第8話 印さがし
もちろん私は次の日も印探しに繰りだす。
あたりまえだ。
仕事なのだ。
稼がないと金がないし。
次に口座から出金すると、残高が六桁を維持できない。
六桁残るように出金することも不可能じゃないが、そうするとたいした金額じゃないのであまり意味がない。
私はリアリストに徹することにする。
印探しのリアリストに。
何の冗談なのかと、我ながら思わなくもない。
昨日から場所を変えて、私は駅前で印を探している。
それなりに知られた観光地なので、平日なのに観光客がけっこういる。
外国人が多い。
でもまあ、駅前の商店街はシャッター街に近いような有様なので、人通りはちらほらといったところだ。
昨日の繁華街よりも腰を据えて探せる。
さすがに腰を据えるのはちょっとやりすぎだとしても、歩き回ってきょろきょろするのではなく、ちょくちょく立ち止まっていろんな場所をくわしく見たほうがよさそうだ。
いや、いいのか悪いのか、まだ印を一つも見つけていないのでよくわからないのだが、なんとなくぱっと目に入って、お、あった、みたいなことが起こるとはどうも思えない。
私は隣市であるH市の高校に通っていたし、駅前周辺は庭のようなものだったが、当時からはだいぶ変わっている。
最近はそこまでつぶさに見て歩くことはなかったから、新たな発見の連続で興味深いことも多々あれど、肝心の印は一時間経っても二時間経っても発見できない。
【何かヒントをください】
私は音を上げて坂口安吾にラインをした。
無駄かな、と思いながらも、なんとなく、感覚的に、一個くらいは見つけさせてくれるんじゃないかという期待も私の中にはある。
そうしないと、誰もこんなアホなことやらないだろ。
とりあえず一個見つけさせて、じゃあこれなら二個目も、といった具合に探させる仕組みなんじゃないか。
だとしたら、一個目は釣りというか、演出されたビギナーズラックというか、二個目以降はなかなか見つからない、あるいはまったく見つからない、ということもありうるので、さっさと一個見つけて三万六千円ゲットしたら、この仕組みから脱出してやろうというのが私の漠然としたプランだ。
しかし何だ、その仕組みは。
印だか何だか知らないが、こんなものを見つけて何になるというのか。
仮説めいたものは一応なくもない。
これは何らかの実験なんじゃないだろうか。
たとえば、金目当てに無意味そうな印探しなんていう馬鹿げたことをやらせたら、人間はどんな振る舞いをするものなのか調べる、といったような。
「お、返信が」
【人が見つけられない場所に印はありません。なぜなら、印をつけるのもまた人だからです。申し訳ありませんが、これ以上のヒントはご容赦願います。】
「……そりゃそうだろうよ。あんなもん、人間以外が描いてたら怖えわ。猫とか。こっわっ。でも、かわいいか……? やっぱ怖えな」
私は腹が立つやらやる気が失せるやらで、まあ一休みするかと、駅に入って駅ナカのコンビニで缶入りのブラックコーヒーを買い、待合所のベンチに座ってそれを飲みはじめる。
二階建ての駅舎はそう巨大ではないが、飲食店が数店入っていて、土産物屋はけっこう広いし、なかなか賑わっている。
印を探しているのは私だけだろうな、と思う。
ましてや、印を描いている者なんてこの中にはいないだろうな。
いないだろうが、いるかもしれない。
「待てよ」
私は誰に言ってんだろと考える。
いや、考えるべきはそこじゃない。
印をつけるのもまた人、と坂口は言った。
いや、言ってはいないが、メッセージにそう書いてよこした。
これ以上のヒントはご容赦願う、ということは、ヒントをくれ、という私の頼みを拒絶したわけじゃなくて、あれはヒントだった。
私は印を探している。
言うまでもなく、私は人だ。
印をつけるのもまた人。
私のような人間が印をつけている、ということか。
「ううん……」
何か見えてきたような気がする。
気がするだけかもしれないし、私は頭に浮かんでいるのはそうとう変なイメージだが、印探し自体が奇妙だし、坂口安吾もおかしな人物だ。
全体的に変なのだから、私の変な思いつきは案外的を射ているのかもしれない。
これはゲームのようなものなんじゃないか。
一方は印をつける。
もう一方は印を探す。
対戦ゲームだ。
坂口は印を探すほうで、印をつける誰か、たとえば太宰治かなんかとバトルしている。
彼らは、自分でも探すのかもしれないし、第三者に探させるのかもしれない。
そういうルールなのかもしれない。
この地域に印をつける側に雇われている者がいて、今日もせっせと印をつけている。
しかし、無制限に印をつけまくったら、街中印だらけになってしまいそうだし、簡単に見つけることができてしまう。
何かそこには条件とか制限、縛りのようなものがあったりするのかもしれない。
その条件だの何だのから絞り込むことができたら、印探しはもっと楽に進められそうだが、少なくとも私には明示されていない。
私はコーヒーをちびちび飲みながら、坂口が提示した三枚の印画像をあらためて点検する。
印のデザインはすべて一致している。
色はたぶん問わないが、一色のみ。
一枚目のコンクリートの壁は、橋脚だろうか。
二枚目のアスファルトは、どこかの道路だ。
三枚目のトイレは、誰かの家という感じではないし、あまりきれいではないので、おそらくだが、公衆トイレだろう。
印の存在を知らない人にしてみれば、落書きと変わらない。
ショッピングセンターのトイレなんかに印をつけることもできなくはないだろうが、すぐ消されてしまうだろうし、防犯カメラの映像などで迷惑行為者が特定されるリスクもある。
何者かは、基本的には誰もが自由に立ち入れる場所に印をつける。
ただ、橋脚にしろ、道路にしろ、白昼堂々、印をつけるのは難しそうだ。
ということは、人がいない時間帯に動くのか。
でも、めったに人が来ない場所なら、いつでも印をつけられそうだ。
「よし」
私は空になった缶をゴミ箱に捨てて駅舎を出る。
だいぶ絞り込めた、とは言いがたいが、印をつける者を想定して、その行動を推測しながら探すという方針ができたので、漫然とそこらをうろつくのとはだいぶ違う。
「おれは印をつける。人目につかないように。なるべく見つけづらい場所に……」
アメリカのドラマで、捜査機関が犯罪者をプロファイリングして捕まえるというものがある時期、ずいぶん流行した。
今もあるのかもしれないが、私はクリミナル・マインドというドラマが好きで、けっこう熱心に観たものだ。
元FBI捜査官が来日して未解決事件を捜査する、なんていうテレビ番組もあった。
私は平和的な一市民でしかないので、サイコパスの犯罪者になりきるのは難しいとしても、印をつける人間くらいになら、なれなくもないんじゃないか。
「おれは印をつける……見つかりづらい場所に……それでいて、印をつけられる場所……」
ぶつぶつ呟きながら、駅に引き返す。
印をつける仕事がいくらか知らないが、印探しとそう変わらないだろう。
たぶん。
うまくやれば稼げるけれども、しくじったら儲けが出ない。
こんな仕事、裕福な者がやるとは思えない。
私もそうだが、金銭的に余裕がない人間しか飛びつかないんじゃないか。
もし彼が、まあ、男性だと仮定して、彼が自家用車を所有しておらず、鉄道で移動して、駅から印をつける仕事に取りかかったとしたら、どこに印をつけようとするか。
私は彼になったつもりで歩いてみる。
駅には裏の正面玄関以外にも出入り口がある。
圧倒的に人通りが少ない。
彼ならここから出そうだ。
いや、きっとここから出る。
出た先にはホテルが建っていて、その駐車場がある。
ホテルだのその駐車場だのは微妙というか、印をつけるには適さない、と私は、いいや、彼は考える。
私有地だしな。
ホテルなんかは、いつ人の出入りがあるかわからなかったりするし。
このあたりには広い駐車場がいくつもある。
観光地だけに、今もそこそこ車が停まっている。
この手の駐車場もだめだな。
防犯カメラなんかも設置されていたりするし。
カメラか。
そうだ。
私、いや彼は、カメラを避けようとする。
一昔前と違って、けっこういろいろな場所にカメラが据え付けられているので、回避するのは意外と大変か?
細い通りが狙い目だろうか。
でも、こんなところに、というような場所に小さな飲食店があったりもして、なかなか印をつけられない。
ただ、店などがあっても、人が住んでいない、住居が少ないエリアだと、時間帯によっては本当に誰も通らないだろう。
印はそう簡単には描けない。
ぐちゃっとしていて、バランスをとるのが難しそうな、複雑なデザインだ。
よく見かける落書きのタギングのように、スプレーか何かでぱぱっと描く、というわけにはいかない。
ある程度の時間はどうしてもかかる。
私というか彼は会社や倉庫が多いエリアに辿りつく。
このへんには煉瓦造りの古い倉庫もあったりする。
一本、二本隣の通りは観光客で賑わっていたりするが、蔦だらけで窓も破れ、見捨てられたような建物がちらほらある。
そうした今にも崩れそうな建物の裏手に回ると、明らかに長らく使われていない錆びた燃料タンクに印が描かれている。
「マジかよ」
にわかには我が目で見ている印が本物だとは信じられない。
じっと見つめる。
目をつぶって開け、見直す。
同じことを繰り返す。
何度、確かめても印はそこにある。
他に落書きのようなものもない。
それに、黒い油性ペンで慎重に描かれたらしい印は、明らかに真新しい。
描かれてから何年も経っているということはまずないだろう。
私が思うに、最近描かれたものだ。
「おそらく、あれだな。印をつける側と印を探す側には対称性がある。対称性? 合ってるか? わかんねえな。何だろ。ようするに、坂口がおれを雇ったのと、太宰が印つけ丸を雇ったのとは、同じくらいの時期なんじゃないかな。太宰かどうかは知らんけど。印つけ丸って……まあいいや。印をつける側と印を探す例が、ヨーイドンで仕事を始めるっていうか。そうじゃないと公平なゲームにならないだろうし。ゲームなんかじゃないかもしれんけど。おっと」
気分が昂揚して、ついひとりごとがはかどってしまった。
私はスマホのカメラで印を撮影する。
一枚でいいのだが、角度や立ち位置を変えたりして、五枚も撮ってしまう。
そのうち一番いい画像を坂口にラインで送る。
それから、この場所の位置情報共有する。
間もなく坂口から返事がある。
【向井道さん、おめでとうございます。規定の報酬をお支払いします。つきましては、口座振込か、現金の手渡し、もしくはギフトカードでの受け取り、いずれかをご選択ください。なお、手渡しの場合は指定の場所にお越し頂きます。その点はご了承ください。】
私は即レスする。
【行くので直でください】
【かしこまりました。】
「よっしゃ!」
私は叫んでガッツポーズをする。
「三万! 六千円! 三万六千円! よし! 三万! 六千円! どうだ、クソが! 印、ゲットだぜ! ざまあみろ! おおおおおおおおおおお!」




