第3章 木材販売システム
【著者より】
ザックは男性。
キュウキはホテルのフロント係として働く女性で、ユールの友人でもあります。
午前九時。
部屋の中で、リハルはベッドの上で穏やかに眠っていた。
その静寂を破るように、突如としてキッチンからガチャガチャと皿や調理器具の叩き合わされる音が響き始める。
その騒音で次第に意識が覚醒していったリハルは、ガバッと跳ね起きると、慌てて周囲を見回した。
(ここ……どこ!? 一体何なのこの場所!? なんで私がこんなところにいるの!? 私はユルと一緒に牛車に乗っていたはずなのに……!)
――それより遡ること数時間、同日午前五時。
一台の牛車が、街の中央に佇むホテルの正面でピタリと停車した。
村のような深い霧はないものの、朝の街にはどこか澄んだ冷気と薄っすらとした朝靄が漂っている。村の人々が朝四時には起きて働き始めるのに対し、街のショップはまだ開店の気配すら見せていない。
ユルは牛車の上でじっと静かに座り、眠りこけるリハルを見つめていた。
「リハル、起きろ。街に着いたぞ。リハ……」
すやすやと心地よさそうに呼吸を重ねる姿に、ユルは苦笑いを浮かべた。
(完全に熟睡しているな……今無理に起こすのも酷か。……よし、どうするか)
ユルは少し考えた後、そっと牛車から降りた。そしてリハルを刺激しないよう静かに背中に背負い上げると、牛車を正面に停めたまま、チェックインのためにホテルの中へと足を運んだ。
フロントで対応した女性レセプショニストが親切に尋ねる。
「お客様、お部屋までお荷物をお持ちしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。自分で運べますから」
「ですがお客様、そのように女性を背負われていては、部屋の鍵を開けるのが大変ではありませんか?」
「……それもそうですね。お願いします」
静かな廊下を進み、エレベーターに乗って上層階へ向かう。
「到着いたしました。ご予約いただいております、402号室でございます」
女性レセプショニストはスマートにドアの鍵を解除すると、マスターカードキーをユルのコートのポケットへと滑り込ませ、恭しく一礼して去っていった。
ユルはリハルを部屋の中へと運び入れると、そっとベッドの上に横たえた。重いコートと靴を脱がせてやり、温かい毛布を優しくかけてから、部屋の外から鍵を施錠した。
そして彼は、再び牛車へと戻っていった。
それから約三十分後。
ユルは街の外れにある薄暗い倉庫へと到着していた。牛車を停め、前方に視線を向ける。
倉庫のシャッター脇に置かれた椅子に、一人の男が腰掛けて煙草をふかしていた。男のすぐ横、シャッターには無造作にライフル銃が立てかけられている。黒い帽子に分厚い黒コート、そして顔には黒いマスク。周囲には誰もおらず、物音一つしない――完全なる静寂が支配していた。
ユルが牛車を数歩進めると、男は突如として跳ね起き、銃を構えて怒鳴り散らした!
「手を挙げろ! 俺はザック・ギムだ! 貴様、何者だ!?」
ユルは大人しく両手を挙げ、静かに声を張り上げた。
「俺はユル・ケンゾウ。『ウッドハンター』だ!」
「ウッドハンターだと!? ならば愛用の『斧』を見せて証明してみろ! 本物のウッドハンターなら、どんな時でも斧を肌身離さず持っているはずだ!」
ユルは自分の胸元に向かって低く囁いた。
「……(アードアンド)、出てきて俺が何者か奴に教えてやれ」
ユルがコートのジッパーを下ろしたその瞬間――コートの内側から滑り出すように二枚の漆黒の刃が露わになり、重厚で空気を揺らすような恐ろしい声が響き渡った!
『(我が名はアードアンド! 漆黒の刃を持つ魔斧なり!)そしてこちらは我が主であり、契約パートナーの(ユル・ケンゾウ)だ!』
ザックは驚愕し、慌てて銃を下ろした。
「噂は本当だったのか! 木材の村のウッドハンターは、本当に『喋る斧』を携えているとはな……! で、ユル、注文した木材と炭は持ってきたんだろうな?」
「アードアンド、戻れ」
武器が再びコートの内側へと収まると、ユルは続けた。
「ああ、あんたが要求した木材と炭はすべてこの牛車にある。確かめて、代金を渡してくれ」
ザックは積み上げられた薪と炭の袋を一つ一つ念入りに確認し、満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
「完璧だ! 今日から俺たちはビジネスパートナーだな、兄弟!」
「俺の報酬はどうなった?」
「すでにアンタの口座に振り込んであるさ。スマホを確認しな」
ザックが勢いよく口笛を吹くと、重厚な倉庫のシャッターがガラガラと上がり、中から大柄な男たちがワラワラと現れた。
「野郎ども、この資材をすべて倉庫の中に運べ!」
瞬く間にユルの牛車からすべての荷物が降ろされた。ユルはスマホの画面で入金を確認すると、短く告げた。
「よし、これで俺の仕事は終わりだ」
「ユル、俺は半年に一度、大量の木材と炭が必要になる。この取引、これからも続けてくれるか?」
「いいだろう。じゃあ半年後に」
ユルは牛車を翻し、まっすぐホテルへと引き返した。その道中、少しずつ店を開き始めた街の市場で、彼は新鮮な肉とパンケーキの材料を買い込んだ。
――ホテルの部屋に戻ったユル。
(まずは汗を流して、それから美味い飯でも作るか)
ユルは身に着けていた服をすべて脱ぎ捨てると、浴室のドアの裏に掛けた。そしてなんと、下着一枚の姿のままキッチンエリアへと向かったのだ。
準備を終え、壁の時計を確認する。
(よし、7時30分か。肉を焼き始めるか)
彼は服を着直すのを完全に失念したまま、下着にキッチンのエプロンだけを着用した姿で、豪快にコンロに向かい始めた。
――そして、冒頭の時刻。午前九時。
リハルはベッドの上でガバッと飛び起きた!
(ここ……どこ!? 一体何なのこの場所!? ユルと一緒に牛車に乗っていたはずなのに、なんでこんなところにいるの!?)
キッチンから響くガチャガチャという音を聞きつけ、彼女は不安に駆られて静かにそちらへと歩を進めた。
そして、その場で完全に凍りついた。
そこには、エプロンと下着一枚という破廉恥きわまりない格好で、平然と料理をしているユルの背中があった。
「キャアアアアアアアアアアアッ――!!!!」
リハルは絶叫すると、一目散にベッドへとダッシュで戻り、頭からすっぽりと毛布をかぶってパニックに陥った!
(なに!? なんなのこの朝は!? 私、何か変な夢でも見ているの!?)
自分の腕をぎゅっと力いっぱい抓ってみる。
(痛っ! 夢じゃない……! じゃあなんであの人はエプロンとパンツ一丁で立っているの!? 昨日の夜、何かあったの!? いやいやいやいや無い無い無い無い!!)
混乱する bedroom エリアへ、ユルが不思議そうな顔で歩いてきた。
「リハル、どうしたんだ急に?」
「あなた、パンツ一丁じゃない!!」
ユルは可笑しそうにクスリと笑った。
「なんだそんなことか。熱いコンロの前にいるから暑くてさ、ズボンを履いてないんだよ。なんでそんなに大騒ぎするんだ? 幼少期なんて、僕のパンツ姿なんて何度も見てただろ」
(誰かこの大バカ者に説明して!! あれは子供の頃でしょ!? 今はもう二人とも立派な大人なの! 女の子の前にそんな格好で立つんじゃないわよ! あと一秒でもあの男らしい素肌の背中を見つめていたら、私、完全に理性を失うところだったじゃない!! あの背筋の筋肉……ああもう!! 飛びついて強く抱きしめたくなっちゃったじゃないのよ!!)
リハルは毛布の中から必死に叫んだ!
「ユル! いいから早くシャツとズボンを履きなさいよ!!」
「はいはい、分かったよ。履けばいいんだろ。ほら、着たぞ」
リハルは毛布の隙間からチラリと覗き込んだ。
「……本当ね」
「肉を食べるか? 今焼いたんだ」
リハルは一瞬で毛布をはね除けた!
「お肉!? 食べる食べる! 早く持ってきて、お腹ペコペコなの!」
(『お肉』って言葉を聞いた瞬間、世界で一番素晴らしいものを貰ったみたいに機嫌が直るんだからな……)
ユルは呆れつつも微笑んだ。
「待ってろ、トレイを持ってくるから」
ユルが肉を差し出すと、リハルは幸せそうに頬張り、目を輝かせた。
「ん〜〜っ! 美味しい! やっぱりユルの料理は最高ね!」
「そうか? 君が肉に目がないのは知ってるから、多めに作っておいたよ」
「本当にありがとう! ……あ、そういえば木材の取引はどうするの? いつ行くの?」
ユルは心の中で冷や汗をかいた。
(ヤバい、何時に取引するか言ってなかった……! どう誤魔化す……? あ、そうだ!)
ユルは事もなげに言ってみせた。
「あー、急に取引時間が朝の六時に変更になってさ。君がぐっすり寝ている間に、もう全部売ってきちゃったよ。死んだように眠ってたから覚えてないだろ?」
「ええっ!? じゃあ、これから私たちはどうするの?」
「うーん、どうしようか。君が街のフェスティバルとお祭りを見たいって言ってたから、二日間はこの街に滞在する予定だよ。つまり……パーティータイムだな!」
「本当!? パーティータイム! やったー!」
「まあ、パーティータイムなのは君だけで、僕は違うけどね」
リハルは途端に口を尖らせ、困惑した。
「どういう意味よ? 一人で観光しろって言うの? ルートだって分からないのに! なんでユルは来ないのよ?」
ユルは優しく諭すように説明した。
「リハル、聞いてくれ。僕は昨日の夜から一瞬も寝てないんだ。今から一緒に行ったって、眠くて楽しめない。だから僕の知り合いに、君のショッピングにつき合ってもらうよう頼んであるんだよ。フェスティバルは夜からだから、夕方にお祭りの会場で合流しよう」
リハルの鋭い直感が、その中の一言を見逃さなかった。
(……知り合い? それって……女の子!? 女性!? たぶん女の子よね……待って、まさか彼の彼女とかじゃないでしょうね!? どうやって問いただせばいいのよ!?)
リハルは一瞬で激怒モードに切り替わった!
「知り合いってどういうことよ!? 女の子なの!? 私に黙って彼女でも作ったの、この浮気男!!」
ユルは両手を振って焦った。
「何を言い出すんだよリハ! ただの知り合いだよ! 街に木材を売りに来るときはいつもこのホテルに泊まっていて、彼女はここのレセプショニストなんだ。だからたまに世間話をするってだけさ。名前はキュウキっていうんだよ」
(私の知らないところでそんなことが起きてたの!? 部屋、ホテル、女の子、そしてユル……!? 直接その女と話さなきゃ! それが真相を確かめる唯一の方法よ!)
リハルは表面上、フンと鼻を鳴らした。
「ふん! いいわよ、キュウキって人と買い物に行ってくるわ」
「よし、決まりだな!」
ユルは笑って続けた。
「一階に降りたら、フロントのすぐ近くに立っているはずだから」
(……行かなきゃいけないけど、本当はユルをここに一人にしておきたくないなぁ。足でも挫いて、どこへ行くにもユルの腕の中で抱っこしてもらえたらいいのに……。そんなこと考えるだけで胸がキュンとしちゃう。でも、行かなきゃ)
リハルはコートを羽織り、靴を履くと、ドアの前で振り返った。
「何かあったら、すぐに電話しなさいよ?」
ユルは可笑しそうに笑いながら、彼女の背中を優しく押し出した。
「早く行きなよ! 心配されるような子供じゃないんだから。行って思いっきり楽しんでおいで」
ユルは彼女を部屋の外へ送り出してドアをロックすると、即座に服を脱ぎ捨ててパンツ一丁に戻り、そのままベッドへと豪快にダイブして深い眠りについたのだった――。
第3章「木材販売システム」 完
第4章:翌晩




