第二章 青臭い男
「俺たちの仕事ってさ 結局その人の人生の最後の証人になることなんだよな」
沢田はそう言って自販機のミルクティーの缶を両手で包み込んだ。蒸気のような白い息が彼の口から漏れていた。
休憩室の窓には結露がびっしりと張り付いていた。外では本格的に雪が降り始めていた。俺は仮眠から起きたばかりで髪が片側だけ寝ぐせで跳ねていた。沢田はその夜が日勤の遅番。八時間後にまた業務に戻る予定だった。
「青臭いこと言うな」
俺はそう言って自販機にコインを入れた。
「青臭くないよ」
「青臭い」
「俺たちが見ない最期は その人にとっても見られない最期になるんだよ」
俺は缶コーヒーのプルタブを引いた。プシュッという音が、妙に大きく響いた。
ひだまり苑の休憩室は二階の南端にある。元は応接室として設計されたらしく、壁紙は花柄で、ソファは合皮の二人掛けが二つ。テーブルには介護福祉士会の機関誌と職員回覧板が積まれている。職員回覧板の一番上には「インフルエンザ予防接種の希望調査」という用紙が挟まっていた。期限は三日前で過ぎていた。誰も新しい用紙に差し替えていなかった。それも含めて、この施設の風景だった。
沢田は三十一歳の介護福祉士で俺と同期だった。同じ専門学校を出て同じ年に「ひだまり苑」に入った。最初の数年は俺と沢田は仲が良かった。一緒に新人研修を受けて一緒に夜勤の弱音を吐いた。だが俺の母親が死んでから、沢田は俺との距離をつかみあぐねるようになった。それでも今も、休憩室で隣に座ってくれる数少ない同僚だった。沢田が結婚したのは二年前だ。妻は同じ施設の看護師だった。俺は披露宴を欠席した。理由は仕事だと伝えたが、本当はあの頃まだ、人前で笑える顔を作る練習ができていなかった。
「お前さ」
沢田は缶を置いた。
「最近 ちょっと怖いぞ」
「怖い?」
「目が 機械みたい」
俺は笑った。笑ったつもりだった。
「機械の方が楽だ」
「楽じゃないよ」
「どっちでもいい」
沢田は何かを言いかけて、また飲み込んだ。沢田の癖だった。彼はいつも本当に言いたいことを最後の最後に飲み込む。代わりに別の言葉を探して投げてくる。
「来週 新人の歓迎会あるって。出ないか」
「出ない」
「即答かよ」
「飲み会嫌いだ」
「知ってる」
沢田は笑った。彼の笑顔は同期の中でも一番穏やかだった。たぶんこの男は、どの利用者にも穏やかな顔を見せ続けているのだろう。俺にはできないことだった。
「矢野さ」
沢田の声が低くなった。
「最後の証人ってのはな 別に大層な話じゃないんだ。利用者が最後に握った手が たまたまお前の手だったってだけ。たまたまだよ。でもその たまたま が積み重なって その人の人生の最後の質感を決めるんだ」
「それは──」
俺は反論しかけた。何かを言いかけて止めた。
──それは、お前が、母さんを看取れたから言えることだ。
そう言いかけて、俺はその言葉を喉の奥で握りつぶした。沢田は十年前に母親を看取っている。沢田自身が前にぽつりと話してくれた。最期は自宅で、沢田が水を飲ませて、それから三十分後に呼吸が止まったという。沢田は嗚咽を漏らさず、父親と二人で母親の額を撫でていたという。それを彼は介護の仕事を志すきっかけだと言った。
俺は逆だった。母さんを看取れなかったから、介護の仕事に向き合えなくなった。同じ仕事を、俺と沢田は逆の場所から見ていた。
沢田は俺の顔をじっと見ていた。
「俺はそう思う」
それだけ言って沢田は缶を握り直した。彼の指は冷えていた。彼もまた夜勤明けで、これから昼まで仮眠を取って、夕方からまた働くのだ。
「沢田」
「ん」
「お前は なんで辞めないんだ」
沢田は少し驚いた顔をした。それから笑った。
「お前と同じ理由かもしれない」
「同じ?」
「逃げ場がないって意味じゃない。やっぱりこの仕事が好きだから 続けてる。お前も同じだろ」
「俺は好きじゃない」
「嘘だな」
沢田は缶を口に運んだ。
「好きじゃなかったら 五年も続かない。介護はそういう仕事じゃない」
俺は反論しなかった。沢田の言葉には、たぶん半分は当たっていた。半分は当たっていなくて、半分は俺自身も気づいていないところで当たっていた。
休憩室には他に誰もいなかった。冷蔵庫の低いモーター音だけが鳴っていた。窓ガラスの結露の向こうで、雪が斜めに降っていた。テーブルの上には誰かが置き忘れた介護福祉士会の機関誌があった。表紙に「看取り介護加算」の文字が踊っていた。看取り、看取り。介護現場ではよく聞く言葉だ。終末期の利用者に対するケアを指す業務用語。診療報酬の点数項目にも組み込まれている。要するに、ただの業界用語だった。
機関誌の特集ページには「最期の三日間」というタイトルで、ある特養職員の手記が載っていた。俺はその記事を読まなかった。読まなくても内容は想像がついた。たぶん、利用者の手を握って、家族と一緒に泣いて、最後の呼吸を見届けて、職員もまた一人の人として成長する、という類の話だ。介護専門誌に載る手記はだいたいそう書かれている。書き手も読み手も、そういう物語を求めている。だが現場ではそんな美談は十回に一回もない。たいてい誰も看取れず、夜中に発見され、家族に連絡し、当直医がやってきて死亡確認をして、体を清めて、葬儀社に引き渡す。それで終わりだ。終わって、また次の利用者の朝食介助が始まる。
それを「最期の証人」と呼ぶには、現場は忙しすぎる。
俺は缶コーヒーを一口飲んだ。苦かった。
「沢田」
「ん」
「お前 母さんを看取ったか」
沢田は答えるまで少し時間がかかった。
「看取ったよ。十年前に」
「そうか」
「お前の母さんのこと 悪いと思ってる」
「お前のせいじゃない」
「分かってる。でも 悪いと思ってる」
俺は沢田の横顔を見なかった。窓の外の雪を見ていた。
──最後の証人。
その言葉は俺の中でしばらく転がった。それから俺はいつものように振り払った。青臭い言葉だ。理想論だ。現場では役に立たない。利用者は次々に死んでいくし、俺たちはその全員の最後の証人になんてなれない。なる必要もない。なろうとすれば壊れる。
俺はもう、壊れるのは御免だった。
「先に上がる」
俺は缶を置いて立ち上がった。
「うん」
沢田は引き留めなかった。
休憩室を出るとき、俺は一瞬振り返った。沢田は窓に向かって座っていた。彼の背中は少し丸まっていて、白衣の肩のラインが疲れて見えた。彼もまた疲れていた。彼もまた、毎日誰かの最後を見ていた。それでも沢田は壊れなかった。なぜだろう、と俺は思った。
理由は分からなかった。
──
家に着いた頃には、雪は本降りになっていた。
俺のアパートは築二十五年の二階建ての二〇三号室。エレベーターはない。階段の手すりは塗装が剥げて、触ると指が黒くなる。部屋のドアの鍵を開けると、冷えた空気と部屋の埃の匂いが混ざって流れ出てきた。ドアの内側のチェーンが揺れてカチャカチャと鳴った。
部屋の電気をつけた。蛍光灯がチカチカと点滅してから白い光を投げかけた。
六畳一間。テレビ。低いテーブル。布団は敷きっぱなし。シンクには昨日のカップ麺の容器。冷蔵庫にはコンビニの惣菜が二つ。冷蔵庫の上には封の切れていないレトルトカレーの箱。底にはペットボトルの水と、半分残った日本酒の瓶。
そして部屋の隅にはガムテープで封をされた段ボール箱が三つ積み上げられていた。
母さんの遺品だった。
母さんが死んだあと実家を引き払うときに、俺はその三つの箱に「いつか開ける」と書いた。マジックで書いた字は今は色あせている。三年経って、俺はまだ一度も封を切っていない。
俺は段ボールから視線を外した。視線を外す。それも俺の技術だった。
布団に倒れ込んだ。シーツの匂いが少し饐えていた。今日は洗濯しよう、と思って思ってすぐに忘れた。
天井を見上げた。天井の隅に小さなクモの巣があった。何日も気づいていなかった。気づいても払わないだろう。気づくこと自体が、稀だった。
母さんの最後の言葉は「ありがとう」だったらしい。看護師がそう言った。でも俺は聞いていない。俺は渋滞のタクシーの中にいた。施設に着いたとき母さんはもう冷たかった。看護師が「最後に何か言いたそうにされていました」と言った瞬間、俺は何かを感じた。何かを。それを俺はその日のうちに心の奥の引き出しに入れて、鍵をかけた。
鍵をかけた引き出しは、三年経っても開いていない。
──ありがとう、と母さんは何に対して言いたかったのか。
その問いを俺は考えない。考えれば、答えのない問いに溺れる。
母さんは認知症だった。最期の数ヶ月は俺の名前も呼べなくなっていた。それでも「ありがとう」と言いたかったとすれば、それは誰に対してだったのか。俺か。介護職員か。看護師か。あるいは母さん自身の人生に対してか。
分からない。一生分からない。
母さんが認知症だと診断されたのは六年前だった。俺がまだ介護福祉士養成校の二年生だったときだ。父はもう死んでいた。俺は一人っ子だった。母さんと俺は二人で実家のアパートに暮らしていた。最初は物忘れだった。鍋を火にかけたまま忘れる。水道を出しっぱなしにする。次第に俺の名前を呼ぶときに「あんた」が混じり始めた。「あんた、今日学校あるの」と。「お母さん、俺はもう専門学校だよ」と俺は答えた。母さんは少し笑って「ああ、そうだったね」と返した。
その笑顔がいつまでも俺の中に残っている。
施設に入ったのは三年前だ。俺一人では仕事をしながら見ることができなくなっていた。夜中に出歩いて警察に保護されることが続いた。母さんを老健に入れる手続きをしたのは俺だった。書類にサインをするとき、ペンを握る指がわずかに震えていた。母さんは俺に「家にいたいよ」と言った。俺は「ごめん」と答えた。それが、母さんが俺の名前を呼んだ最後の日になった。
施設に入ってから、母さんは急速に俺を忘れていった。三ヶ月で俺の名前を忘れ、半年で俺の顔を忘れた。それでも俺が面会に行くと、母さんは俺の手を握って「お父さん、お父さん」と呼んだ。亡くなった父と俺を混同していた。俺はそれを訂正しなかった。母さんの中の時間で、俺は父の隣にいた。それでよかった。それでいいと思った。
そして、母さんが亡くなる日。
職員からの電話。タクシー。雪。渋滞。施設に着いたとき、母さんはもう冷たかった。あの日のすべての風景を俺はくっきり覚えている。覚えていて、思い出さない。思い出さない技術を、俺は介護現場で一番に磨いた。
──
携帯が鳴った。
職場からだった。倉橋からの留守番電話メッセージ。
「矢野さん 明日のシフトの件で確認したいことがあります。明日朝 出勤前に少しお話しできますか」
俺は何も返さずに携帯を伏せた。
明日もまた仕事だ。
明日もまた、俺は誰かの最後を見て、見ないふりをして、機械のように手を動かす。それでいい。それで五年やってきた。あと十年もやれる。三十年もやれる。やり続ければ、母さんのことも、いつかは忘れられる。忘れられないとしても麻痺する。麻痺すれば生きていける。
──そう、思っていた。
その夜、俺は夢を見なかった。あるいは見たが覚えていなかった。
朝になった。雪はまだ降っていた。
目覚まし時計は午前五時四十五分を指していた。俺は布団から這い出した。シャワーを浴びる気力もなかった。冷蔵庫からカップ麺の在庫を確認した。残り一個。レトルトカレーは賞味期限が二ヶ月過ぎていた。それでも食えるだろうと思った。買い置きを確認するのを忘れていた。それも、母さんが死んでから疎かになった習慣の一つだった。
俺はカップ麺を朝飯にした。湯気が眼鏡を曇らせる程度に冷えた朝だった。テレビをつけた。情報番組のキャスターが大寒波について語っていた。北日本では交通機関に乱れ。スリップ事故にご注意ください。注意。注意してどうにかなるものではないと俺は思った。スリップは起きるときには起きる。事故は防げない。それは介護現場で五年間、俺が学んだ唯一の真理だった。
俺はカップ麺を食べ終えて、白衣の予備をリュックに詰めた。
そしてバスに乗った。
そのバスが、俺の人生を終わらせた。




