第11話 急すぎて
私はときにマキャベリストになる。
マキャベリストというのはマキャベリズムに従って行動する人のことで、マキャベリズムとは権謀術数主義、すなわち、目的のためには手段を選ばないということだ。
私はいろいろな人に頭を下げて何か仕事ありませんかねえと頼みまくったりはしない。
基本的には。
なぜなら、プライドが許さないとかそういったことではまったくなくて、単純にめんどくさいからだ。
頼まなくても仕事が舞いこんできてくれるなら、それに越したことはない。
黙って待っていればいいのだから楽なものだ。
でもまあ、仕事のほうから歩み寄ってきてくれない時期はどうしてもあるものだ。
それでもあくまで待つ、待ちの一手だとこだわっていたら、口座残高六桁キープが危うくなるどころか、気がついたら残り数百円、というところまで追いこまれたりしかねない。
私のモットーは融通無碍だ。
いや、正直、モットーなんてものはどうでもいい。
モットーなんて、べつにあってもいいが、邪魔くさくなったらさっさと捨ててしまえばいいのだ。
社長はなんとかしてくれるんじゃないかと期待していたので、それが不首尾に終わった以上、のんびり構えていたら危ない。
フリーランス、自営自由業者の第六感だ。
第七、かもしれない。
八かな?
九とか。
とにかく私はこれまで仕事をくれた人びとに漏れなく連絡した。
やるとなったら、私はやる。
やるときは徹底的にやる。
間を置くとすぐ億劫になることが目に見えているので、一気にやる。
それから約三日。
私は居間で猫じゃらしを振っている。
猫じゃらしは割り箸と数種類の紐と輪ゴムと布テープで自作したものだ。
やがてねこが遊んでくれなくなる。
私はやむなく仏間の畳の上で大の字になる。
今のところ成果はない。
けれども、仕事が見つからないかもしれない、とは考えまい。
そんなふうに考えたら、本当にそうなってしまう気がしてきて、精神的にきつくなってしまうかもしれない。
「平常心。平常心だ。平常心。平常心だけどな。まだ慌てるようなアレじゃない。アレってどれだよ。今に見てろ。違うか。なんか違うな。深呼吸でもするか。呼吸を深めた勢いで瞑想しちゃおっかな。メディテーションでもぶちかましますか」
寝ちゃうかもなと思いながら、ゆったり大きく息をしていると、居間に置いてあったスマホが鳴る。
ラインの通知音だ。
私は思わず飛び起きて、頭を振る。
「いやいや」
仕事絡みの連絡はだいたいメールか電話だ。
ラインは、あんまりね。
まあ最近ちゃんとEメールや電話で依頼された仕事なんてほぼないというか、ここしばらくは皆無だったりする。
「ということは?」
私は居間へと向かう。
スマホはこたつの上だ。
ねこはソファーから私のスマホを訝しそうに見ている。
スマホをチェックする。
「たみさんか」
前に掃除をしたのはいつだっけ、あれからそんなに経ったっけな、と考えながらラインのトーク画面を表示する。
【突然ラインして申し訳ありません。
私は多美本人ではなく、多美の孫です。
急なお知らせとなりますが、祖母が先日亡くなりました。
祖母に代わって、生前大変お世話になりましたことを感謝致します。
鶴本流美】
「へえ」
一読した段階ではぴんとこない。
ことはない。
読み返す前に、私は目を瞠る。
「えっ。たみさん、死んじゃったの? 嘘? こないだは元気だったのに。え、何これ、いたずら? そんなわけないか。孫の流美……って、あの子か。たしか昔、たみさんのとこに遊びに来てたよな。ずいぶん前だけど。でも、死っ……えぇ? たみさんが? ちょっ……え? おれの貴重な定期収入源が」
言いかけて、さすがにそれはないなと思う。
たみさんを定期収入源扱いとか。
現実的にそういう部分もなくはなかったが、べつに収入の柱だったわけじゃないし、失われたとしても致命的なことにはならない。
私はなんとなくソファーに腰を下ろす気にはなれず、こたつに尻を引っかける。
たみさんの家を掃除することによってえられる報酬は、一ヶ月から二、三ヶ月に一度、一万二千円だ。
たとえばこれが今、入ってきたら助かることは助かる。
とはいえ、年間五回とか、多くても七、八回の臨時収入だ。
私にとって、ありがたくはあったが、どうだろう。
「たみさんがいなくなっちゃったことのほうが、普通に寂しいな。まだ七十七……ってことは、そこまでめちゃくちゃ早すぎるってことはないけど、女性の平均寿命って八十七とかだろ、たしか。早いっちゃ早いよな、やっぱ。何だよ、たみさん。死んじゃったのかよ。水くさいな。言ってよ。言えないか。急だったっぽいし。ええぇ。たみさん、死んだの? ほんとか? なんか信じらんないな……」
じっとしていられなくなり、私はささっと身繕いをして家を出る。
たみさんの家はすぐ近くだ。
行ってみると、見たところ変わった様子はない。
チャイムを鳴らしたら、いつものようにたみさんがドアを開けてくれるんじゃないだろうか。
それで私はうっかりチャイムを鳴らしてしまう。
まずいことをしたような気もするが、たみさんが亡くなってしまったのなら、一人暮らしだったこの家には誰もいないだろう。
ところが、数秒後、「はあい」という声がドア越しに聞こえる。
ドアが開く。
「あっ」
と私の顔を見るなり声を上げたのは、ひっつめ髪の黒い服を着た細身の女性で、ちょっと薄幸そうというか、頼りなげに見えるのは、下がり眉だからだろうか。
「どなた……あ、もしかして、向井道さん?」
「えっ。そうですけど。え? なんでですか?」
「お見かけしたことあるので。だいぶ前ですけど」
「あぁ、あなたがたみさんのお孫さん? 流美さん……でしたっけ?」
「はい」
流美さんはひょこっと頭を下げて、私を玄関の中に迎え入れる。
「どうぞ。ここだと何なので」
「あ、そうですか? じゃあ、ちょっとだけ」
私は三和土に、流美さんは上がり口に立っていて、目線の高さはだいたい同じくらいだ。
流美さんは小柄とは言えないが、かなり華奢な女性ではある。
「先ほどはいきなり連絡してしまって。祖母が大変お世話になりました」
「いや、お世話なんて。かえってぼくのほうがいろいろ」
「祖母から聞いてはいたんです。向井道さんのところのぜろさんに、よく片づけを手伝ってもらっているって」
「そうなんですね。手伝わせてもらってただけですけどね。ぼくは業者とかでもないですから。こういう言い方をするのもあれですけど、そこまでの状態じゃなかったですし」
「あたしが来てあげればよかったんでしょうけど、近くに住んでいるわけじゃないから、なかなかそうもいかなくて」
私はそれとなく三和土に散乱している靴、サンダル、スリッパを見る。
一足だけ、黒いパンプスがある。
これは流美さんの靴だろう。
他はすべて見覚えがあるので、たみさんのものだ。
なお、靴類以外のゴミを詰めた透明のゴミ袋が三和土の隅に置かれている。
廊下にもゴミで満杯のゴミ袋がいくつか並んでいるが、晩年は片づけられない人になっていたたみさんがやったとは思えない。
「ええと……たみさんは、たしかお子さんが二人いらっしゃったんですよね」
「あたしは長女のほうの娘で」
「ということは、流美さんのお母さんは?」
「じつは、まだあたししか来てないんです」
「そうなんですね」
たみさんには一男一女があって、子供と仲はよくないみたいな話は私もけっこう聞かされた。
そうはいっても、母親が亡くなって駆けつけてこない子供というのはどうなのか。
まあ、世の中にはそういうこともあるのかもしれないが、孫は来ているのだ。
「え、でも、そしたら、葬儀とかそのへんは?」
こんな立ち入ったことは訊くべきじゃないのかもしれないが、たみさんのことだから気になる。
「じつは」
流美さんはうつむいてしまう。
「まだで」
「まだ」
私はつい鸚鵡返しに繰り返して、どういうことなのかと考えこむ。
まだ。
葬儀がまだ?
ひょっとして、私が想像していたよりも死にたてなのか。
死にたて、という表現はどうかと思うので、そんな訊き方はいくらなんでもしない。
「あの、たみさんはいつ?」
「それが、昨日の夜なんです」
「おぅ……」
ちょっと前じゃないか。
死にたてだ。
なんだか、そう聞くと不思議なことに、悲しみが押し寄せてくる。
たみさん、ちょっと前まで生きてたんだな。
それだったら、生きている間にもう一回くらい会っておきたかった。
私はたみさんの語り口調がわりと好きで、彼女と話しながら掃除をするのは苦痛じゃなかったし、そうじゃなかったら適当な理由をつけて断っていただろう。
いや、一万二千円のために、我慢してやっていたかもしれないが。
けれども私としては、たみさんの家を掃除するにあたって、忍耐を強いられていたわけじゃ決してない。
ただ働きは御免だが、毎日はいやでも、月一と言わず、週一くらいなら、そこそこ喜んでやっていたんじゃないかと思う。
おそらく、たみさんも、たまに私と顔を合わせるのを楽しみにしていたんじゃないだろうか。
「いやあ……」
私は左右の手で腰の両側を押さえて下を向く。
「ううん……たみさん……そっかぁ。残念だなぁ。なんかねえ。ぼく、祖父母四人とも早くに亡くしてるんで、自分のおばあちゃん的なところもあったりなかったりして。どっちかっていうと、母親世代に近いんですけどね。なんで、おばあちゃんっていうと、そうかなっていう感じもなきにしもあらずですけど。こんな早く……っていうのはねえ。まだまだ手伝わせてもらうつもりだったんで。戸惑っちゃいますね、正直。戸惑いだよなぁ。一番は。嘘みたいだし」
「よければ」
流美さんが思いもよらぬことを言いだす。
「会っていかれますか?」
私はぽかんとしてしまう。
「はい?」
「中にいるので」
「中に? 誰がですか? たみさんが?」
「はい。迷惑じゃなかったらですけど、向井道さんに会っていただけたら、おばあちゃん、喜ぶんじゃないかと思うので」




