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魔王を看取った男 ──介護福祉士・矢野透の異世界救済譚──  作者: もしものべりすと


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第九章 帝国の影

コボルト討伐は二日で終わった。


ガレンの剣が群れの先頭を切り崩し、ファラの弓が後衛を一射ずつ射抜き、俺は逃げた敵の動線を読んで挟撃した。役割分担は単純で、しかし無駄がなかった。介護現場の連携と同じ理屈だった。誰がどこで何をするかが明確であれば、人数以上の力が出る。


二日目の夕方、俺たちは討伐の証拠としてコボルトの右耳を集めて袋に詰めた。それは介護現場での「処置記録」と同じように事務的な作業だった。倒した。証拠を集める。報告する。報酬を受ける。次に進む。命の重みを淡々と数値化する流れは、施設のKPI管理に似ていた。


「ファラ 大丈夫か」


俺は彼女に声をかけた。


「大丈夫」


「呼吸が浅い」


「斜面を駆け下りたから」


ファラの返答は短かった。彼女は時々、自分の体について聞かれることを嫌がった。それを尊重しつつ、俺は彼女のペースを観察し続けた。介護現場の見守り。本人が自立を望むなら、介入しすぎない。だが転倒の予兆が見えたら即座に動く。


ガレンが俺の様子を見て、一度だけ短く頷いた。「お前は良い目をしている」と、その頷きは言っていた。


ギルドに戻って報酬を受け取った日の夜、俺たちは宿屋の食堂で祝杯を挙げた。


ガレンは満足げにエールを呷っていた。


「お前は化けるぞ ヤノトオル」


「Fが二日で何匹倒したと思う?」


ファラが指を折って数えた。


「十二匹。ヤノトオルが直接倒したのは二匹。あとは挟撃と誘導」


「そう、それが冒険者の仕事だ。一人で全部殺すんじゃない。仲間と組んで効率よく動く」


ガレンは杯を俺に向けた。


「今日 ギルドに行って手続きしてきた。お前のFランクは飛び級でDに上げてもらう」


「飛び級?」


「Fから始めたばかりの新人を Dまで飛ばすのは異例だ。だがランク管理官が お前の戦闘記録を見て同意した。基本的にギルドは戦った相手の数より連携の質を見る。お前は Dの動きをしてる」


俺は驚いた。


「ガレンの推薦か」


「半分はな。半分はお前の実力だ」


杯を合わせた。エールはぬるかったが、冷たい外気の後だと旨かった。


ファラはエールではなく薄い果実酒を飲んでいた。彼女の顔色は、討伐の疲労からか少し青ざめていた。


「ファラ 早く休め」


ガレンが言った。


「うん」


ファラは果実酒を飲み干して立ち上がった。


「先に上がる」


彼女は階段を上がっていった。足取りは軽くないが、確かだった。


ガレンと俺だけが食堂に残った。


ガレンは表情を変えた。さっきまでの祝杯の調子が消えて、別の話を切り出す前の顔になった。


「ヤノトオル」


「何だ」


「お前 帝国の話を どこまで知っている」


「全くだ」


「フェルガンド帝国だ。アルデリアの南東。元は小国の集まりだった連合体が、十年前に統一されて急速に膨張している」


「魔王軍とは別か」


「別だ。魔王軍は東の歎きの荒野から来る。帝国は南東。挟まれているのが俺たちアルデリアだ」


ガレンは指でテーブルに地図を描いた。エールを指に付けて、湿った跡で大陸の輪郭をなぞった。北のアルデリア。南東のフェルガンド。東端の歎きの荒野。


「魔王軍と帝国は手を組んでいる」


ガレンは言った。


「証拠は」


「明確な証拠はない。だが帝国の進軍と魔王軍の進軍が連動している。アルデリアが魔王軍の対応で東に兵を寄せると 帝国が南から押してくる。逆もまた然り」


「挟み撃ち」


「そうだ。アルデリアはどちらかに対応すればもう一方に喉を晒す。じわじわと領土を削られている」


俺はガレンが描いた地図を見つめた。


「帝国を率いているのは誰だ」


「皇帝はいる。だが実権は宰相にある」


「宰相」


「三年前にどこからか現れた男だ。出自不明。突然帝国に現れて、軍政改革を断行した。徴兵制度の効率化。奴隷兵の運用。物資の流通システムの再構築。どれも帝国の戦力を桁違いに引き上げた」


俺は杯を手に取りかけて、止めた。


何かが、頭の片隅で警報を鳴らしていた。


「名前は」


俺はガレンに聞いた。


「クラハシ」


その瞬間、俺は息を呑んだ。


「もう一度 言ってくれ」


「クラハシ・テツヤ。フェルガンド帝国宰相」


ガレンの声がやけに遠く聞こえた。


俺の耳の奥で、雪の朝のバスのクラクションが鳴った。隣の席の細い目の男。「人を 効率的に処理するっていうのは 間違いなんですかね」と呟いた声。「私も もしかしたら あなたと同じ側の人間かもしれない」と続けた声。


倉橋哲也。


俺と同じバスで死んだ男。


俺と同じように、新しい器を与えられて、この世界に来ていた。


俺の表情が変わったらしい。ガレンが目を細めた。


「知っているのか」


俺は答えなかった。答えられなかった。


「ヤノトオル」


「いや」


「明らかに何かを知っている顔をしている」


「同じ名前の男を 別のところで聞いた気がするだけだ」


嘘だった。ガレンも嘘だと分かっていた。それでも追求はしなかった。彼の経験が、踏み込むべきでない領域を察知したらしい。


俺は杯を一気に呷った。


エールが喉を焼いた。


「クラハシは どんな男だ」


「会ったことはない。噂だけだ」


「噂を聞かせろ」


「冷酷無比。情に流されない。部下を将棋の駒のように使う。負傷兵は救護せず後送もせず その場で処分する」


「処分」


「殺すという意味だ。治療コストを切り下げて新兵に予算を回す」


「兵士は反発しないのか」


「反発した者は同じく処分される。家族ごと」


俺は黙った。


──やはり、倉橋だ。


倉橋は元の世界でも、利用者を「効率的に処理する」ことに執着していた。介護記録のKPI。班の数字。家族からの苦情の処理速度。彼の論理は冷たく一貫していた。


その論理が、剣と魔法の世界で軍政に適用されたら、どうなるか。


答えは、ガレンが描いた地図の中にあった。


膨張する帝国。削られるアルデリア領土。膨大な戦死者の山。


俺は手のひらで顔を擦った。


「ヤノトオル」


ガレンの声が低くなった。


「お前 何を考えている」


「考えるな と言われても 考える」


「帝国に行くつもりなら 止めとけ」


「行かない」


「その目は 行く目だ」


俺はガレンの目を見返した。


ガレンの目は読んでいた。元騎士団長の目は、人の意図を見抜く訓練を積んでいた。介護現場でいえば、認知症の利用者の不穏行動の予兆を察知するベテラン介護士の目に近かった。誤魔化しは効かない。


「俺は」


言いかけて、止めた。


何を言うつもりだったのか。


「俺はあの男を知っている」と言うつもりだったのか。


「同じ世界から来た」と告白するつもりだったのか。


それを言えば、どこまで信じてもらえるか。リシェルは信じた。だがガレンは、もっと懐疑的な男だ。彼は剣で生きてきた人間だった。剣の世界は確実な事実しか信じない。確認できないものは敵か味方か区別できないだけ。区別できないものは生かしておけば命取りになる。


俺は別の言葉を選んだ。


「英雄になりたい」


ガレンは少し驚いた顔をした。


「英雄?」


「英雄の証 という古代遺物があるらしい。知ってるか」


「エルダーズ・シールか。伝承だな」


「魔王城の最深部にある」


「らしいな。だが 歴代の勇者は誰も到達できていない」


「俺が取りに行く」


ガレンはエールを一口飲んでから、首を振った。


「Fランクから始めたばかりの男が言う台詞じゃない」


「Dランクに上がったろ」


「Dからでも遠い」


「いつかは行ける」


「いつかは な」


ガレンは笑った。


「だが お前のような奴の方が 案外そういうのに辿り着く。冷静で 妙に技術がある奴は 死ににくい。死ににくければ 経験が積み上がる。経験が積み上がれば 力がつく。力がつけば 遠くまで行ける」


「お前は 俺と一緒に行くか」


「行く。妻と子の仇は 結局は魔王軍の手にあった。魔王城に行くなら 俺の道とも交わる」


「ファラは」


「あいつ次第だ」


俺はその答えに頷いた。


二人は杯を合わせた。


エールの泡が小さく音を立てて弾けた。


──


その夜、俺は宿屋の自分の部屋で長く眠れなかった。


倉橋がこの世界に来ていた。


それは、俺の中の何かを変えた。


俺は最初、この世界での生活を「やり直し」と呼んでいた。母さんを看取れなかった俺の人生をリセットして、英雄になって新しい自分になる。それが俺の目的だった。


しかし倉橋の存在は、俺の「やり直し」が独りよがりでないことを示した。バス事故で死んだ二人の魂は、両方ともこの世界に運ばれていた。そして、俺と倉橋は、それぞれ別の側で「やり直し」を始めていた。


俺はリシェルと出会い、ガレンと出会い、ファラと出会い、英雄を志した。


倉橋は、おそらく出会ったすべての人間を「資源」として扱い、効率的な軍政を構築した。


俺と倉橋。


二人の選択は、出発点は同じだったはずだ。


「人を 効率的に処理するっていうのは 間違いなんですかね」


倉橋はあのバスの中で、そう呟いた。


あの問いに対する答えを、二人はそれぞれ別の場所で探していた。


そして、二人の答えは、おそらく相反していた。


──いや、本当にそうか。


俺は天井を見上げた。


俺は本当に倉橋と違う側にいるのか。


集落の老人の手を反射的に避けようとした俺。少年の傷を見ても感情を動かさなかった俺。ファラを最初「患者」として見た俺。


俺の冷たさは、倉橋の冷たさと、本質的にどれだけ違うのか。


倉橋はあの朝のバスで、こう呟いた。


「私も もしかしたら あなたと同じ側の人間かもしれない」


あの言葉は、俺への当てつけではなかった。あれは倉橋自身の不安だった。彼もまた、自分の冷たさが正しいのかどうか、分からなくなりかけていた。あの瞬間に倉橋は揺れていた。揺れていた人間が、こちらの世界では効率主義の権化として君臨している。


──彼もやり直したかったんだろうか。


ふと、そう思った。


倉橋もまた、新しい器を与えられて、別の側で「やり直し」をしているとすれば、彼の選択は彼なりの「やり直し」だ。揺れていた自分を否定して、揺れない自分を確立する方向に振り切ったのかもしれない。


俺は逆方向に振り切れるのか。


揺れない自分から、揺れる自分へ。冷たい男から、温かい男へ。


それは、本当にできるのか。


その問いに、俺はその夜、答えを出せなかった。


二つの月の光が、窓から細く差し込んでいた。


俺は寝返りを打った。


ファラの澄みすぎた目が、頭の中でちらついた。


ガレンが描いたエールの地図が、頭の中でちらついた。


リシェルの「お疲れさまでした」という声が、頭の中でちらついた。


そして、母さんの最後の「ありがとう」の口の形が、最後にちらついた。


明日からは、また依頼がある。


考えるより動く。それが、俺の生存戦略だった。


しかし、考えることから逃げ続けても、いつか追い詰められる日が来る。


そんな予感だけが、その夜の俺の眠りを浅くしていた。


──


翌朝、ギルドに行くと依頼の張り紙が一枚増えていた。


『王宮直接依頼。北部第二街道で発生した魔王軍の偵察隊撃退及び情報収集。Cランク以上推奨。報酬は金貨十枚。同行者三名以下』


ガレンが俺の隣で張り紙を見ていた。


「これは」


「王宮が直接出した依頼だ。珍しい」


「報酬がいい」


「だが リスクも高い。魔王軍の偵察隊は強い。Bランクパーティでも全滅した記録がある」


ガレンは腕を組んだ。


「だが お前のDランク昇格もある。やるか」


ファラがいつの間にか後ろに立っていた。


「私は行く」


ファラは即答した。


「お前は」


ガレンが俺に聞いた。


俺は張り紙をもう一度見た。


魔王軍の偵察隊。情報収集。


ここで稼げば、もっと深い装備を買える。Cランクへの足掛かりにもなる。何より、魔王軍の動きを直接見ることは、俺がいつかエルダーズ・シールに辿り着く道のりの第一歩だった。


「行く」


俺は答えた。


ガレンは頷いて、依頼書を剥がしてカウンターに持っていった。


依頼は受理された。出発は明日の早朝。


俺たちはその日の午後を準備に費やした。装備の点検。携行食の調達。地図の確認。


宿屋に戻る道すがら、ファラが俺の隣を歩いていた。


「ヤノトオル」


「ん」


「あなた さっきから何か 隠してるよね」


俺はファラの方を見た。彼女の澄んだ目は、まっすぐ俺を捉えていた。


「隠してる」


「教えてはくれない?」


「いつか」


「いつかじゃ ダメだよ」


「ダメか」


「私 いつか までは 待てない」


俺は黙った。


ファラの声には責めの色はなかった。ただ事実として、彼女は時間が短いことを知っていた。だから「いつか」を待つ余裕がなかった。


「分かった」


「教えてくれる?」


「明日の依頼が終わったら 話す」


「約束ね」


「約束だ」


それは、海に連れて行くという約束に続く、二つ目の約束だった。


俺は約束を、また増やしていた。


それは、母さんを老健に入れて以来、俺がしてこなかったことだった。

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