第13話:キュウキの選択
ジャンキャストとリハルが病院へと戻ってきた。
リハルは待合室の椅子にどっかりと腰掛け、ジャンキャストが作ってくれた温かいお粥を嬉しそうに頬張っていた。廊下には仲間たちが集まり、医師が部屋から出てくるのを今か今かと固唾をのんで待っている。
ついに、扉が開いて医師が姿を現した。ユルがすかさず前に出る。
「先生、面会は可能ですか?」
「ええ、ですがお一人ずつでお願いします」
「分かりました」
ユルは一同を見渡した。
「……で、誰が最初に入る?」
扉のガラス窓から中を覗き込んでいたセムリが、思わず声を上げた。
「みんな、見て! キュウキが何か指さしてるわよ!」
全員が身を乗り出してガラス窓を覗き込んだ。病室の中のキュウキは、人差し指をピシッと立てて、まっすぐリハルを指さしていた!
ユルは呆れて白目をむいた。
「おいおい……こんなに人がいるのに、なんであいつなんだよ!?」
ジャスキがくすくすとおかしく笑った。
「キュウキがリハルを最初にご指名なら、従うしかないじゃない。当の『主役』を見てみなさいよ――自分のお粥の世界にどっぷり浸かって夢中じゃない!」
ユルが声を張り上げた。
「リハル!」
反応なし。
「リハルっ!」
やっぱり反応なし。
ユルは腹の底から叫んだ。
「リ――――ハ――――ル――――っ!!」
スプーンを口にくわえたまま、リハルはパチパチと瞬きをして顔を上げた。
「……何か言った、ユル?」
ユルは痛む眉間を揉みながら、モコンに向き直った。
「モコン……俺の発狂が限界を迎える前に、あいつに説明してくれ……」
モコンは苦笑いを浮かべた。
「リハル、キュウキが中であなたを呼んでいるよ」
リハルの目がパッと輝いた。
「本当!? 今すぐ行くわ!」
リハルはお粥の入ったお弁当箱を大事そうに抱え直すと、いそいそと病室へ向かって歩き出した。
ユルが立ちふさがり、通せんぼをした。
「まずその弁当箱を置いていけ!」
リハルは胸元にお弁当箱をぎゅっと抱きしめた。
「キュウキだってお粥を食べたいかもしれないじゃない!」
ユルは頭を抱え、強引にお弁当箱を奪い取ろうとした。
「医者から固形物は厳禁だって言われてるだろ!」
リハルも負けじと全力で引っ張り返した。
「分かったわよ! 私が自分で食べるから!」
「嘘をつけ! 絶対キュウキに食わせる気だろ!」
「食わせないって約束するわよぉ!」
見かねたモコンが二人の間に割り込み、必死で仲裁に入った。
「リハル、落ち着いて! ユルも引っ張るのをやめろって!」
近くの椅子に腰掛けたジャンキャストは、このカオスなドタバタ劇をニヤニヤしながら眺めていた。
(……まったく、リハルがいて食い物が絡んで、喧嘩にならないわけがないよな……)
――その時!
リハルのぬめっとした指先が、お弁当箱の滑り止めからすっぽ抜けた!
パカッと蓋が勢いよく開き、中の温かいお粥が逆さまになって――ベチャッ!! とユルの頭頂部に直撃した!
リハルは大爆笑しそうになったが、ユルの鬼のような般若顔を目にした瞬間、必死で口を押さえて笑いを噛み殺した。
「ご、ごめんなさい! 私、先に入ってるわね!」
彼女は逃げるようにキュウキの病室へ飛び込むと、ユルの視線を遮るようにサッとカーテンを閉めた!
ユルが怒りを爆発させる間もなく、頭からお粥を被った彼の姿を見たジャンキャストが、ついに耐え切れず大爆笑を破裂させた!
「ブハッ……! クハハハハハッ!!」
――病室の中。
リハルが滑り込んでくると、ベッドのキュウキは彼女の姿を見て弱々しく吹き出した。
「ふふ……リハル……あなたって本当に、何があっても変わらないわね……」
リハルはキュウキの姿を見つめた。
自慢の長い髪は綺麗に剃り落とされ、頭皮には黒い手術痕が幾重にも交差し、出血を防ぐための痛々しい縫合糸が細かく並んでいた。
親友のそんな姿を目にした瞬間、リハルの目からボロボロと涙があふれ出した。
キュウキは優しく微笑んだ。
「……また泣くつもり?」
リハルは鼻をすすりながら頬を拭った。
「……泣かないわよ。調子はどう、私のビール飲み友達?」
キュウキは弱々しくニヤリと笑ってみせた。
「最高に決まってるじゃない!」
「こんな状態のどこが『最高』なのよぉ……っ!」
リハルは溢れ出る涙を止められなかった。キュウキは天井を見上げ、静かで穏やかな声を響かせた。
「リハル……お父さんが昔言っていたの。目が覚めて生きている、それだけで素晴らしいことなんだって。世の中には、そのチャンスすら与えられない人がたくさんいるんだから」
「……あなたのお父さん、ただのお父さんじゃなくて作家か何かだったんじゃないの?」
「ふふ……本当の作家だったわよ」
リハルは言葉を濁し、声を低くした。
「……お医者様から、下半身のこと……聞いたの?」
キュウキは静かに頷いた。
「ええ、聞いたわ。でも、どうしようもないじゃない? 元はと言えば自分の不注意なんだし」
「……これから、どうするつもりなの?」
キュウキの瞳に、静かな決意の光が宿った。
「ここを退院した後の計画なら、もうバッチリ立ててあるわ!」
「え? 教えて、どんな計画?」
「退院したらね、座ったまま快適にできるパソコンの仕事を探すの! 私、パソコンを操作するの大好きなのよ」
リハルの顔がパッと華やいだ。
「それ、最高のアイデアじゃない!」
一転して、リハルは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ところで……ジャンキャストからプロポーズされたんですって?」
キュウキはかすかに頬を染めた。
「……ええ、聞いたのね」
「で……結婚式はいつにするの!?」
キュウキの笑みが消え、切なく静かな表情へと変わった。
「……バカね、リハル。現実的に考えなさいよ。こんな身体になった私と……ジャンキャストどころか、どこの男だって結婚したがるわけないじゃない」
「でも、ジャンキャストは『準備できてる』って言ってたわよ!」
リハルの口からその言葉が飛び出した瞬間、キュウキの目から大粒の涙があふれ出し、頬を伝い落ちた。
彼女は押し殺していた感情を破裂させ、激しく泣き崩れた。
「リハル……っ! 抱きしめて……近くに来てちょうだい……っ!」
リハルは即座にベッドの脇に飛び乗った。キュウキはリハルの胸に顔をうずめ、手放しで泣きじゃくった。
「本当に……っ! 本当にあの人がそう言ったの……っ!?」
リハルは彼女の頭を優しく撫でた。
「ええ、本当に言っていたわ」
「私……もう誰も私と一緒にいてくれないと思ってた……一生、一人ぼっちで生きていくんだと思ってたの……っ!」
リハルはキュウキの背中を優しくさすり、深い温もりを込めて語りかけた。
「そんな風に考えちゃ駄目よ。ユルへの気持ちを12年間も言い出せずに、毎日息が詰まりそうだった私を見捨てなかったのは誰? あなたがくれた一本のビールが、私の世界を全部変えてくれたのよ! そんな私が、あなたを見捨てるわけないじゃない! 絶対に離れないわ!」
キュウキはリハルを強く抱きしめ、涙声で囁いた。
「ありがとう……リハル……本当にありがとう……っ!」
「いいのよ! さあ泣くのはおしまい。しっかり休んで、早く回復しなさい!」
涙を拭いながら、キュウキが尋ねた。
「早く回復して、どうするの?」
リハルは誇らしげに胸を張った。
「決まってるじゃない! 私たちの村へ一緒に行くのよ!」
キュウキの顔に、心からのあたたかな笑顔が戻った。
「……ええ、素敵ね!」
リハルは肘でちょんと突いた。
「さあ、外で待ってるおバカさんを呼んできなさい。自分が原因で事故が起きたんだって思い込んでるんだから」
「……通してちょうだい」
リハルはカーテンを引き開けて外へ出ると、大声を上げた。
「ジャン! キュウキが呼んでるわよ!」
シンクで濡れティッシュを使い、髪についたお粥を必死で洗っていたユルが振り向いた。
「リハル、あいつちゃんと喋れてるか?」
「ええ、少し頭痛があるみたいだけど、バッチリ喋れてるわよ!」
ユルはジャンキャストの肩を力強く叩いた。
「ジャンキャスト、行ってこい。話してこいよ」
ジャンキャストは深く息を吸い込むと、病室へと足を踏み入れ、後ろのカーテンを静かに閉めた。
ベッドの上から彼を見上げるキュウキ。その口元に、小さく温かな笑みが浮かんでいた。
「……私のプレゼントは、どこ?」
【第13話:キュウキの選択――完】




