第10話 勝ち筋
私はショッピングセンターの駐車場から愛車を走らせ、ありせの店に急行する。
その前に連絡しなかったのは、逃げられるかもしれないと考えたからだ。
ありせは奇人変人のたぐいだとしても、逃げ隠れする性格じゃないような気はするが、嗜虐的というか、私を困らせて楽しむようなところは多分にあるように思う。
そうはさせない。
もっとも、私はもう困っているわけだから、ということはすでにありせを喜ばせているんじゃないか。
ひょっとしたら、すべてありせが仕組んだことなんじゃないか。
何もかも罠だったんじゃないのか。
それはないか。
さすがにそれはない。
私は十万八千円を現金で手にしているわけだし。
ありせは好事家というか、明らかに酔狂なやつだが、数千円、一万円くらいならともかく、十万円も費してひとをからかったりはしない。
しないんじゃないかな?
しない、よな?
いくらなんでも、そこまでは。
まあ、本人に確かめればいい。
ありせは店にいた。
奥の広すぎるスペースの例のソファーに座って、コーヒーか何か飲みくさりながら、煙草を吸っている。
「あら。呼んでもいないのに会いに来てくれるなんてめずらしいわね。どうしたの」
「どうしたもこうしたもあるか。坂口はどこにいる。ていうか、そもそも、あいつはどこのどいつなんだ。だいたい、坂口安吾と同姓同名ってのはともかく、いやその時点であやしさしかないけど、NHKの理事だっけ? そんなの変だし、印を一つ見つけるごとに三万六千円なんて奇妙にも程があるし、いきなりライン消していなくなるってどういうことだ!」
「ああ、そういうこと」
合点がいったようで、ありせは無駄な美貌を微笑ませながらうなずいてみせる。
「わたしも国会議員のパーティーでたまたま会っただけだし、坂口さんのことはよく知らないのよ」
「国会議員のパーティー? おまえそんなのに顔出してるのか」
「仕事上の付き合いでね」
「どんな仕事してるんだか」
「主に紹介とか斡旋とか。ぜろ、あなたにもしてあげてるじゃない」
「え? じゃあ、仲介料とってんの?」
「モノによるわね。あなたに回すようなのは、まともじゃなかったり、ちゃんとした相手に頼むには危なそうだったりだから」
「おれはゴミ捨て場か」
「法に触れるような案件は自分自身のために弾いてるから、安心して」
「誰の頼みだろうが、犯罪行為には加担しねえよ。若いころだったら、闇バイトとかに手を出してるかもしれんけど」
「そういうのやりかねないタイプだったのね」
「絶対やらないとは言い切れないな。金に釣られてうっかりやって、逃げだせなくなってそのままずるずるってパターンに嵌まり込んでたかもな。ガキの分別なんて、自分ではあると思ってても、たいしてなかったりするんだよ」
「それはそうかも。あなたって、物事を客観視できるわりに、やってることが支離滅裂よね。ちなみにこれ、褒めてるのよ」
「褒められてるような気がまったくしないんだが?」
「わたしの褒め方が独創的だからかしら」
「褒めてるって言ってるだけで、べつに褒めてねえからだろ」
ありせも当然、坂口の連絡先を知っている。
しかし、その場でライン、携帯電話番号と、複数の経路で連絡を試みたものの、私と同じようにユーザー不在だったり不通だったりで、繋がらない。
坂口の名刺には、NHK何とか放送局何とかかんとかと肩書きが書かれていた。
そう。
何とか放送局総本部局長理事、だ。
案の定というか、理事はいても、総本部局長理事、なんていう役職は存在しない。
ありせは坂口と知り合った場に居合わせた数人に連絡して、坂口のことを訊いてくれるが、有益な情報はえられない。
「だめね。本格的に捜さないと見つけられないかもしれないわ。そういう捜し方をしたいなら専門家を紹介してあげるけど」
「金をとるんだろ、どうせ」
「わたしとぜろの仲じゃない。特別にただで繋いであげるわよ」
「でも、そいつは金をとるんだろ」
「プロはただ働きしないものでしょう?」
「探偵か何かか。目ん玉飛びでるくらい高いじゃねえか、ああいうのって」
「あなたも誰かに頼まれたら人捜しとかやりそうよね。いっそ自分でやってみたら?」
私は一瞬、考えてみる。
もし私にそんな頼みごとをしてくる人がいて、金を払ってくれるのであればの話だが、日給一万数千円とかで、必要経費、ガソリン代だとか、その他の移動、宿泊などの費用も出してくれるというのなら、私は引き受けるかもしれない。
あくまでも、この私がそんなことを頼まれたらの話だ。
私は探偵でも何でもないし、知識も技術もないわけだから、いなくなった人を見つけることはできないだろう。
それでもよくて、金を出してくれるのなら、金のためにやってもいい。
意味がないよね。
私が捜したって見つけられっこないんだから。
「うん。帰る」
「坂口さんのことはいいの?」
「もうどうだっていいよ、あんなやつ。ていうか、十万円の男だったんだよ。十万八千円の男か。あと飲み代出してくれたな。いいやつだな。そうだよ。坂口はおれに酒を奢って十万八千円くれるために現れたんだ」
「わたしが紹介したんだけどね」
「そうだな。ありせ、おまえにも感謝しなきゃだな。ありがとう。愛してる」
「そんなこと、これっぽっちも思っていないわよね?」
「何、言ってんだ。おれは愛こそすべてだって思ってる。地球は愛で回ってる。信じられるのは結局、愛だけなんだよ。そう思わないか?」
「どうかしら」
「さて、家に帰るか。ねこが待ってるしな。帰りを待ってる人がいるのって、なんかいいもんだな。人じゃなくて猫だけど。またなんかあったら言ってくれ」
「そうするわ」
「じゃあな。邪魔したな。また今度な」
私はありせの店を出ると、愛車のアルトくんを飛ばして我が家へと急ぐ。
ねこは居間のソファーの上で丸くなっている。
もしかすると、ひと暴れしたあとなのかもしれない。
私はソファーの隅のほうに腰を下ろし、ねこを撫でる。
「印探しは終わりだ。かえってよかったよ。あんなのまともな仕事じゃない。おまえもそう思うだろ、ねこ。印をつけさせたり印を探させたりして、何が楽しいのか知らないけどな。金持ちの道楽とかなのかね。タコゲームみたいな。イカだったっけ。どっちでもいいか。ようするにカイジだろ。パクりパクられの世の中だよな。いや、インスパイアとリスペクトか。言い方だよな。はっきり言っちゃえばいいわけだよな。オマージュですとか言ったくらいにして。正々堂々ね。そのほうがいいに決まってるよな。すがすがしいよ。どうでもいいけどな。うん。マジでどうでもいいな。坂口の野郎は消えた。十万八千円はもう入ってこない。半分は使ったかな。まだ半分近くは残ってるか。焦んなくていいな。大丈夫だろ。でかい支払いはなさそうだし。ないと思うし。ないと思ってたら、意外とあったりするんだよな。人生そんなもんだよな。終わりかぁ、印探し。掴んだ感じ、あったんだけどな。五日で十万八千円はなぁ。月に十日働くだけで二十万超えるんだよな。あとは働かなくても食ってけるんだよ。惜しいよな、そう考えると。坂口め。うさんくさいやつだったよ、最初から。何が坂口安吾だよ。偽名なんか使いやがって。しかも、よりにもよって坂口安吾かよ」
死なす。
と、私は口にしそうになる。
生きろ。
人として品位を保つために言い換えようとするが、どうもしっくりこない。
「生きる」
私は結局、自分自身に言い聞かせる。
「こんなことがあってもさ。生きる。おれ、生きるよ。負けないぞ。もっとおもしろい目に遭ったことだってあるんだ。まあ、おもしろかったよな。印なんてそうそう探せるもんじゃない。十万八千円ゲットしたし。いい仕事したな、おれ。しばらく遊んで暮らすか。省エネでね。金を使わなきゃいいんだ。そうすれば金は減らない。簡単なことじゃねえか。なあ?」
そんなわけで、私は数日遊んで暮らす。
主に、というかほとんど、私はねこと遊ぶ。
ねこはまだ仔猫だが、日増しに活発になって運動能力が向上している。
私はねこと遊ぶというか、様々な物体をいわゆる猫じゃらしに仕立てて遊んでやっているのだが、これが飽きそうで飽きない。
たいていの場合、私より先にねこが遊びたがらなくなる。
私が、ええ、もうかよ、まだまだこっからだろ、本気を出せよ、と挑発すると、乗ってくることもあるし、乗ってこないこともある。
すると私はしょうがなく遊んでやるのをやめる。
しかしまあ、極力金を使わないようにしていても、私のぶんとねこのぶん、食費はどうしてもかかる。
それに、私としては、晩酌くらいしないとせっかくの休みを堪能している気持ちになれないし、そんなもったいない自由時間の過ごし方をしたら罪の意識に苛まれかねないので、酒は飲む。
安くすませたいから、ペットボトルのウイスキーと炭酸水を買ってきて、ハイボールを作って飲んでいるのだが、これがまたすこぶる飲みやすい。
うまい。
つい飲みすぎてしまう。
とうとう私は観念する。
「探すか、仕事。なんか来るかなと思ってたんだけど、来ねえし。なんで来ねえかなぁ。来るだろ、普通。空気読めよなぁ」
いろいろ考えたが、そう、私もただねこと遊んだり、ハイボールをたしなんだりしていたわけじゃなくて、ぼんやりと考えてはいて、まだ自分から積極的に、仕事くれくれモードでアグレッシブに動くときじゃないという結論に達している。
身支度をして、ぶらり散歩でも、といったふうに近所をだらだらと歩く。
ふりをあくまでもしているのであって、私にはちゃんと目的がある、
近くに小学校、中学校の同級生が住んでいて、午後のこの時間帯はちょうどゴルフから帰ってきたところだったりすることが比較的多い。
この同級生は近年めちゃくちゃゴルフをしている。
夜は飲みに行き、早朝から昼まではゴルフと、たいそう忙しそうにしていることを私は把握している。
「おっ、社長」
私はいかにも偶然通りかかって、車からゴルフバッグを下ろそうとしている同級生に出くわした、というふうに声をかける。
「おう、ぜろ。何やってんだ」
私の同級生は、サイドを刈り上げ、トップを残したクールカット、ポロシャツ、日焼けした肌、短く整えた髭、ゴールドのネックレス、きらきらした腕時計、そこそこ引き締まってしるが腹はちょっと出ている、という風体で、年齢より若々しくはなくても、かなりエネルギッシュに見える。
「いや、何ってこともないけど。歩いてるだけだよ。なんとなく」
「自由でいいな。相変わらず、おめえはよ」
「社長のほうこそ、ゴルフ帰りだろ。わりと自由にやってるんじゃないの」
「アホ。仕事のうちだって。なんもおもしろくねえよ。付き合いだからな、こんなの」
「そっか。大変なんだな」
「あたりめえだべや。家族から、従業員から、俺が何人抱えてると思ってんだ」
「すごいなぁ、社長は。偉いよ、ほんとに」
「何言ってんだ、馬鹿野郎。俺が偉かったら、こんなに苦労してねえべよ」
口は悪いが、面と向かって褒めるとちゃんと顔を少し赤らめて照れる。
社長はあだ名でも何でもなくて、本当に社長だ。
親の会社を継いで、事業を拡大しているやり手というだけに留まらない。
社長は我々の同級生を何人も雇っている。
その中には名うての不良少年だった者もいる。
前科持ちの者もいる。
昔の知り合いで就職先が見つからなくて困っている者がいると、自分の会社で働かせて資格だの免許だのを取得させ、暮らしが立つように面倒を見てやる。
たいしたもんだなぁ、と私が感心すると、社長は、こんなもん安くこき使ってるだけだ、とか何とか悪ぶって言うのだが、なかなかできることじゃないと思う。
社長も中学生の時分はそれなりのワルだった。
ヤンキーがいいことをするとよく見られてずるい、ずっと真面日一直線で誰にも迷惑をかけないほうが立派に決まっている、というよく耳にする主張にはたしかに一理ある。
しかしながら、社長くらいになると、放っておいたら何かしでかしかねない連中を何人も更生させ、納税させてている。
会社をでかくして、法人税だの何だの、やっぱり多額の税を納めているわけだから、社会への貢献度合いはけっこうなものだろう。
私は本気で社長を尊敬しているのだ。
「ところで社長」
「ああ?」
「何かあったりしないかな。前にもほら、何回かね。あっただろ」
「おお?何だ、おめえ、それでかよ」
社長は顔をしかめる。
この男は、学校の成績なんかは芳しくなかったが、悪事を働くにしてもえらく巧みだった。
その後の成功から見ても明らかなように、地頭がいい。
とりわけ、人の思惑や人間性を見抜くことにかけては、私など足元にも及ばない。
「まあね」
社長に対しては取り繕わないことだ。
正直に弱みを見せれば、社長は助けてくれる。
「そうとも言うね。そうだな。なんかないかな、あったらいいな、と思ってね。社長、顔が広いさ。相談事とかも持ちこまれるだろ。わけわかんない変な相談とかも。知ってのとおり、おれは暇を持て余してるからね。力になれるかもなと思ってね」
「いっそのこと、ぜろ、おめえ、うちで働くかぁ?」
「それはいやだ」
「はあ、まったくよ、しょうもねえやつだな、おめえは」
社長はスマホを見ながらぶつぶつ呟きだす。
何かないかと考えてくれている。
勝ったな。
これは勝ちパターンだ。
社長はきっと何か仕事をくれるに違いない。
「ねえな」
社長はスマホをズボンのポケットにしまう。
「今はなんもねえわ」
「すっか」
私は、そっか、と言おうとしたのだが、どういうわけか、すっか、になってしまった。
「うん。いや、なんかあったらなぁと思っただけだから」
「悪いな、ぜろ」
「そんな。悪いなんて、ぜんぜん。へへっ。あっ、社長、車変えたんだな。このランクル、かっこいいよな。なかなか納車されないんじゃなかった?」
「ずいぶん前に注文してよ。やっとこないだだよ」
「あれ? そこに停まってるアルファードは?」
「俺んじゃねえ。娘のだ。買ってやったら嫁さんにえれえ怒られてよ」
「すっかぁ。いや、そっかぁ」
私はひとしきり社長と立ち話をしてからその場をあとにした。
「生きろ」
もちろん、私が願うまでもなく社長は逞しく生きてゆくだろう。
健康に留意して、どうか長生きして欲しいものだ。
私は太く短くでいい。
太く、は難しいだろうか。
このままだと難しいかもね。




