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魔王を看取った男 ──介護福祉士・矢野透の異世界救済譚──  作者: もしものべりすと


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第十五章 砂漠の遺跡

砂漠は思った以上に過酷だった。


昼の気温は四十度を超えた。夜は氷点下に近かった。気温差は俺たちの体力を急速に削った。水は貴重だった。一日の行程は、夜明け前と夕方以降に限られた。日中は岩陰や穴に潜って暑さをしのいだ。


俺たちの装備は砂漠用に改められていた。麻と絹を重ね合わせた布で頭から肩を覆った。革の手袋。砂を防ぐ目を保護する透明な石の覗き窓のついた覆面。それらを王宮の出立前にエミリア王女が手配してくれていた。準備のあったことが、俺たちの命を繋いでいた。


最初の村を抜けた後、街道は途絶えた。代わりに砂漠の踏み跡を進んだ。ガレンが過去の経験で道を読んだ。彼は若い頃に砂漠の戦役を経験していた。その記憶が、ここで生きていた。


「お前 砂漠を歩いたことがあったのか」


俺はガレンに聞いた。


「二十代の頃にな。当時の俺は若くて 任務のためなら砂を食ってでも進んだ」


「今は」


「今は砂を食う気力はない。だが 道は覚えている」


ガレンは少し笑った。それから真顔に戻った。


「ヤノトオル ファラの様子をよく見ろ」


「分かってる」


「俺は剣で守れる相手なら守れる。だが 砂漠の体力消耗から守るのは お前の方が得意だ」


その言葉は、ガレンが俺を介護福祉士として認めた瞬間だった。


俺は深く頷いた。


ファラの体は、特にこの環境に弱かった。


砂漠に入って三日目から、彼女は熱を出し始めた。リシェルが治癒魔法を施すたびに熱は下がったが、夜になるとまた上がった。


「魔法では 根本治癒はできません」


リシェルが俺に告げた。


「彼女の病は 魔法の限界を超えています」


「分かっていた」


「ヤノトオルさん 正直に申します。砂漠の遺跡まで彼女が体力を保てる確率は 半分以下です」


俺はリシェルの目を見た。


彼女の目は、専門家としての冷静な判断を伝えていた。介護現場で看護師がよく見せた目だった。希望と現実の境界線を引く目。


「分かった」


俺は答えた。


「だが ファラは進むと言っている。連れて行く」


「分かりました」


リシェルは静かに頷いた。


その夜、ファラは熱に浮かされながら、俺の手を握って眠った。


「ヤノトオル」


熱で潤んだ目で、彼女は俺を見上げた。


「私 死ぬ前に 一つ お願いがある」


「言え」


「あなた 私のお父さんと お母さんに 似てる」


俺は黙った。


「お父さんは 私を森の薬師の家に預けるとき 泣いていた。私を生かすために 別れることを選んだ。お母さんは 死ぬ間際に 私を抱きしめたかったって 後で薬師から聞いた。でも 抱きしめられる前に 死んだ」


「ファラ」


「あなたは 私を切り捨てようとして 切り捨てなかった。それは お父さんに似てる。あなたは 私を抱きしめようとしている。それは お母さんに似てる」


「俺は」


「だから ヤノトオル」


ファラは目を閉じた。


「私の最期に あなたがいてくれたら それは お父さんとお母さんが 一緒にいてくれるのと 同じこと」


俺はその言葉に、息を止めた。


「そばにいる」


「ありがとう」


ファラは小さく笑って、眠った。


俺は彼女の手を、夜が明けるまで握っていた。


ファラは三日目以降、自分の足で歩けなくなった。ガレンが彼女を背負った。リシェルが頻繁に治癒の祈りを唱えた。俺は先頭で道を切り開き、後尾でファラの状態を確認する役を交代で担った。


四日目の夕方俺たちはようやく砂漠の遺跡を視界に捉えた。


遠く、地平線の向こうに、巨大な石柱の群れが見えた。半分砂に埋まった神殿。古代の都市の残骸らしかった。


「あそこか」


ガレンが目を細めた。


「ああ」


「あと半日だ」


「ファラ 持つか」


俺はガレンの背中のファラに声をかけた。


ファラは目を半分閉じていた。それでも、小さく頷いた。


「持つ」


その夜、俺たちは遺跡の手前の岩陰で野営した。


火を焚けないので、月明かりだけが灯りだった。リシェルがファラの額に冷たい布を当てていた。彼女の頬は紅潮し、唇が乾いていた。


俺は彼女の隣に座った。


「ファラ 水を」


俺は革袋を彼女の口元に持っていった。


「ありがとう」


ファラは半分こぼしながら飲んだ。


「ヤノトオル」


「ん」


「明日 私 入れる?」


「遺跡か」


「ええ」


「ガレンに背負わせれば」


「自分の足で 入りたい」


俺は彼女の細い手を、初めて握った。


握った瞬間、俺は自分の手の動きに、自分で驚いた。


それは、フミ子さんが俺に伸ばしていた手を、ようやく握り返す動きだった。三年遅れて。何千キロも離れた異世界で。


ファラの手は、骨ばっていて、熱かった。


「ファラ お前 一緒に入れる」


「自分の足で?」


「俺が 隣を歩く」


「無理しなくていい」


「無理じゃない」


「私 重いよ」


「お前は 軽い」


ファラは小さく笑った。


「ヤノトオル 変わったね」


「変わったか」


「優しくなった」


「優しい」


「うん」


俺はその言葉に、何と返していいか分からなかった。


ただ、彼女の手を、もう少しだけ強く握った。


ファラの呼吸は、浅かった。それでも、彼女は眠りに落ちていった。


俺は彼女の手を離さずに、夜が明けるまで、そのまま座っていた。


ガレンが見張りを交代しに来たとき、俺の姿勢を見て、何も言わずに、また見張りの位置に戻った。


リシェルもまた、何も言わなかった。


──


朝になった。


ファラは目を覚ました。熱はまだあったが、目に意識の光があった。


「歩く」


彼女は宣言した。


俺は彼女の左腕を肩にかけた。彼女の体重を半分受け止めながら、俺たちは砂漠の砂を踏みしめた。


遺跡まで、最後の距離は短かった。だが、その短さは、ファラにとっては永遠に等しかった。


俺は彼女の歩調に合わせた。介護現場で要介護者と歩くときと同じリズム。一歩 一拍 一歩 一拍。彼女が転びそうになったら支える。彼女が止まったら、待つ。彼女が歩きたいと言ったら、また歩く。


リシェルは隣で祈りを唱えていた。彼女の祈りは、ファラの体力を保つ補助になっていた。


ガレンは前と後ろを警戒していた。砂漠の獣も、帝国の刺客も、警戒する対象だった。


そうして、俺たちは遺跡に到着した。


巨大な石柱の影に入った瞬間、ファラが膝から崩れた。


俺は彼女を支えた。


「ファラ」


「大丈夫」


「無理だ」


「最後まで」


ファラはそう言って、俺の腕を握った。


「最後まで 立ち続けて ヤノトオル」


俺はその言葉に、自分の叙任式の言葉を思い出した。


最後まで 立ち続けます。


その言葉をファラは俺に返していた。


俺は彼女を抱き上げた。


「立ち続ける」


「うん」


「お前と一緒に」


ファラは目を閉じた。


「うん」


──


遺跡の中央には、また古代の祭壇があった。


砂で半ば埋もれた祭壇。だが、祭壇の上には、すでに小さな金属片が置かれていた。


俺は驚いた。


試練もなく、断片が置かれていた。


「これは どういうことだ」


ガレンが声を上げた。


その時、祭壇の奥から声が聞こえた。


「お前は 既に試練を越えた」


声は、山岳神殿のときと似ていたが、別の意思らしかった。


「越えた?」


「砂漠を渡る道で お前は 仲間を捨てなかった。それが 試練だった」


俺は祭壇の前に立った。


「試練は 仲間を捨てるかどうか だったのか」


「真の勇者の二つ目の資質は 仲間を切り捨てない強さだ」


俺はファラを抱きしめた手に、力を込めた。


「俺は」


「お前は 一度 切り捨てようとした」


声は告げた。


「だが 切り捨てなかった。それが お前の選択だった」


俺は何も言えなかった。


「断片を取れ」


俺は祭壇から金属片を取った。


それは、山岳神殿の断片より、少し温かかった。


ファラが俺の腕の中で、目を開けた。


「ヤノトオル」


「ん」


「やった ね」


「ああ」


「あと一つ」


「あと一つだ」


ファラは微笑んだ。


その微笑みは、彼女の最後の体力で作られた微笑みだった。


俺は、その微笑みを目に焼き付けた。


その瞬間に俺は、無意識に、彼女の死を予感していた。


予感はしたが、認めなかった。認めれば、その瞬間から、俺はまた壊れる。だから、認めない。


──いや。


俺は自分に言い聞かせた。


認めても、壊れない。


母さんのときと違って、今度は、認めても壊れない自分でいなければならなかった。


それが、ファラに対する、俺の最後の責任だった。


──


ファラが息を引き取ったのは、その夜だった。


俺たちは遺跡の外で野営した。リシェルが治癒魔法を続けたが、ファラの体は、もう魔法を受け付けなかった。エルフの血は、限界を超えていた。


火を焚いた。


ファラは、俺たちの真ん中で、毛布にくるまれていた。


砂漠の夜は冷たかった。火の熱が彼女の頬を温めていた。それでも彼女の指先は、急速に温度を失っていった。介護現場で末期の利用者の手足が冷えていく感触を、俺は何度も経験していた。あの冷たさが、目の前で、また始まっていた。


彼女の意識は、断続的に戻った。


「ヤノトオル」


「ここにいる」


「ガレン」


「ここだ」


「リシェル」


「ここに」


「みんな いるね」


「いる」


ファラは少し笑った。


「私 海 見れなかったね」


俺はその言葉に、息を止めた。


「ファラ」


「いい。連れて行く って言ってくれただけで 嬉しかった」


「俺は」


「ヤノトオル」


ファラは俺の手を握った。


「私の手を 握ってて」


俺は握った。


「離さないで」


「離さない」


「最後まで」


「最後まで」


ファラの呼吸が浅くなった。


「ガレン」


ファラはガレンに目を向けた。


「ん」


「あなたの妻と子の話 もっと聞きたかった」


ガレンは膝をついて、彼女の顔を覗き込んだ。


「ファラ」


「あの世で 会ったら 私 ガレンの娘の代わりにはなれないけど」


「お前は 俺の娘だ」


ガレンの声は震えていた。


「もう娘だ。三年前から」


ファラは少し笑った。


「リシェル」


「はい」


「あなたの祈り 好き」


「ファラさん」


「私のためにも 祈って」


「祈ります」


リシェルは涙を堪えながら頷いた。


リシェルが「看取りの祈り」を唱え始めた。


「あなたの旅は 短かった」


「あなたが背負ったものは 重かった」


「あなたは 一人ではない」


「あなたが歩いた道のすべてに 意味があった」


ファラの呼吸が、ゆっくりと、間隔を開けていった。


俺は彼女の手を、握り続けた。


最後の吸気の前にファラが小さく言った。


「ありがとう」


その言葉を俺は聞いた。


聞いた瞬間、俺は、母さんが最後に言ったらしい「ありがとう」を、初めて、自分の耳で聞いた気がした。


ファラの呼吸が止まった。


俺は彼女の手を、離さなかった。


しばらく、そのままだった。


それから、リシェルが俺の肩に手を置いた。


「ヤノトオルさん」


「ああ」


「お別れの 時です」


俺は頷いた。


そして、初めて、声を出して、泣いた。


新しい器の若い体から、二十八年分の俺の涙が、流れた。


それは、母さんが死んだ日に、俺が流せなかった涙だった。


ガレンは、少し離れた場所で、空を見上げていた。彼の頬にも、月明かりに濡れた何かが光っていた。


リシェルは、ファラの瞼に、そっと指を当てた。


「お疲れさまでした」


そう、彼女は言った。


二つの月が、砂漠の上に静かに昇っていた。


砂漠の夜風が火を煽った。


火の粉が空に舞い、すぐに消えた。


俺たちは、誰も、何も言わなかった。


ファラの細い体は、毛布の中で、少しずつ冷たくなっていった。


俺は、彼女の手を、明け方まで離さなかった。


新しい器の若い体は、寒さの中で震えていた。


それでも、俺は、彼女の手を握り続けた。


それが、俺がこの世界に来てから、初めて自分で選んだ「正しさ」だった。


母さんに対して できなかったことを、ファラに対しては、最後まで、やった。


だが、ファラは死んだ。


俺がやり遂げても、人は死ぬ。


その当たり前の事実を、俺は、初めて、深く、受け止めた。

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