第9話 メンバーとは
私のことは印ハンターと呼んでくれてかまわない。
印ハンターの肩書で名刺を作ってもいいかなとちょっと思いはじめている。
印ハンター
向井道零
いいね。
うん。
シンプルで、悪くないんじゃないかな。
私は一つ目の印を見つけたなんと翌日にも、印を発見するという快挙を成し遂げた。
三つ目は、その次の日に、とはならなかった。
一日、二日、あいた。
まあそれから二日間、見つけられなかった。
空振りの二日間を挟んで、三つ目の印が見つかったときは、テンションが上がりすぎてやばかった。
小躍りしたほどだ。
というか、軽く踊った。
いや、わりとしっかり踊った。
私は五日間で十万八千円を稼ぎだしたことになる。
それはもちろん、世の中にはそのくらい稼ぐ人は大勢いるに違いない。
でも、ひとと比べてもね。
我々は一人一人がこの広大無辺なる宇宙で唯一無二のたった一輪しか咲かない花なわけだから。
他の誰でもない、この私が五日間で十万八千円もの利益を上げたということが何より重要なわけだから。
私はねこのために猫用のおやつを大量に思ったりもした。
猫がとにかく好んでやまないという、あの有名なやつだ。
しかし、仔猫に与えていいものかと不安になり、調べてみたら生後六箇月を目安に、ということだったので、我が家のねこはまだそこまで達していないと思われるから、ストックしておくことにする。
時が経ったら、おやつはおまえのものだ。
楽しみにしていろ、ねこよ。
五日間で十万八千円を稼いでしまった私は、その時点で満足したわけじゃないが、何しろ十万八千円も手に入ったのだから、一回、落ちつこう、という気になる。
とはいえ、たかが十万八千円だしね。
されど十万八千円だけどね。
浮かれていてはいけない。
好事魔多し、ともいう。
連日出歩いて印を探していたので、足裏とか膝とか若干痛かったりもするし、身も心も休めたほうがいい。
というか、私は休みたかった。
五日間で十万八千円稼いだ男が休んで何が悪い。
悪くない。
ぜんぜんいい。
私はその日、目が覚めても布団から離れない。
ごろごろしていると、また眠くなる。
熟睡することはないものの、うとうとしている。
これがなんとも言えずいい。
寝室は居間と続きで、仕切りの戸は必要がなければ閉めない。
基本的には開け放している。
時刻を確認していないので何時かはわからないが、ねこが寝室に入ってきて、私の布団の隅っこのほうで丸くなるという、嬉しい事件が起こる。
「ついにおれと一緒に寝るようになったか、ねこ。誰かと寝床をともにするのなんていつ以来だろうな。もう二度とないかもと思ってたよ。人間に関しては、あるかどうか微妙だな。ていうか、なさそうだよな」
私は話しかけるだけで、ねこをさわりはしない。
余計なことをして、もし逃げられてしまったら、寂しい気持ちを味わう羽目になりそうだ。
ねこはさわられるのを嫌がるタイプでもないようだから、たぶん大丈夫だとは思うが、何もリスクを冒すことはない。
もっとも、そのうちねこは起き上がって寝室から出ていってしまう。
そうかと思うと、隣の居間で、たたたたたたたたたたっ、という音がしはじめる。
ねこダッシュだ。
あちこち駆け回っている。
「元気だな」
私が家にいるときはそうでもないが、留守中、かなり走り回っていることは、数々の証拠から明らかだ。
あちこちに傷がある。
物が落っこちていたり、ひっくり返っていたりもする。
「若いってことだよな。おれなんかもう走ったりとかできねえよ。絶対、怪我するだろ。切れたり折れたり剥がれたり離れたりとか。ねこはいくら走ったり跳んだりしても大丈夫なんだろうな。まあ気がすむまで体を動かすがいい。ああでも、あれか。飯をやらんとな。しょうがねえ。起きるか」
一度は起きだす決心をしておきながら、私はなおも寝床で粘る。
結局、ねこがおとなしくなり、ふたたび寝室に入ってきた段階で観念する。
「わかったわかった。わかったって。飯だよな、飯。わかりましたよ」
私はねこの飯を用意し、水をきれいなものに変える。
ねこが食事している間にトイレ掃除をすませてしまう。
「ていうかねこ、おまえ、あれだよな。トイレ、拍子抜けするくらいあっさり覚えたよな。賢いやつだよ。頭がいいんだな、おれに似て。似るわけないか。親でも子でもねえし。種族からして違うしな。おれの頭がいいのかって問題もあるっちゃある。ひどくはないと思うけど」
それから私は洗顔して髭を剃り、歯を磨く。
適当な服に着替える。
頭にタオルを巻く。
洗面台の鏡でチェックする。
「しかし、いつからおれ、タオルスタイルが定番みたいになったんだ。白髪が目立ってきてからかな。どうせなら真っ白になっちまえばいいのに、ちょこちょこなんだよな。そこまで増えないし。染めるのもな。金かかるし」
私は家を出る。
時刻は午後二時を回っている。
行き先はコンビニだ。
春巻さんは、いる。
それはいるだろう。
いると思って私は久しぶりにこのコンビニを訪れた。
いなかったら、がっかりだ。
冷凍食品を選ぶ。
餃子とナポリタンにする。
何だ、この組み合わせは。
まあいいじゃないか。
インスピレーションだ。
立て続けに、生姜入りの餃子、お、食いてえ、ナポリタン、うん、いっときますか、と閃いたのだから、これでいい。
冷凍食品の餃子とナポリタンをカゴにぶちこんでレジへと向かう。
「いらっしゃいませ」
マスクをつけた春巻さんが目を笑わせて会計を始める。
二品だから、あっという間だ。
「そういえばこないだ、スーパーお見かけして」
私の声は上ずっていない。
と思う。
普通な感じでしゃべっている。
そのつもりだ。
「あぁ、そうなんですねぇ」
春巻さんはとくに気を悪くした様子は見受けられないが、内心どう思っているかまではわからない。
私はできるだけ明るい、軽めの口調で尋ねる。
「お子さん何年生なんですか?」
「来年もう中学校なんですよ」
「そうなんですね。いや、なんか、しっかりしてそうな、何ですかね、利発そうというか、かわいらしいというか、それでいてかっこいいというか、なかなかのイケメンですよね」
「そうですかね。誰に似たんですかね」
春巻さんは笑う。
愛想笑いの範疇かもしれないが、わりと嬉しそうでもある。
「それはやっぱり、両方じゃないですかねえ」
「写真なんか見ると、子供のころのうちの人にそっくりだったりはするんですよね」
「あ、じゃあ、あれだ。旦那さんもイケメンなんですね」
春巻さんは謙遜も否定もしない。
私は素直に、そこで自分の配偶者を下げてへりくだらない春巻さんって、いいな、と思う。
お子さんのことも、配偶者のことも愛していて、大事にしていて、このコンビニでも同僚たちや店長に頼りにされている。
すてきな人だな。
私はコンビニをあとにする。
なんだか足元がふわふわしているが、気分は悪くない。
「金かな」
うん。
それだろうね。
五日間で十万八千円。
この収入がなかったら、最寄りのコンビニを避けつづけていたかもしれない。
十中八九、避けつづけていただろう。
少なくとも、春巻さんがいそうな時間帯には行かない。
でも、この間、いるはずなのにいなかったりもしたわけで、何事も予定どおりとはいないものだから、いねえだろ、いるわけねえし、と思って行ったらいた、ということもありうるわけだ。
だからやっぱり、もう行かなかったかもしれない。
五分くらい余計に歩くことにはなるが、普段使いのコンビニを変更していたかもしれない。
これでそんなことをせずにすむ。
私はこれからも最寄りのコンビニを利用しつづける。
余計に歩かなくていい。
いちいち車を使うのはガソリン代もかかってもったいないし、中古の自転車でも買うかな、みたいなことを考えたりもしなくていい。
私は勝利したのだ。
五日間で十万八千円稼ぎだしたことによって、精神的なゆとりというものを獲得し、春巻さんとお子さんと、ついでに彼女の配偶者が今後とも幸せな生活を送れますようにと願えるようになった。
おれっていいやつだな。
我ながら利己的というか、我が儘で自分勝手な人間だな、と思っていたりもしたのだが、こんな一面もあるとはね。
ちょっと意外だよね。
嬉しい驚きというかさ。
自分のことをまた少し好きになっちゃったかな。
もともと嫌いじゃないけどね。
自己肯定感は大事だし。
この行動を通して、さらに一段と肯定できるようになったというかね。
勝ったな。
いろいろなものに勝った。
私は勝ち誇っていい。
あと、五日間で十万八千円稼げてしまうなら、そんなにあくせく働かなくていい。
私は何日かゆっくりする。
いつまで、とか、そんなことは決めない。
動きだしたくなったら、また動きだせばいい。
焦らなくていい。
何しろ、私はその気になれば、五日間で十万八千円稼げる男なのだ。
もちろん、絶対じゃない。
必ず五日間で十万八千円稼げるとは限らない。
そんなことは私も承知している。
しかし、それだけのポテンシャルが自分自身にあることを、私はすでに証明した。
慌てることはない。
戦士には休息が必要だ。
しばらくはねことのんびり過ごせばいい。
いいかげん、あれかな。
そろそろ何かしたほうがいいかな。
このままだと、本格的に何もしたくなくなっちゃうかもだし。
夏休み明けに学校行きたくない、みたいな。
もうそうなりつつあるしね。
でも、私は立派な大人なので、酸いも甘いも噛み分けた中年だから、完全にそうなってしまう前に動きだすわけだよ。
偉いぞ、おれ。
さすがだな。
奇しくも月曜日、私は印探しを再開する。
私はフリーランス、自営の自由業者なので、何も世の人びとと同じように月曜から仕事をしはじめなくてもいいのだが、なんとなくだ。
月曜には、仕事でもしよう、仕事せねば、という空気感、流れのようなものがある。
私もそれに乗ることにする。
「まあ、そんなにうまくはいかないよね」
H市でもっとも勢いがあるというか、市全体としてはご多分に漏れず少子高齢化等々の影響で人口が減りつづけているのだが、それでも新しく家が建って住民が増えている地域から、私は印を探しはじめている。
午前十一時近くに現地入りして、ファミレスでの豪華な昼飯を挟み、午後三時までがんばってみたが、まだ印は見つかっていない。
「とはいえ初日だし。勝負は明日からだから。リズムってものがあるからさ。バイオリズムとかリアリズムとかアニミズムとか。違うか。うん。どっちにしても、これから、これから」
初日から根を詰めて疲れてしまったら元も子もない。
ちょうどすぐそこにショッピングセンターがある。
というか、私は車をそのショッピングセンターの駐車場に駐めている。
昼飯はショッピングセンター内のファミレスでとったし、帰りに同ショッピングセンター内の百円ショップか何かで買い物でもすれば、駐車場を利用する権利は十分あるだろう。
買い物をする前に、アイスクリームでも食べよう。
たしか一回にサーティーなワンだかツーだかが入っている。
ほらね。
あった。
べつにアイスクリームは好きでも嫌いでもないし、食べるならコンビニやスーパーで買ったものでかまわないが、たまにはいい。
私はダブルにして、あずきとラムレーズンを選ぶ。
よくわからない組み合わせだが、ぱっと思いついたのだからしょうがない。
フードコートの席があいているので、座ってアイスクリームを食べる。
ふとスマホを出して、何げなく坂口とのラインの履歴を確認しようとする。
「ん?」
妙なこともあるものだ。
メンバーがいません、となっている。
誰だ?
メンバーって?
「え?」
あちこちいじくってみたが、坂口が見つからない。
あずきとラムレーズンのアイスクリームが溶けてだいぶやわらかくなっている。
とりあえず、食べてしまわないと。
食べて、それからどうすればいいのか。
私はどうしたらいいのだろう。




