第24話 こみいる
お互い泥酔していたのだろうが、私はギネさんをなんとかしないといけなくて、着替えさせたり、このままではまずいだろうと髪を乾かそうとしたり、ドライヤーが古くてぜんぜん乾かなかったり、私の布団を使わせようとしたら寝技を仕掛けられたり、逆に寝技を掛けて落としそうになったりしているうちに、すっかり酔いが覚めてしまった。
とりあえずギネさんは眠ってくれたようだから、私は居間のソファーで寝ることにする。
いつのものかわからない、嘘みたいに薄い掛け布団が仏間の押し入れの中にしまわれていたので、変な臭いはするがこれを使う。
電気を消してソファーに身を横たえ、布団を胸あたりまで引き上げると、ねこが私の上にのってくる。
重い。
少々苦しくても、ねこが私にくっついて寝ようとしているのだから、我慢しないといけない。
我慢するだけの価値はある。
ギネさんがものすごい高いびきをかいている。
いびきは体に悪いようだが、あれだけ飲んだらしょうがないだろう。
私もうるさくて眠れないということはなさそうだ。
こっちも大いびきをかくかもしれないし、などと考えている間に私は眠りに落ちる。
目が覚めると、私は床の上で横になっている。
「なぜに……」
まあ寝相はいいほうじゃないし、落ちてしまったのだろう。
体が痛い。
あちこちが。
とくに背中が痛むだけじゃなくて冷えきっている。
ねこは見あたらない。
仏間の畳の上でスウェット姿のギネさんが仰向けになり、スマホをいじっている。
というか、あれか。
仕事をしているのかもしれない。
新幹線の中でも、スマホで書いていた、というようなことを言っていた覚えがある。
私はパソコンでキーボードを打って書くことしかできないから、スマホで小説だの何だのを書くなんて信じられない。
昔の携帯電話、ガラケーで文字入力するのも苦手だった。
今のフリック入力も好きになれない。
ギネさんは胸の上にスマホを立てて両手持ちし、左右の親指を絶えず動かしている。
おそらくフリック入力だろう。
なかなかにすさまじい速度だ。
私はギネさんに声をかけようとするが、やめる。
邪魔しないほうがよさそうだ。
そっと寝室を覗くと、ぐちゃぐちゃになった布団に紛れこむような体勢でねこが眠っている。
まさか、ギネさんと共寝していたわけじゃないだろうな。
裏切り者め、と思いそうになるが、ねこは猫、好きにするのが猫というものだろう。
「人間のエゴだよな」
つい呟いてしまう。
でも、ねこは起きない。
ギネさんは一心不乱にスマホを操りつづけている。
私は冷水で顔を洗い、ざっと歯を磨いてから家を出て、最寄りのコンビニに行く。
マスクをつけた春巻さんがレジのところにいる。
午前十一時ごろだと、そのときになって知る。
というか、何を買いに来たんだっけ。
私は何のためにこのコンビニを訪れたのだったか。
よくあるんだよな、こういうことが。
そもそも、常に頭がぼうっとしていて、はっきりクリアな状態がほぼない、というか。
いつからだろう。
若いころはそんなことなかったと思うんだよな。
やっぱり年のせいか。
衰えているのか。
老化か。
あるいは、アルツハイマー型認知症の前駆症状とかだったりして。
「怖えわ……」
小声で呟いて、私は日用品が陳列されている棚へと足を向ける。
そうそう、これこれ。
歯ブラシだ。
ギネさんも歯磨きくらいはしたいだろう。
けれども、我が家には私の歯ブラシしかない。
あたりまえだ。
私は一人暮らしの中年男性で、誰かを家に泊めるなんてことは通常ありえない。
あいにく予備の歯ブラシを常備する習慣も私にはない。
歯ブラシなんてものは、毛が開きまくってこれもう限界突破してるだろ、というあたりからがむしろ本番であって、引っぱれるところまで引っぱるのが私の流儀だ。
私は歯ブラシ一本と、明らかに酒が残っていて二日酔いまで辿りついていないこの体調でも食べられそうなサンドイッチ、さっぱりしそうなアイスクリームを二つずつカゴに入れて、レジへ持ってゆく。
「いらっしゃいませ」
春巻さんはいつもどおり爽やかだ。
「どうも」
「ひょっとして風邪気味ですか?」
「え? なんでですか?」
「声が」
「あぁ。嗄れてますかね。ずいぶん飲みながらしゃべりまくったからなぁ」
不意に気になる。
「酒くさいですかね、おれ」
「いえ」
春巻さんは目を笑わせてわずかに首を横に振ってみせる。
「すみません……」
「いえ、本当に。私、マスクしてますし。鼻炎気味で」
「そうなんですね」
フォローまでさせてしまって申し訳ないが、重ねて謝ったらかえって迷惑だろう。
帰宅して冷凍庫にアイスクリームをぶちこむ。
ギネさんはまだスマホで書いている。
ねこは居間の床に座って私を待っていたので、そうか、飯だなと思い、フード、水を用意する。
「ギネさん」
私が居間から呼びかけると、ギネさんは最短の音声で応じる。
「ん」
「歯磨きする? 歯ブラシ買ってきた」
「風呂入りてえ」
「またかよ」
「シャワーでいいわ」
「マジで言ってんだよな。わかった。脱いだ服、洗う? 洗濯機使ってもいいし。脱衣所にある」
「適当にやる」
「そっか」
私はギネさんのそばに歯ブラシを置いて、シャワーを浴びられる状態にする。
というか、私こそシャワーくらい浴びたほうがいいんじゃないかとも思うが、めんどくさいから着替えるだけにしておく。
もっとも、このあとギネさんが洗濯機を使うだろうから、私の洗濯物は別に分けておかないといけない。
インスタントコーヒーをフライパンで淹れ、飲みながらサンドイッチを食う。
居間のソファーに座って本を読んでいると、ねこが隣にやってきて丸くなる。
思わず私は微笑んでしまう。
ギネさんがいなくなったり戻ってきたりして何かやっているが、とくに気にしない。
「サンドイッチあるよ」
とだけ告げておく。
そのうちギネさんが猫じゃらしを使ってねこと遊びはじめる。
いつの間にかやめて、スマホで何か書きまくっている。
私は本を三分の一ほどまで読んだところで頭が痛くてしょうがなくなってくる。
「間に合うかなぁ、書評」
「間に合わせろクルクルパーのハトポッポ」
「最善を尽くすつもりではあるけどね。二日酔いになってきた気がするんだよね」
「ヘナチョコだな。わたくしなんかとっくに二日酔いだわ」
「吐いたらすっきりするかな。遅いか。遅いな。吐くなら飲んでる途中か飲んだあとだよな」
「わたくしは飲んだ酒は吐かねえ主義なんだよ」
「おれはウェロウェロ吐いちゃう。吐けばよかったなぁ。水ゾンビのせいでちょっと冷静になったのがよくなかったな」
「何だ水ゾンビって」
「覚えてないの?」」
「覚えてるわ。忘れるわけねえだろわたくしが。舐めんな。舐めるのはオナホとディルドだけにしとけオナニーオートマトンが」
ちなみにギネさんはスマホで書く手を片時も止めずに話している。
どないなってんねん脳。
私はねこにいったんどいてもらい、ソファーで横になってみるが、寝心地に満足がいかない。
そこで、寝室の布団を多少整えて寝転がることにする。
ねこが腹というか胸の上にのっかってくる。
苦しい。
まあ、ちょっとだけだし、我慢できる範囲内だ。
目をつぶる。
意識が遠のいた途端、居間で私のスマホが着信音を鳴らす。
「メールか。何だよ……」
無視したいが、なんとなくそうするべきではないような気がする。
私はねこに胸の上から下りてもらい、起き上がる。
こたつの上に置いてあったスマホを見ると、そういうことか。
なぜ自分が無視しないほうがいいと考えたのか、メールの送信者を見て理解する。
私はソファーに腰を下ろしてメールをチェックする。
【久しぶり
ちょうどこっちに来ています
家に寄ろうかな
と思います
いちろ】
三回読み返してから、私はため息をつく。
「……何ですと?」
「どした」
ギネさんがひょこひょこ歩いてきて、私の隣に座る。
身を寄せてくる。
「ん? どした? 何? タッキー? 何があった? 教えろよタッキー。それともわたくしが手取り足取り教えてやろうか? ナニを教えて欲しい? ブレイキンか? ポッピンか? ロッキンか? ビバップか、ハウスか? ソウルか?」
「なんでおれがギネさんにストリートダンス教えてもらわなきゃなんねえんだよ」
私はもう一度ため息をついてから、ギネさんにスマホを見せる。
「弟からメールが来たんだよ。ずっと連絡とってなかったんだけど。どこで何してるのかも知らんかったし。そしたら」
「岐阜にいて失踪したらしくて、内縁の妻が訪ねてきたんだっけ?」
「あれ? 話した?」
「言ってたぞ。やたらエロい女でやりたくなったんだろ?」
「そんなことは言ってないよね?」
「言ってなかったっけ? おっかしいな。聞いたような気がするけどな。それとも、もうやったんだっけ?」
「やってねえし! やるわけねえし!」
軽く、本当に軽くだが、好きになりそうになったのは事実だとしても、そんなのは私の常というか、常?
常、なのか?
女の人のことをすぐ好きになっちゃう系の人間なのか、私は?
そんなことはない。
と、思う。
仮に好きになったとて、というのもね。
あるし。
実際のところ、現実問題として、ね。
資産はこの家となんとか六桁の預金だけ、自由はあれど不安定きわまりない、真性の独身中年だから。
「しっかし、タッキーの弟か」
ギネさんが容易ならぬことを言いだす。
「どんなんだ? 会ってみてえな」
私は即答しない。
何しろ、ギネさんだ。
会ってみたい、というのは社交辞令でも何でもなく、本当に会ってみたがっている。
これが、会いたい、になったら、是が非でも会おうとする。
ギネさんなら手段を選ばないだろう。
それはまあ、いい。
桶座間諒子さん、我が愚弟、壱路の内縁の妻が隣市のホテルに滞在しているという、特殊な状況でなければ。
そして、ギネさんはそのことを知っている。
まるで記憶にないのだが、昨夜、私がすっかり話してしまったようだ。
その上でギネさんは、壱路に会ってみたい、と言っている。
あくまでも、私の弟に興味があって、壱路にだけ会えればいい、ということなのか。
それとも、いささかややこしいこの事態を見物したい、ということなのか。
めんどくさいので、ギネさんの気持ちを、会ってみたい、の段階で止めておいたほうがいいんじゃないか。
というか、気を逸らして、お引き取り願ったほうがいいんじゃないだろうか。
「あの、ギネさん――」
仕事も忙しいだろうし、だろう、というか、間違いなく多忙なので、家に帰ったほうが、いや、さっさと帰れ、と言い渡そうとした私は、階段が軋む音を聞く。
思わずビクッとしてしまう。
だって、あれは何者かが階段を上がっている音だ。
この家で育った私が聞き違えるはずがない。
ギネさんが首をひねって、丸眼鏡の向こうで何回もまばたきをする。
何者かは階段を上がりきって、廊下を歩いている。
居間の戸が開く。
私は一瞬、鏡を見ているんじゃないかと思う。
自分で言うのも何だが、うん?
何だが?
そうなのか?
よくわからないが、その人物は私によく似ている。
私と違って眼鏡こそかけていないが、顔形も、背恰好も、似すぎるほど私に似ている。
「タッキー……」
ギネさんが私を見て、その人物を見る。
また私を見て、その人物を見てから、私に目を向ける。
丸眼鏡を押し上げる。
「の、弟か。双子? いや、弟のほうが若いか。そりゃそうか。タッキーをまんま若返らせたような感じだな。雰囲気はちょい違うけど。だいぶ違うか」
その人物はギネさんと私、どちらかを見ているというより、二人とも視野に入れて、たいして驚いてはいない、というか、完全な無表情だが、内心どうなのか、私にはわからない。
黒いトレッキングパンツ、赤と黒のチェックのネルシャツ、といった装いは私が選択しないたぐいのものだが、髪がのびていたり、無精髭なところなんかは血を感じなくもない。
「ただいま、ぜろ」
落ちつき払った声で弟が言う。
そのとき、ねこが壱路に近づいていって、やつの脚に体をこすりつける。
なぜか悔しくない。
だろうな。
そんなふうにさえ、私は思ってしまう。
「おかえり、壱路」




