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魔王を看取った男 ──介護福祉士・矢野透の異世界救済譚──  作者: もしものべりすと


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第二十章 歎きの荒野

凍土は静かだった。


雪原の上に何の音もなかった。風さえも、遠く吹いていた。


俺たちは三人で、北の凍土を進んでいた。


俺、ガレン、リシェル。


ファラは、いない。


その不在は、俺たちの歩幅の中に、影として残っていた。


王都を出てから北の凍土の境界までは、馬車で六日。境界から徒歩で更に二日。途中、雪が深くなった。馬車では進めない地点で、俺たちは歩きに切り替えた。雪を踏みしめる音だけが、世界の音の全てだった。


ガレンが時々、後ろを振り返る癖がついていた。彼は無意識に、ファラを背負っていた習慣を、まだ手放しきれていなかった。空っぽの背中を、無意識に確認する動作。介護現場で、長く一緒だった利用者が亡くなった後、しばらくその部屋の前で立ち止まる職員の動作と、同じだった。


リシェルは、ファラの遺骨の小袋を、胸に抱いていた。彼女はその袋を、片時も手放さなかった。


俺は彼女に、声をかけた。


「リシェル」


「はい」


「お前 疲れていないか」


「平気です」


「無理するな」


「無理ではありません。ファラさんと共に歩いている と思えば 重さは半分になります」


俺は深く頷いた。


凍土の三つ目の遺跡には、試練の番人がいなかった。代わりに、雪の中に、半ば埋もれた古い祭壇だけがあった。祭壇の上には、最後の金属片が、雪に覆われて置かれていた。


「試練は どこだ」


ガレンが警戒した目で周囲を見渡した。


「番人は」


「いない」


「罠か」


「違う」


俺は祭壇に近づいた。


雪を払うと、金属片の脇に、文字が彫られていた。


『真の勇者は ここまで来た時 既に三つの資質を示している』


俺は息を呑んだ。


「自己への直視。仲間を切り捨てない強さ。そして 三つ目」


「三つ目とは」


ガレンが聞いた。


「番人は『お前の選択が決める』と言っていた」


俺は祭壇の上の金属片を、ゆっくりと取った。


「三つ目の試練は たぶん 倉橋に会いに行ったことだ」


「敵に 会いに行ったこと?」


「敵を倒すのではなく 看取るために 会いに行った。それが 俺の選択だった」


ガレンは少し考えてから、頷いた。


「真の勇者の三つ目の資質は」


「敵をも 看取る覚悟」


俺は金属片を手のひらに乗せた。


ガレンは、しばらく俺の手の中の金属片を見つめていた。


それから低く呟いた。


「介護福祉士の世界では 当たり前の発想なのか」


「は」


「敵をも 看取る という発想は」


俺は少し考えた。


「介護現場では 敵という存在がいない。ただ 利用者と 介護士と 家族がいる。だが 利用者の中には 暴力的な人も 罵声を浴びせる人もいる。それでも 俺たちは その人を 介助する」


「敵に近い人を」


「そう」


「だから その発想は 自然に出てくる」


「たぶん そうだ」


ガレンは深く頷いた。


「介護福祉士は 普通の戦士よりも 深い場所に手が届く職業だな」


その言葉に、俺は黙った。


普通の戦士にはない視点を、介護福祉士は持っていた。


俺はずっと、自分の仕事を「誰でもできる作業」と見下していた。だがそれは、間違いだった。


俺の仕事は、戦士が見落とす場所に、手を届かせる仕事だった。


それを、ガレンが俺に、教えてくれた。


三つの断片を、合わせた。


光が走った。


三つの金属片が、一つに溶け合い、円形の小さな印章になった。手のひらに収まる大きさ。中央に、二本の手が向き合うような図案。


それは、リシェルの胸元の印章と、似ていた。


──いや、同じだった。


「これは」


俺はリシェルを見た。


リシェルは目を見開いていた。


「中央教会の 印章と 同じです」


「同じ?」


「教会の起源は 千年前に遡ります。古い記録では 千年前に 何かを看取った者が 教会を作った と記されています」


俺はその言葉に、深く呑み込んだ。


エルダーズ・シールは、武器ではなかった。


それは、看取りの印だった。


「行こう」


俺はそう告げた。


リシェルは深く頷いた。ガレンは少し笑った。


「お前が 真の勇者か」


「らしい」


「ハッタリじゃないんだな」


「ハッタリじゃない」


俺は雪原の地平線を見た。


東の方角に、黒い線が見えた。歎きの荒野の境界。あの先に、魔王城がある。


「行こう」


俺はもう一度、告げた。


──


歎きの荒野は、奇妙な場所だった。


雪は降っていなかった。砂漠でもなかった。荒れた草原に、あちらこちらに白い骨が散らばっていた。古い戦場の名残のようでもあり、それより古い何かのようでもあった。


風が冷たかった。風そのものが、何かの嘆きを運んでいるように感じられた。


俺たちは荒野を東に進んだ。


歩いていると、視界の端に、ぼんやりとした人影が見えた。


「ヤノトオル 見えるか」


ガレンが小声で言った。


「ああ」


「亡霊だ」


リシェルが頷いた。


「歎きの荒野には 古来から無数の亡霊が彷徨っているという伝承があります。魔王の呪詛で死んだ者たちの魂です」


「敵対するか」


「物理的には 攻撃してきません。ただ 通る者の心を 揺らす力があります」


「揺らす?」


「それぞれの亡霊が それぞれの未練を 通る者に投げかけてくる」


俺は周囲を見渡した。


亡霊は数百体いた。半透明の姿で、荒野のあちこちに立っていた。中には子どもの姿のものもあった。老人もいた。中年もいた。誰もが、こちらを見ていた。


俺は最初の亡霊に、近づいた。


中年の女の亡霊だった。


「子どもの 声が」


亡霊は呟いた。


「もう少しで 帰ってくるはず だったのに」


俺はその亡霊を、しばらく見つめた。


それから、静かに告げた。


「お疲れさまでした」


亡霊は驚いた顔をした。


それから、薄く笑って、消えた。


ガレンがその様子を見ていた。


「お前 何をした」


「介護現場で 俺たちが死んだ利用者によく言う言葉だ」


「お疲れさまでした と」


「ああ」


「それで 亡霊が消えるのか」


「分からない。だが あの女は 受け取ったらしい」


俺は次の亡霊に近づいた。


老人の亡霊だった。


「孫が」


老人は呟いた。


「孫の名前を 呼んで死にたかった」


「孫の名前は」


「思い出せない」


「それでも あなたはここまで生きました」


「うん」


「お疲れさまでした」


老人は頷いて、消えた。


ガレンとリシェルは、俺の動きを真似るようになった。


ガレンは戦士に対して。リシェルは女と子どもの亡霊に対して。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


俺たちは荒野の中を、亡霊たちを見送りながら、進んだ。


進む速度は遅かった。だが、進むたびに、亡霊が一体ずつ、消えていった。


その様子を見ながら、リシェルが俺に言った。


「ヤノトオルさん」


「ん」


「これは 千年分の 看取りですね」


「千年」


「魔王の呪詛で死んだ 千年分の魂を 私たちは 一人ずつ 見送っています」


俺は息を呑んだ。


「俺たちが 三日かけているのは」


「千年溜まっていた 看取られなかった魂を ここで初めて 看取っているのです」


俺はその言葉に、深く頷いた。


数百体の亡霊を全部見送るのに、俺たちは三日かかった。


三日目の夕方最後の亡霊が消えたとき、俺たちは荒野の中央に立っていた。


地平線の向こうに、初めて、魔王城が見えた。


黒い尖塔が、空に向かって伸びていた。


俺たちは焚き火を起こして、最後の野営をした。


ガレンが薪を組みながら、ぽつりと言った。


「亡霊の何人かは 俺の知り合いだった」


「は」


「アルデリア騎士団の 昔の部下だ。三年前の魔王軍の侵攻で 死んだ」


「気づいていたか」


「気づいていた。だが 何も言わなかった」


「なぜ」


「あいつらは もう 別の世界の住人だ。生者の俺が 昔の縁を持ち出すのは あいつらの旅を 邪魔することだ」


俺はガレンの言葉に、深く頷いた。


ガレンは焚き火に枝を一本足した。


「ヤノトオル」


「ん」


「死者は 死者として 看取られたい」


「ああ」


「生者は 生者の 役目を果たす」


「ああ」


リシェルが祈りを唱えていた。低い声で、亡霊たちのために、もう一度、祈っていた。


俺は焚き火の炎を見つめた。


明日 魔王城に入る。


入って 何が待っているのか、俺はまだ知らない。


知らないまま、進む。


それが、俺の選んだ道だった。


──


魔王城に近づくにつれて、空気が変わった。


寒さではなかった。重さでもなかった。ただ、空間そのものが、悲しみを帯びていた。


ガレンが俺の隣で呟いた。


「ここは 戦場ではないな」


「ああ」


「もっと 古い場所だ」


リシェルが頷いた。


「太古の魔王伝承では 魔王の起源は 千年前の災厄とされています。具体的な記録はないのですが」


「災厄」


「疫病 あるいは戦争。何かの大きな災いがあって その時に生まれたとされています」


俺は古文書の一節を、もう一度、思い出した。


『真の勇者は 魔王の声を聞いた者なり』


魔王城の門に近づくにつれて、足元の地面の色が変わってきた。荒野の灰色から、徐々に黒に近い色へ。それは焼けた跡でも 焦げた色でもなく、悲しみが地面に染み込んだような色だった。


リシェルが立ち止まって、地面に手をついた。


「どうした」


俺は聞いた。


「地面から 祈りが聞こえます」


「祈り?」


「死にゆく人々の 最後の祈りが この地面に 染み込んでいます」


俺はリシェルの隣にしゃがんで、地面に手を当てた。


何も聞こえなかった。だが、ひんやりとした感触が、手のひらに伝わった。それは、寒さとは違う種類の冷たさだった。死者の手のひらの温度。


俺は立ち上がった。


「行こう」


魔王城の門の前に俺たちは到着した。


古い石造りの門。両脇に、石像。竜でも 獣でもない、何か。


門は、開いていた。


「待っているらしいな」


ガレンが呟いた。


「ああ」


「俺は ここで待つ」


ガレンは突然、そう告げた。


「ガレン」


「俺は 妻と子の仇を 魔王に求めてここまで来た。だが 旅の中で 何かが変わった」


「お前」


「俺はここまでで お前を見届けた。中に入る権利は お前のものだ。俺はここで待っている」


ガレンの目に決意があった。


俺は彼の決意を、受け取った。


「分かった」


「リシェルは」


「私は ヤノトオルさんと共に 中に入ります」


「危険だ」


「だからこそ 私は中に入ります。看取りには シスターが必要です」


俺は彼女の言葉に、黙って頷いた。


「ガレン」


「ん」


「お前の短剣は」


俺はガレンの妻の形見の短剣を、手のひらに乗せて見せた。


「持っていけ」


「いい」


「お前の中の 妻と子の魂が 中で必要になるかもしれない」


ガレンは少し笑った。


「そうかもな」


俺は短剣を、腰に差した。


ガレンは少し沈黙してから、口を開いた。


「ヤノトオル」


「ん」


「俺は 妻と子を看取れなかった男だ。お前は 母さんを看取れなかった男だ」


「ああ」


「俺たちは 似た者同士だった」


「ああ」


「だからか 旅の途中で 俺は 自分が変わっていくのを 感じていた」


「俺もだ」


ガレンは深く頷いた。


「お前の中の 母さんに そして俺の中の 妻と子に お前の旅が これから何かを返すなら」


ガレンは言葉を止めて、俺の目を見た。


「俺は それを ここで待っている」


俺はその言葉に、何も返さず、深く頭を下げた。


リシェルが胸の聖印章を、もう一度、確認した。彼女は別の印章を借りて持ってきていた。最初に貸してくれた印章は、まだ俺の胸ポケットの中にあった。


「行きます」


俺はガレンに告げた。


「行ってこい」


ガレンの声は、何度も俺たちの旅を支えてくれた、あの低い声だった。


俺とリシェルは、魔王城の門を、くぐった。


くぐる瞬間、俺は一度だけ振り返った。


ガレンは門の前で、俺たちに向かって、軽く手を上げていた。


それは、彼が騎士団長だった頃に、部下を戦地に送り出すときの、いつもの仕草だったのかもしれない。


俺は手を上げ返した。


そして、門は、ゆっくりと閉まった。


閉まる瞬間に、ガレンの最後の声が聞こえた気がした。


「妻と子に よろしく伝えてくれ」


俺はその声を確かに、聞き取った。


リシェルが俺の隣で、深く頷いた。


彼女もまた、聞いていた。


俺たちは魔王城の中の、長い廊下に足を踏み入れた。

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