第八章 パーティ結成
翌朝のギルドはざわついていた。
カウンターの前に二十人ほどの冒険者が集まっていた。掲示板の前にも人だかりができていた。
「何があった」
俺は隣に立っていた中年の冒険者に聞いた。男は俺をちらりと見て、それから掲示板を指差した。
「ドラゴンだ」
「は」
「いや 正確には亜竜種。トカゲドラゴンが東の街道に出た。商隊が三つ襲われた。ギルドが緊急依頼を出した」
掲示板には大きな依頼書が貼られていた。報酬は金貨五十枚。最低Bランクパーティ推奨。
俺はその数字を見て、新しい器の若い体に少しだけ興奮を感じた。一晩で財布が裕福になる金額。だが俺はFランクだ。受けられる依頼ではない。
「見ない顔だな」
中年の冒険者が言った。
「昨日登録した」
「Fか」
「ああ」
「Fが東の街道なんかに出たら骨も残らねえぞ」
「わかってる」
俺は掲示板の別の箇所を見た。Fランク向けの依頼は二、三枚しか貼られていなかった。薪集め。畑荒らしのウサギ駆除。近郊の道路掃除。報酬は銅貨数枚。
──地味だ。
しかし俺はそれを受けようとカウンターに進みかけた。
そこで肩を叩かれた。
振り返ると、昨日のベンチに座っていた古参の男が立っていた。
「ヤノトオル」
「ガレン だったか」
「覚えてたか。ちょうどいい。話がある」
「俺に」
「お前を見込んでだ」
ガレンはギルドの隅のテーブルに俺を誘導した。俺はテーブルの椅子に腰を下ろした。ガレンは向かいに座ると、エールの杯を二つ頼んだ。
「俺はBランクだ」
ガレンは前置きをした。
「東の街道のドラゴン依頼を受けるつもりでいる。ただ、俺のパーティは先月二人欠けた。一人は怪我で長期離脱。一人は故郷に帰った。だから今、人が要る」
「俺はFランクだ。脚を引っ張る」
「お前は妙な動きをする。昨日見ていて分かった」
ガレンの目は鋭かった。日に焼けた顔に深い皺が刻まれていた。手のひらは剣ダコで硬かった。介護現場の老人とは違う種類の手だった。長年武器を握り続けた手だった。
「介護の仕事をしていたと言ったな」
「ああ」
「介護で何をする」
「老人を持ち上げる。風呂に入れる。下の世話をする。傷を診る。状態を見る。死を看取る」
ガレンは杯のエールを一口飲んだ。
「死を看取る」
「ああ」
「そうか」
ガレンは少しの間、黙った。それから低い声で言った。
「俺の妻と子は三年前に魔王軍に殺された」
俺はその告白に答える言葉を持たなかった。
「俺は復讐のために剣を握っている。そう自分に言い聞かせている。だが正直に言えば、俺は死そのものに近づきたいのかもしれん。妻と子の死がどんなものだったのか、確かめたいのかもしれん」
ガレンは杯を置いた。
「お前は死を見てきた人間だ。違うか」
「違わない」
「だったら 俺と組め。報酬は均等割り。お前の格に関係なく」
「Fが東の街道に行けば死ぬ」
「お前は死なない」
「根拠は」
「勘だ」
俺は笑いそうになった。プロの冒険者が「勘」で俺を選ぶとは。だがその「勘」は介護現場でも俺がよく使うものと同じだった。データには表れない、観察の集積から生まれる直感。
「もう一人 来る」
ガレンは指を上に向けた。
ギルドの二階の階段から、小柄な人影が降りてきた。
最初は子どもかと思った。
降りてきたのは少女だった。十代半ばの背丈。長い金髪を一本に結っていた。耳が長く尖っていた。エルフ。あるいはハーフエルフ。彼女は薄い緑色の旅装をまとい、背中には短い弓を背負っていた。腰には小さな投げナイフが二本。動きには無駄がなく足音はほとんどしなかった。
少女は俺たちのテーブルに来ると、ガレンに頷き、それから俺を見た。
その目は驚くほど澄んでいた。澄みすぎていた。介護現場で末期の利用者の目に時々見るあの澄み方に近かった。死を遠い他人事として持っていない目。自分の終わりを知っている目。それを十代の少女がしているという事実に、俺は胸の奥で軽く息を呑んだ。
「ファラ」
ガレンが紹介した。
「斥候だ。耳と目は誰よりも利く」
「よろしく」
ファラは静かに言った。声は少女らしいが、抑揚は妙に大人びていた。十六年の人生を二倍速で生きてきたような、古い少女だった。
俺は名乗った。
「ヤノトオル」
「変な名前」
「東方らしい」
「東方の人 初めて見た」
ファラは俺の隣の椅子に腰を下ろした。動きが軽い。骨が細い。介護現場で痩せていく利用者を毎日観察してきた俺の目には、彼女の身体の細さがどこか不健康に見えた。皮下脂肪が極端に少ない。筋肉量も少ない。それでいて目には生気がある。生気と消耗が同じ顔の中で同居している人間の典型的な姿だった。
「ファラ」
俺はつい確認した。
「君 体は」
「平気」
「いや」
「平気だってば」
ファラは口を尖らせた。少女らしい仕草だった。だが彼女が席に着くときの動作の中で、わずかに胸を押さえた瞬間を俺は見逃さなかった。
ガレンが話を引き取った。
「ファラはハーフエルフだ。生まれつき体が弱い。エルフの寿命を半分以下しか生きられない、と医者には言われている」
「どれくらい」
俺はガレンに聞いた。
「あと数年だ」
ガレンは静かに言った。
ファラは何も言わなかった。
俺はテーブルの木目を見つめた。
「それで君は 冒険者になったのか」
俺はファラに聞いた。
「死ぬまでに 世界を見たいから」
ファラは答えた。
その答え方は、軽くもなく重くもなく、ただ事実を述べる調子だった。介護現場で末期の利用者がよくする話し方に似ていた。死を遠い他人事ではなく自分のものとして抱え始めた人間の話し方。
俺は息を吐いた。
「俺は」
俺はガレンとファラを順番に見た。
「お前たちと組む」
ガレンは杯を上げた。
「歓迎する」
ファラは小さく頷いた。それから、初めて笑顔を見せた。
その笑顔は、彼女の若さと、彼女の中にある時間切れの感覚とが、一瞬だけ重なったような、不思議な笑顔だった。
──
その日の午後、俺たちはギルドで正式にパーティ登録をした。
パーティ名はガレンの古い相棒から引き継いだ「灰の翼」だった。
依頼はドラゴン討伐ではなかった。ガレンは冷静で、Fランクの俺がいる以上、いきなり大物には行かなかった。代わりに選んだのは中規模の依頼。北西の鉱山街道で発生しているコボルトの群れの掃討。報酬は金貨二枚。三人で分けて銀貨換算で六十六枚と少し。Fランクの俺にとっては大金だった。
「装備を整えろ」
ガレンは俺に命じた。
「報酬の前借りで革鎧と靴は買える。ギルドが冒険者向けに前貸し制度をやっている」
「分かった」
その日の午後、俺はギルドが提携している装備店を訪ねた。店は冒険者ギルドから歩いて二分、石造りの低い建物の地下にあった。階段を降りると革と油と金属の匂いが入り混じった空気が鼻をついた。介護現場の倉庫で防護具と消毒液の匂いが混じる感覚に少し似ていた。
店主は無口な中年の男だった。腕に古い切り傷の跡があった。元冒険者だろうか。彼は俺の体格を一目で測り、隅から革鎧を取ってきた。
「Fから上がったばかりの新人 だな」
「Dに上がる予定だ」
「胸の厚さに合わせる。動きの邪魔にならない 軽量タイプ」
革鎧は思ったより軽かった。胴と肩を覆うだけの簡素な造り。だが要所には金属板が縫い込まれていて、心臓と肝臓の位置だけは硬く守られていた。介護現場で利用者をベッドから起こすときに腰に巻く介護用ベルトを思い出した。あれも要所だけを補強する設計だった。
「靴は」
俺は聞いた。
「あんたの今の靴 もう底が割れてる。これにしろ」
店主は重そうな革靴を出してきた。底に鉄の補強板が縫い込まれていた。試しに履いた。一歩踏み出すと足裏全体が地面を捉える感覚が伝わった。長距離歩行で水ぶくれを作っていた俺の足には、これは救いだった。
「ナイフは」
「もう少し大きめの 投擲もできるやつ」
「そっちのほうがいい」
俺は革鎧と靴とナイフをまとめて買った。報酬の半分が消えた。それでも装備が整った安心感の方が大きかった。
ファラは隣で自分の弓を磨いていた。短弓だった。彼女の体に合わせた小さな弓。矢筒には十本ほどの矢。
「ファラの矢は一本一本に魔法の刻印がある」
ガレンが説明した。
「彼女自身は魔法は使えない。だが矢に込められた術式が発動する。エルフの祖父が彼女に残してくれたものだ」
「祖父は」
「五年前に亡くなっている」
ファラは顔を上げなかった。弓の弦を指で弾いて音を確かめていた。
俺はガレンに聞いた。
「ガレン お前は 戦士か」
「元騎士団長だ」
「は」
「アルデリア王国の北部第三騎士団の団長だった。妻と子が死んだ後 騎士団を辞めた。冒険者になって金で動く方が気楽だった」
「気楽 とは思えない仕事だが」
「気楽だ。命令系統がない。誰かを守らなくてもいい。死にたければ死ねる」
ガレンの言葉には、自嘲の響きがあった。
俺はそれ以上、ガレンの過去について聞かなかった。
聞けば、自分の過去を返さなければならない気がした。母さんの話。看取れなかった話。それを、まだ俺は誰にも話していなかった。リシェルにすら、断片しか話していなかった。
──
その夜、宿屋の食堂で俺たち三人は夕食を取った。
ガレンは羊肉のシチューを大盛りで頼み、ファラは果物と硬いパンだけを取った。俺はその中間ぐらいの量を頼んだ。
「ファラ」
俺は彼女に聞いた。
「肉は食わないのか」
「胃が受け付けない時がある」
「水分は」
「とってる」
「果物だけだと栄養が偏る」
ファラは俺を見上げた。
「あなた 介護福祉士って言ってたっけ」
「ああ」
「もしかしてだけど 私のこと 患者扱いしてる?」
俺は一瞬、答えに詰まった。
していた。それは自覚していた。しかしそれを認めれば、彼女のプライドを傷つける。介護現場で何度も陥ってきた罠だった。「あなたのため」は、しばしば相手を貶める。
「悪い」
俺は素直に謝った。
「気をつける」
ファラは少し意外そうな顔をした。それから笑った。
「気をつけなくていい。気にかけられるの 嫌じゃない」
ガレンが横で小さく笑った。
「ファラがそう言うのは珍しい」
「ガレン うるさい」
「俺は事実を言っただけだ」
ファラは頬を膨らませた。子どもらしい顔。十六歳の顔。あと数年で消えるかもしれない顔。
俺はその顔を、しばらく見つめた。
胸の奥で、また何かが揺れた。
封をしていた段ボール箱の角が、もう一度、わずかに揺れた気がした。
俺はその揺れを振り払うように、シチューに口をつけた。
ファラが俺に話を振った。
「ヤノトオルの故郷の食べ物は どんなの?」
「米って穀物を炊いて食う。それと魚と豆と海藻」
「カイソウ?」
「海の中で揺れる植物だ。乾かして食う」
「変な国」
「変な国だ」
ファラは笑った。それから少しトーンを落として続けた。
「私 海を見たことがない」
「そうか」
「死ぬ前に 一度見たい」
ガレンが視線を伏せた。俺もしばらく言葉を返せなかった。
「俺の故郷は海に囲まれている」
俺はそれだけ言った。
「いいなあ」
ファラは果物の皮を剥いていた。彼女の細い指は、リンゴに似た果物の皮を見事な螺旋に剥いていく。器用な手だった。あと数年で動かなくなるとは思えない手だった。
「ヤノトオル 海って どんな匂いするの」
「塩の匂い。あと魚の匂い。風があれば もっと遠くまで匂う」
「魚」
「川の魚と違う。海の魚はもっと油が乗っていて 焼けば脂が落ちる」
「食べてみたい」
「いつか連れて行く」
その言葉は、口から出てから自分でも驚いた。
俺は誰かを「いつか連れて行く」と言える人間ではなかったはずだった。母さんを老健に入れた日から、誰かに何かを約束する力を、俺は失っていた。
それでも、ファラに対しては、自然に出た。
ファラは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「約束ね」
「約束だ」
ガレンが横で杯を呷っていた。何も言わなかった。だが彼の口の端には、わずかな微笑があった。
明日からは、また依頼が始まる。
それでよかった。
俺は考えるより、動いている方が、自分が壊れずに済んだ。




