる! お肉みたいで大好きなの!」
(本当に肉系の味が好きなんだな……)
「よし、作るからここでじっとしてろよ」
「はーい」
ユルがキッチンへ向かい、冷蔵庫からパニールを取り出して切り始めると、わずか数秒でリハルが後ろからついてきて調理台の上にチョコンと座った。
「どうした? じっとしてろって言っただろ」
「あっちに一人でいてもつまらないんだもん」
刻まれる生パニールを見て、リハルは手を伸ばした。
「一口ちょうだい!」
「駄目だ。お腹を壊したばかりなんだから、生は駄目」
強引に取ろうとするリハルに対し、ユルは皿を高く掲げた。
「駄目なものは駄目!」
「一口くらい良いじゃないのよお!」
「炒めてからにしてくれ! どうして分からないんだ!」
「食べたいの!」
あまりのしつこさにユルはため息をついた。
「……分かった、一口だけだぞ」
「やったー!」
生パニールを一口頬張ると、リハルは満足そうに微笑んだ。
「何か手伝うことある?」
(断ったらまた騒ぐだろうな……よし)
「じゃあ、この玉ねぎを刻んでくれ」
リハルは包丁を握って玉ねぎを切り始めたが、すぐに目から涙がボロボロと溢れ出してきた。
「ううっ……ユルのバカ……最初に私を泣かせて、今度は玉ねぎで泣かせるなんて……ううっ……」
(告白されてからというもの、喜怒哀楽の激しさが凄まじいな……。でも、泣き顔も可愛いから困る)
ユルは彼女の手から包丁と玉ねぎを取り上げた。
「もういいから、テレビでも観てなさい」
「本当!?」
「ああ、早く行きな」
毛布に潜り込むリハルを見送り、ユルは苦笑した。
(やれやれ、これで集中して作れるぞ)
しばらくして、香ばしい匂いと共にユルがトレーを運んできた。温かいパニールカレーとご飯が盛られている。
リハルは早速ご飯とパニールを混ぜ合わせ、手で一口分をすくうと口に運んだ。
ユルが緊張気味に反応を待つ。
「……最高! やっぱりユルの料理が一番ね!」
「そうか、良かった」
「はい、ユルもあーんして!」
リハルは自分手でご飯をすくい、ユルの口元へ運んだ。
(……こうやって自分の手でユルに食べさせてあげるの、ずっと夢だったのよね。いつもはユルが私に食べさせてくれる bakari だったから……すごく特別に感じるわ)
「リハル? どうしたんだ?」
「ふふ、美味しそうに食べる姿が可愛いなって思ってね」
ユルは照れくさそうに頬を赤らめた。
「な、なんだよそれ……」
食事を終え、食器を洗った二人は、お互いを強く抱きしめ合いながらベッドに入った。
まどろみの中で、リハルが小さく囁いた。
「ユル……明日は二人でお買い物に行きましょうね……」
「ああ、そうだな……」
「そういえば……私たちの牛車はどこにあるの?」
「キュウキの家に停めてあるよ」
「そっか……完璧ね……」
幸せな静寂に包まれながら、二人の甘い一日は過ぎていった――。
【第5章の終わり:あなたと過ごす丸一日




