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雑に生きしまうがいいさ  作者: 十文字青


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22/28

第22話 ずるい人

 宜古山ギネカ先生はこの書店の海外文学のコーナーで私を待ちかまえていたらしい。

 らしい、じゃなくて、待ちかまえていた。


 ギネさんは一冊の本を私に差しだす。

 これから私が書評を書かなければならない、アメリカの高名な作家が物し、名のある翻訳家によって邦訳された小説だ。

「あってよかったよな、タッキー。なかったら困ってた。だろ?」


 ギネさんはデビューしたとき高校一年生で、制服姿で授賞式に来たから、私は実年齢を知っている。

 もちろん私よりずっと若いわけだが、そうはいっても十歳かそこら下なだけだ。

 今のギネさんがその年齢に見えるかというと、見えない、と感じる人が大半だろう。


 たぶん童顔の部類に入る顔立ちや、何系とも言いがたいぶっ飛んだ服装、わりあいこぢんまりとした体格のせいもあるのかもしれないが、高校生は言いすぎとしても、大学生ならギリいなくもなさそうだ。

 とはいえ、初めて会ったは本当に瑞々しい女子高生だったので、当時と比べたらまあ、あれだ。

 でも、あのころと比べるな、という話だろうし、細部を観察するのを難しくさせるような強烈なインパクトが、ギネさんのビジュアルにはある。


「困るのはおれよりあんたでしょうが」

 私は本を受けとらない。

「買ってくださいよ。安い本じゃなさそうだし」

「アホぬかせ。自分で読む本は自分で買うんだよ、愚かとぐろクソ虫」

 ギネさんは本を引っこめない。

「落ちるとこまで落ちたのか? どうりで出がらしうんこみてえなニオイがするわ。ただのミドル脂臭とは思えねえ。クセえ。クサすぎだわ」


「ふ、普通に傷つくぞっ」

 私はギネさんの手から本をひったくる。

 レジへと向かう。

 ギネさんはついてくる。

「おい、そんくらいで怒んなって。いや怒ってもいいし、心では泣いても笑っとけって。一周回ってハゲ散らかせって」

「ハゲ散らかすのは自然とハゲてからにするわ」

「タッキー、ハゲ家系? お年を召してもマゲは結えるほう?」

「みんなくたばっちまってハゲてたかどうかよくわかんねえけど、マゲはとりあえず結わねえよ」

「マゲは結えよ。似合うぞマゲ」

「アナクロなアナログ人間だけど江戸時代くらいまで回帰するほどじゃねえんだわ」


 私はレジで会計する。

 その本は三千円近くする。

 普通に痛い出費だが、この際しょうがない。

 しょうがない、のか?


 なぜかギネさんの待ち伏せに遭ったりしなければ、店内にあるスタバで茶ァーなんぞしばきながら本を読み進める努力をしようとしたかもしれないが、そんな気にはとうていなれない。

 さっさと書店をあとにすると、ギネさんはまだついてくる。


 私が駐車場に停めてあった愛車のアルトくんに乗りこむと、ギネさんはさも当然のように助手席に乗ってきてシートベルトを締める。

「ちっせえ車だな。あとなんか微妙にクセえな。ひとんちのニオイがするな。気分悪くなる系の。外国行くと、どこも独特のニオイがしてクセえよな。んで日本帰ってくっとしょう油クセえんだよな。ずっといるとわかんねえのに。このニオイにもすぐ慣れちまうんだろうな。タッキーのニオイに慣れるってなんかすげえイヤだな」

「じゃあ降りろよ」

「早く出せって。ちんたら運転しろ。でも、チ●コは出すなよ」

「出すわけねえし!」


 私はアルトくんを発車させる。

 にゃびゅさんに言われたことを思いだし、シートにしっかり座って視野を広くすることを心がける。

 何せ、ギネさんを乗せている。

 絶対に事故るわけにはいかない。

 この天才作家に怪我でもさせたら恐ろしいことになる。


「ていうか、なんでこんなとこにいるんだよ、あんた。家、東京だろ。区とかまでは知らんけど」

「新幹線乗ってきた」

「交通手段を訊いてんじゃねえんだわ。どうして新幹線か飛行機乗らないと来られない、ここにいるのかって訊いてんの」

「新幹線で仕事してみた」

「仕事するのに新幹線乗ったってこと?」

「スタバ感覚。そういえばさっきスタバあったな」

「あんたくらいになると、新幹線とスタバ、同じ感覚で乗れるんすね……へえ……」

「気分転換にはなったわ。一冊書けたわ」

「東京からって四時間くらいだっけ。一冊書いたの?」

「スマホでちゃちゃっとな。頭ん中ではおおよそできてたからな」

「化け物かよ……てか、そんなんだったら書評くらい書けんだろ、五分かそこらで」

「いろいろ立て込んでんだよ。わたくしはタッキーみてえに暇じゃねえの」

「今、暇そうよ?」

「脳を休めてんだよ。言わせんな、パ●パン野郎」

「もっさもさだわ。言わせんなよ、恥ずかしい!」

「照れるような年かよ。修学旅行の風呂場でズル剥けしてるやつが誇らしげにぶらぶらさせてんのチラ見してすげえやべえとかビビッてたクチだろ、どうせ」

「JKだったきみの、どっからそういうディテールが出てくるわけ?」

「イマジネーションかなぁ」

「いや、新幹線の件はわかったけど、書店にいたのはおかしくない?」

「タッキーの行動なんてお見通しなんだよ。本がなかったら買いに行くだろ。このへんだとでかい書店っていったらあそこだろ。実際来ただろ」

「怖えよ。その推理能力。犯罪捜査にでも生かせよ」

「仕事に生かしまくってるわ。その手の書きまくってきたわ」

「でしたねえ」


 車は我が家に着いてしまう。

 エンジンを停めてから、はて、これでよかったのかと私は訝る。

「え? ギネさん、すぐ帰るよね? 仕事があれだろうし。何も言わないから家に帰ってきちゃったけど」

「このわたくしを粗末にオンボロ家に連れこもうとするたぁ、とんでもねえ度胸だな、ブラジャー?」

「ブラザーじゃなくてブラジャーかよ。いや、ブラザーじゃねえし、ブラジャーではもっとねえよ」

「タマキンにつけるのは?」

「え? 何だろ? フンドシ……?」

「そっち派なのか? 大和男子かよ」

「締めてねえわ、フンドシなんか! 締めたこと一回もねえわ! めんどくさそうだし!」


 私は憤然と車を降りる。

 ギネさんも助手席から出る。


 私が玄関の開けづらい戸を開けると、ギネさんは引いている。

「わあ。マジ冗談抜きで粗末なオンボロ家じゃねえの。こっわっ……」

「入らないほうがいいと思うよ? 帰ったらいいんじゃない? タクシーでも呼んでさ」

「そんなこと言うなよバカ。遊びに来てやっとんだぞトンマ。勇気出してここまでやってきたわたくしの気持ちも考えろよヘタレ。焼き鳥はやっぱタレだよな」

「おれもタレ派だけど、このへんで焼き鳥普通に食おうとしたら豚肉だって知ってる?」

「知ってんに決まってんだろウスラトンチキ。常識じゃねえかそんなのウシノクソ。知識として押さえてるだけだから食ってみてえとは思ってるけどな」


 私はやむなくギネさんを我が家に上げる。 何がどうしてやむをえないのか、さっぱりわからないのだが。


 ギネさんはオンボロな風呂場やミシミシ鳴る階段や汚い便所、古い造りの台所などを興味深そうに見て回り、悪口雑言の限りを尽くす。

 いちいちもっともなので、私は腹も立たない。


 居間に入ると、ねこが仏間へ、仏壇の裏へと逃げこんでしまう。

「あああああああああああああああ!」

 ギネさんが正気を失ったかのように騒ぎだす。

「猫! 猫だあ! 猫がいたぞタッキー! 猫、猫、猫、猫! 猫があ!」


 ネギさんは仏壇の前に直行する。

 座って仏壇の脇に手を突っこむが、そんなことをしたところでねこにさわることはできない。

 それでねこを捕まえて引っぱりだせるなら、私だって苦労していない。


「他人が家に来ると隠れちゃうんだよ、うちのねこ。先に言っとくけど、ギネさんが家にいる間は出てこないと思う」

「おまっ……」

 ギネさんは座ったまま振り向く。

 大きな丸眼鏡がずれるというか、ずり落ちている。

「それマジで言ってんのか。死刑宣告と変わらねえぞ。わたくしに死ねって言ってんのかよ。血も涙もねえな。この極悪非道連続強盗レイプ放火魔!」


「仕方ないでしょうが、ねこ次第なんだから!」

「タッキーの猫じゃねえのかよ! 出せよ、今すぐ出してくれ、違うもん出すなよ、出すな、出したら殺す!」

「違うもんなんか出さねえし、ねこも自分で出てこない限り出さねえよ! 無理強いしたらねこに嫌われるぞ!」

「き、嫌わっ……」

 ギネさんは髪の毛をひっかき回して叫ぶ。

「いやぁーっ! いやだぁ! 猫に嫌われんのはいやぁぁーっ! 己で価値を創出する能力皆無なクソアホ批評家とか頭ん中に蛆わいてるアンチとかにはいくらでも嫌われていいしむしろ嫌われたいくらいだけど、猫には嫌われたくないっ。それだけは、いやぁぁぁ、いやなのぉーっ!」


「……あんまうるさくするのも、ねこ、嫌がったりするよ?」

「そうなん?」

「うん」

「じゃ、わたくし、静かにする」

「そうして」


 かくしてギネさんは、仏壇の前で借りてきた猫のようにおとなしく座りつづける。

 ひたすらねこが出てくるのを待っているようだが、その忍耐が報われるときが来るのかどうか。

 神じゃなくて、ねこのみぞ知る。


 私はソファーに座って買ってきた本を読みはじめる。

 しかし、やっぱり老眼のせいで字がぼやけて読みづらい。

 眼鏡をずらして本を近づければ読めないこともないが、私は強度近視だから、思いっきり近づけないといけない。

 これはこれで、きわめて読みにくい。


「最悪だな。本も読めなくなるなんて」

 思わず、もう何回となく呟いた愚痴を口に出してしまう。


 ギネさんが振り向く。

「ああ? 何て?」

「年食ったせいで本も満足に読めねえって言っただけ」

「何だ。年寄りの繰り言かよ」

「まさしく繰り言です」

「猫の爪の垢でも煎じて飲め。猫はそんなくだらねえことほざかねえだろ?」

「そうすね。許容量超えた仕事引き受けてゴースト使ったりとか絶対しねえしな」

「わたくしのゴーストが務まることに誇りを持てよこの梅干しの種が。タッキーはからっぽの容器みてえなもんだけど、物真似だけはいっちょ前だからな。からっぽだからなんだろうな。中身がなんもねえな。振っても音がしねえな」


「まあねえ」

 私は受け流しながら本との適切な距離を探る。

 近すぎて字がぼやけない。

 小さすぎて読めないということはない。

 このへんかな。

 うん。

 ここだな。


 けっこう本を離すので、腕が疲れる体勢だが、せっかく見つけたポイントを外すわけにはいかない。


 私は久しぶりに集中して読書する。

 時間がみるみるうちに過ぎる。

 いつの間にか室内がやや薄暗い。

 明かりでもつけようと立ち上がったとき、ギネさんが仏間にいることを思いだす。


「あ。まだいたんだ」

「そりゃいるだろうよ。帰ってねえんだから」

 ギネさんは振り返らない。

 まさか、ずっと同じ姿勢で座っていたのか。


「疲れない?」

「そういう問題じゃねえんだわ」

「どういう問題?」

「猫を待ってるに決まってんだろトーヘンボクのコンコンチキ。チキチキホースのミートボール」

「なんかの商品名みたいになっちゃってるよ」

「もう黙れ。口から腸引っぱり出して蝶々結びにされたくなかったら少し黙ってろ。永遠に沈黙させられたくなかったら」

 ギネさんのほうこそ口を閉じる。


 仏壇の横からねこがすっと姿を現す。

 畳に降り立って、ギネさんのすぐ脇を通りすぎ、早足で私に歩み寄ってくる。


 ギネさんが振り向いてねこを目で追う。


 ねこは私の脚に体をこすりつけ、きゃお、と鳴く。

「あぁ、飯か。待ってな。今、用意するから」


「ずるいぞ」

 ギネさんがぽつりと言う。


「そんなこと言われても」

 私は餌皿と水皿を持ち、ねことギネさんを残して台所へ向かう。

 皿を一度洗い、水気を切るなどしてから、新たなフード、水を入れる。


 居間に戻ると、ギネさんが四つん這いに近い姿勢で、ねこの顎の下を撫でている。

 ねこは怖がりもせず、それどころかわりあい気持ちよさそうに、ギネさんの指先を受け容れている。


 私は呻くように言う。

「ずるいぞ」

 ギネさんが勝ち誇ったようにニタリと笑ってみせる。

「んなこと言われてもなぁ」

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