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雑に生きしまうがいいさ  作者: 十文字青


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第5話 モヒートの

 ありせの話は大変奇妙なものだったが、だいたい存在自体がわりと奇妙、と言ったら怒られそうだし、時世的に問題が生じそうだ。

 何だろうね。

 とりあえずまあ、個性的、とでも言っておけばいいのか。


 とにかく、とても個性的なありせが、私にときどき持ちかけてくる依頼もまた個性的だ。

 ちょっと仕事とは思えないような、おかしな仕事しか回ってきたためしがない。


 今回も例外じゃなくて、印探しとやらをありせに持ちかけてきたのは、坂口安吾という男なのだか。

「……え? 本物の? そんなわけないか」

「あたりまえじゃない。たまたま同姓同名なだけだって本人は言ってたけど」

「安吾って、いつ死んだんだっけ。ずいぶん前だよな。1950年代……?」

「たしか1955年」

「それよりあとに生まれたやつなら、偶然同姓同名ってのはちょっと考えづらいな」

「七十まではいってないわね。たぶん還暦くらい。知らないけど」

「知らないのかよ」

「会って直接訊いてみたら?」

「なんかあやしいな……」

「坂口さん、印を一つ見つけたら三万六千円くれるって」

「会うだけ会ってみるか」


 ありせはその場で坂口安吾に電話してアポイントをとってくれた。

 さっそく今日これから、私も何度か訪れたことがあるバーで、坂口氏は会ってくれるらしい。


 まだ少し時間があるので急ぐ必要はない。

 ここに居座りたいわけじゃないが、ありせがよく腰かけているだけあって、この古めかしいソファーはやけに座り心地がいい。

「そういえば、ぜろ、猫を拾ったの?」

「……なんで知ってる?」

「どうしてだと思う?」

「わかんなくて怖いから訊いてるんだけど?」

「怖いの?」

 ありせは足を組み替えて微笑する。

「それじゃ、教えない」

「いい性格してるよ……」

「知ってる」

「皮肉なんだが?」

「それも知ってる」

「でしょうね……」


 ありせは謎めいている。


 私と同学年だということはいつだったか聞いた。

 ような気がする。

 おぼろげな記憶でしかないので何度か確認したが、毎回はぐらかされるから、本当に同学年なのだろうと、逆に私は確信している。


 《《ついている》》ことは知っている。

 見ちゃったからね。

 でも、何というかこう、見たのに信じられないというか。

 若者ならともかく、私と同年代でこの体形を維持するというか、妙齢の女性のようにしか見えない体つきを実現するのは困難じゃないか?

 それとも、現代医学をもってすれば、美容外科的な手術だの何だのを駆使することで、どうにかなってしまうのだろうか?

 金さえかければ、不可能じゃないのか?


 本名はアリセタカオだと、以前、言っていたような。

 それで、よう、アリセタカオ、と呼びかけてみたら、ハァ?みたいな顔をされたことがある。

 違うのか。

 私が何か勘違いしているのか。


 だいたい、私はいつ、どこで、ありせと出会ったのだったか。

 地元じゃない。

 ――と、思うのだが。

 物書きをしていたころ、実家に戻る前は、別の街に住んでいた。

 そこではない。

 気がする。


 だとしたら、東京だろうか。

 私は旅行をしない。

 何か用事があって行くとしたら、東京くらいだ。

 とくに理由はないが、新宿に泊まることが多いので、ということは新宿か?


 新宿の歌舞伎町かどこかで知り合った?

 一緒に酒を飲んで、酔った勢いでホテルに行った?

 ちなみに、私はそういった経験が豊富なほうじゃない。

 皆無に近い、と言ってもいいだろう。

 もし私がありせとそういう経緯でそんなことになった、いや、なりかけたのだとしたら、唯一の事例だ。

 そして、私は見てしまった?


 だったっけ、と問うたところで、ありせはまともに答えない。

 友だち付き合いをしているわけじゃないが、ときどきなんとなく飲むことがある。

 私から誘うことはないので、ありせの誘いに応じているはずだ。


 もっとも、今回のように、ありせはラインをしてきても、メッセージの中に具体的な用件を書くことはない。

 必ず口頭で伝える。

 だからラインの履歴を辿っても、私たちの間でいつ何があったのか、よくわからない。


 頻度はまちまちだが、金になる頼みごとをしてくる。

 ありがたいことはありがたい。

 言ってみれば、間接的な金づるだ。

 だから関係が切れていない。


「ねえ、ぜろ、あなたって」

「おれが何だって?」

「こういうとき、五分でも十分でも、一時間でも黙っていられる人よね」

「とくにしゃべることがないのに、無理やり話すのもな」

「そういうところよ」

「こういうところが何なんだよ」

「何だと思う?」


 知らんわ。

 と思わずにいられないが、私はやはり黙っている。

 訊かれると知りたくなるのが人情というものだ。

 しかし、本当に知りたいのかどうか、それを己が心の底から欲しているのかどうか、よくよく検討してみたら、意外とそうでもなかったりする。

 べつにそこまで知りたくないのであれば、あえて問い詰めるまでもない。


 だいたい、ありせのように反問してくる輩というのは、当然のことながら訊いてもらいたがっている。

 なんでこちらが欲求を満たしてやらないといけないのか。


「ぜろ、あなたって」

「うん」

「こういうとき、平気で黙ってる人よね」

「そうかも」

「いい根性してるわ」

「褒められると照れるな」

「照れてないわよね?」

「まあね」


 私は適当なところでありせの店をあとにして約束のバーへと向かう。

 バーで待ち合わせということは、普通に考えれば酒の一杯や二杯飲むことになるはずだ。

 当然、飲酒運転をするわけにはいかない。

 私は警察に捕まりたくないし、事故を起こしたくもないから、飲酒運転も信号無視もしない。


 帰りは運転代行サービスを利用することになりそうだから、私はタクシー会社と提携している駐車場に愛車を駐めたが、これはなかなかなに勇気がいる決断だったことを白状しなければない。

 東京あたりの店と比べたらリーズナブルだとはいえ、安いバーじゃないし、酒代を出してもらえるとは思えない。

 自腹で払って、駐車料金に、代行までしてもらうとなると、少なく見積っても一万円は飛ぶだろう。


 三万六千円に釣られて来てしまったが、本当によかったのか。

 ありせにはホテルでの一件以外、完全に騙されたことはないので、詐欺じゃないとは思う。

 でも、相手は坂口安吾だし、印を探すなんて意味不明だ。

 今回ばかりは嵌められようとしているんじゃないか。


 そうはいっても三万六千円はでかいので、私はそのへんを少しぶらついてから開店直後のバーに入店した。

 マスターは本日最初の客となった私のことを覚えてくれていて、待ち合わせだと説明すると、奥のボックス席に案内された。


 このバーはウイスキーの品揃えが充実していて、葉巻なども吸えたりするが、ラムとミント、砂糖でつくるモヒートがやたらとうまい。

難点を挙げるとするなら、とても飲みやすい酒なので、あっという間に飲み干して、ついつい二杯、三杯とお代わりしてしまう。

 つまり、うますぎるがゆえに、コスパがよろしくない。


 懸念したとおり、私は一杯目をほぼ一気飲みしてしまい、それですっかり気分がよくなって二杯目を頼み、これは大事に飲もうと心に誓ったのに、五分ももたせられなかった。

「マスターのモヒートがうますぎるからさ。マスターのせいだよ。まいったなもう」

「とりあえずお水でも出しましょうか」

「冗談が上手だね、マスターは相変わらず。もっとおいしい水をいただきます。モヒートください」

「かしこまりました」

「冗談以上に商売上手なんだからなあ」


 三杯目のモヒートをちびちびやっていると、半白できちっとした三つ揃姿の男がバーに入ってきた。

 金縁の眼鏡をかけている。

 男はマスターに挨拶すると、まっすぐ私のほうに歩いてきた。

「坂口と申します。向井道さんですね」

「はい。あなたが坂口安吾さん……?」

 いささか失礼かもしれないが、私が思わずフルネームを口に出して確かめると、坂口は名刺をくれた。


 NHK✕✕放送局総本部局長理事

 坂口安吾


「……エヌエチケー? の人なんですか? 坂口さんは……?」

「ええ。理事を務めさせていただきながら、別の事業を手がけております」

 坂口はいかにも品のいい微笑みを浮かべて、自分も同じものをと、マスターにモヒートを注文した。


「その事業っていうのが印探しなんですか」

「関係はあります」

「ちょっと変わってますよね。事業内容としては」

「向井道さんは作家をしてらっしゃるんですよね」

 坂口はさらりと尋ねてきたので、私はうっかりうなずいてしまいそうに、なるわけがない。


「ありせが話したんですか。おれは作家なんかじゃないですよ。たまたま昔、何冊か本を出したことがあるだけです」

「せっかくですから、一冊読ませていただきました」

「何だって?」

 私は言い直す。

「……何ておっしゃいました? 本を読んだ? 売ってないでしょ」

「探したのですが、手に入らなかったので、やむをえず古本を購入しました。申し訳ありません」

「それはわざわざどうも」

「読ませていただいたのは」

「教えてくれなくていいです。興味ないんで」

「そうですか。ともあれ、楽しませていただきました。ありがとうございます」

「どういたしまして」


 何なんだ、この男は。

 坂口安吾という名前なのがまた微妙に嫌な感じだ。

 悪いことに、私は坂口安吾の書いたものが小説に限らずけっこう好きなのだ。


 何なら、書いたものだけじゃなく、坂口安吾という人間に関心があり、この作家に関するものはいろいろ読んだ。

 坂口安吾夫人の坂口三千代が書いた『クラクラ日記』なんかはけっこうおもしろくて、今でもたまにぱらぱらめくったりする。


 マスターが坂口のモヒートを運んできてくれた。

 坂口はモヒートのグラスを手にしたが、口をつけようとしない。

「我々の出会いに乾杯しませんか、向井道さん。わざわざご足労いただいたので、もちろんここは私が持たせていただきます」

「カンパーイ」

 私は坂口のグラスに自分のグラスをかちんと当てた。

 思わず顔がゆるんでにやけてしまったかもしれない。


 三杯目のモヒートはあっという間に空になった。

 私は少しだけ迷ったが、四杯目はマスターおすすめのスモーキーなウイスキーをロックでもらうことにした。

 意地汚いやつだと思われてもいい。

 だいたい、この金がない状況で、駐車と運転代行の料金は自分で払うのだ。

 酒代くらいは出してもらってもバチは当らない。

 出してもらえるなら飲めるだけ飲みたい。


「仕事の件は検討してもらえそうですね」

 坂口がやはり上品ぶった微笑を目許と口許に浮かべる。

「します、します」

 勢いで私はそう応じてしまう。

「もちろんですよ。検討するに決まってるじゃないですか、やだなあ、坂ちゃん。アンちゃんのほうがいいですかね。うん。ノリですよ、ノリ」

「私は坂ちゃんでもアンちゃんでもかまいませんが」

「そうっすか? ああ、でも、おれがかまうかなぁ。初対面だしなぁ。坂口さん、年上だし。年上ですよね?」

「向井道さんは作家をなさっていたころも実年齢は非公開でしたから、はっきりとしたことは言えませんが、私のほうが一回り以上は上でしょう」

「作家ね。作家。まあ、そのことはいいじゃないっすか、坂ちゃん。とりあえず飲んで飲んで。ここのモヒート、激ウマですよね」

「たしかに大変おいしいですね」

「おっと、もうだいぶいってるじゃないですか。二杯目、どうします? あ、無理はだめっすよ。そういう時代じゃないんで」

「では、同じものをいただます」

「いいっすねえ。いいなあ。嬉しくなってきちゃうな。マスター、モヒートもうー杯お願いしまーす」


 私はだんだんと坂口のことが気に入りはじめている。


 そもそも、私が好きな坂口安吾と同姓同名な点はマイナスよりプラスとしてとらえるべきだ。

 かつて私が書いた小説など読んでくれなくていいが、労を惜しまず読んでくれたという人に悪感情を抱くのもおかしい。

 何より坂口は酒を奢ってくれる。

 そして、印だか何だかを探せば三万六千円くれるという。


 どう考えてもいいやつじゃないか。

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