第21話 天才
桶座間諒子さんは隣市のホテルに滞在しているという。
内縁の夫を捜し歩いているといっても、有力な手がかりがあるわけでもない。
行方知れずになってすぐ、捜しはじめたわけでもないようだ。
彼女なりに仕事の始末をつけてから、壱路にゆかりのある地を旅している、といったような風情もなくはない。
前職は訊かなかったが、経済的に切羽詰まっている様子もないので、けっこう蓄えがあるのだろう。
彼女が断片的に語ったことをもとに、私が推測しただけだから、本当にそうなのかは定かじゃないが。
オケザマさんはコーヒーを飲み終えると、しばらく隣市のホテルに泊まると言い残し、帰っていった。
私は弟の壱路に連絡してみることにする。
スマホの電話番号はずっと前に登録したものが残っている。
それから、たしか親の葬式のときにラインを交換した。
電話をかけてみるが、おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない場所にるため、かかりません、というアナウンスが流れる。
まあ予想どおりだ。
前にかけたときも同じだった記憶がある。
私はその電話番号に、連絡しろ、という短い文面のSMSを送っておく。
ラインのアカウントは、生きてはいるようだ。
【どこにいる?】
【おーい】
【生きてるよな?】
【返事しろ】
適当にメッセージを送りつけてみるが、既読にもならない。
だろうな。
そういえば、Eメールでやりとりしたこともなかったか。
メールボックスを調べてみたら、壱路と何度かやりとりをしている。
かなり古くからあるフリーメールのアドレスだ。
念のため、メールも送っておく。
ねこが仏壇の裏から出てきてくれたので、猫じゃらしでひとしきり遊んでいると、こたつの上のスマホが鳴る。
メールの着信だったから、もしや、と思う。
私は猫じゃらしを振りながらスマホを手に取る。
見ると、やはりメールだ。
壱路からのメールじゃない。
「ギネさんか」
メールを読もうか読むまいか、私は迷う。
用件はだいたい見当がつく。
私はソファーに腰を下ろす。
猫じゃらしは相変わらず振っているものの、ねこの食いつきはよくない。
私が気を入れずに遊んでいるのがねこにバレているのだろう。
「今、ギネさんかぁ……」
イカドハイヤーの会長から末広がりの八万円を頂戴したばかりだし、なんか弟の内縁の妻なんかも突如として現れたりもして、私としてはしばらく仕事なんぞしたくない。
「あっ。八万円。なんで八万なのかなと思ってたけど、末広がりだからか?」
そんなことはまあ、どうでもいい。
問題はギネさんだ。
おそらく仕事の依頼だろう。
というか、あの人がそれ以外でメールをよこすことはない。
仕事絡みじゃなければ、ラインしてくる。
つまり、仕事だ。
どうしたものか。
「迷惑メールに分類されちゃってたことにするか。それなら、おれのせいじゃない。ジーメールが悪い。ごめん、ギネさん。文句ならグーグルに言って。だめか。だめだな。ないな、それは。ギネさんだしなぁ。断れんよねぇ。しょうがないか。やるしかないのかね。めんどくせえなぁ。やりたくない。働きたくないなぁ。働いたし。もう働いたよ? 一生分働いたっぽくない? もう働けないよ? リミット達しちゃってるって。無理すると体に悪いよ? 健康を害することになると思うんだよね。体が資本でしょ? 自営業者だし。身一つだからね。はいはいはいはいはいはい、わーかーりーまーしーた。わかったよ。もう。どうせ断れないもんな。ギネさんだからなぁ。くそ。生きろ」
葛藤の果てに、私は片手間でねこと遊ぶのをやめ、ギネさんのメールを読む。
案の定、仕事だ。
「よりにもよって、書評かよぉ」
アメリカの高名な作家の翻訳本を読んで紹介する。
途方もなくめんどくさそうなんですけど。
というか、めんどくさい。
「いやだ!」
私は思わず叫んでしまう。
「いやだよ、ボラえもーん! 誰やねん、ボラえもんって! 誰っちゅうか何やねん! 知らんわぁ! 何でもいいから助けて、ボラえもーん! えーん! 泣いていいっすか! 泣かないけど! 泣くか、ボケッ!」
ラインが来る。
ギネさんだ。
【読んだ?】
「何をだよ! 本? もしかして、その何とかって本のこと? 読んでねえわ! 今、てめえのメール読んだとこだわ! てめえみてえに本ぱっぱと読める人間じゃねえんだわ! なーにが速読だ! 速読とかできるやつは滅びろ! 生きて滅亡しろ! 永遠に生き永らえて宇宙の終わりにまで立ち会っちまえ、バーカ!」
音声通話の着信がある。
出るしかないか。
「はい。もしもし。向井道です」
『なーにがムカイドーだ、タワケ。死ね。殺して死なねえか。タッキー、死んでも生きてそうだもんな』
「いや、どう考えても死んだら死ぬよ?」
『読んだか?』
「メールは読ませていただきましたけどね」
『あの本読んでねえの?』
「読んでねえわ。読めるか。爆速か。鬼速か」
『じゃなくて読んでなかったの?』
「やあ、本はねえ。ううん。あんまりね。ほら。何だろ。老眼がね?」
『つまんねえことぬかしてんな。タッキーの分際で。うんこして寝て噴火して転がれ』
「噴火はできねえよ、とりあえず。火山じゃねえんだわ。人なんだわ」
『プッ。人とか。タッキーなのに。人のつもりとか』
「何だと思ってんだよ、おれのこと」
『タッキーはタッキーだろ。言わせんなよ、こんなこと。フ●ストフ●ックすんぞ』
「物騒すぎるよ……壊れちゃうよ……」
『鍛えろよ、ア●ルを。怠るなよ』
「もともと鍛えてねえし。鍛えるつもり微塵もねえし」
『己の脳みそでもソテーして食ってろ』
「脳みそ食うだけでも至難なのにソテーするのはさらにむずいって」
『そんなことじゃ立派な料理人になれないぞ』
「料理人じゃなくて猟奇殺人者のやり口だって」
『あーもう疲れた。タッキーの口からは戯れ言しか出てこないんだもん』
「あなたのせいですよ?」
『出た! すぐひとのせいにする! 変態!』
「切りますね」
『切ったら鬼電するけどいい? ていうか押しかけるけどいい?』
「絶対やめて?」
『じゃ切るな』
「わかりました」
私をタッキーなどと呼ぶのはギネさんしかいない。
ちょっとだけ物書きをやっていたときの筆名が霙川滝人スといって、霙川とか、ミゾレさんとか、ミゾとか、ミゾちゃん、といったふうに呼ばれたりはしたが、下の名で呼ばれることはまずなかったし、ましてやタッキーなんて呼び方をするのはギネさんだけだった。
ギネさんは宜古山ギネカという名の作家で、私が商業デビューしたあとにデビューした後輩なのだが、年齢はずっと下だ。
なんと高校一年生にして同時期に複数の新人賞を受賞し、若き天才ともてはやされて華々しく作家人生をスタートさせた超絶エリートなのだ。
年下の後輩とはいえ、あまりにも格が違いすぎるものだから、私は最初からギネさんとさん付けで呼んでいたし、そのまま現在に至る。
『とりあえずさ、五日後の夜七時までに頼むわ』
「納期五日後の七時は厳しくないっすか」
『何言ってんの? 五日だよ? 五日もあるんだよ? アホなの? 死ぬの? 死んじゃうの? タッキー、アホすぎて死んでしまうん?』
「そんな軽々しく死ぬ死ぬ言うな、言わないでくださいよ、ギネさん」
『検閲文化には負けねえよ? よくない風潮だよ? 表現の自由は守られるべきなんじゃなくて表現は自由なんだよわかったかタコ。イカ。ナマコ。ヒラメ。ゲソ』
「部位になっちゃったよ……」
『まあつべこべ言わずにやれ。何だ? 読んでなかったの、あの本? まあまずは読めや。そんで書け。終わり。イージーなゲームだよな?』
「だから老眼で本すらすら読めねえんだって」
『年寄りめ。老害め。単なる老人だな。あらがえよ。黙って年老いてったら死ぬぞ』
「黙ってても年はとるし、みんな必ずいずれは死ぬんだよ」
『それ、このわたくしに向かっても言えんのか?』
「言えるわ! 不老不死か、ギネさん、あんたは。違うだろうが。いくらあんたでも。違うよな? 不老不死、獲得しちゃってたりしないよな?」
『わっかんねーよお? どうだろうなあ?』
「むやみに漂わせるなよ、可能性を! もういい、わかった、ええと、何だっけ、その本。電子書籍である?」
『ない』
「ないんかーい! 電子書籍なら拡大できるから老眼のおれでもなんとか読めるかなと思ったのに、今どき電子書籍ないんかーい!」
『紙しか出てねえ本のほうが内容よかったりするよ? アホは読まねえっていうか、読めねえ本だったりするけどな』
「ギネさん、そういうこと言わない……ギネさんの本なんて、ぜんぶ電子書籍でも出てるでしょ……」
『わたくしはちゃあんとアホでも読めるように書いてやってるからな』
「そういうこと言わなーい! ギネさんの読者が悲しむでしょ!」
『悲しませるのも愛だろ』
「サディストかよ! サディストか。そういうとこ、あるもんね、ギネさん」
『ねえわ。あるか、ボケッ。わたくしはノーマルだわ。ドノーマルなんだわ』
「そっすか。はい。了解でーす。切りますね? いいっすよね、切って?」
ブツッとギネさんのほうから音声通話を終了させる。
私は深く大きなため息をつく。
「……そういうところだよ」
どういうところだよ。
ぜんぶ、かな?
何もかも、かな?
めちゃくちゃだからね、あの人。
結局、ああいうのが天才なんだろうな、とか思うよ。
私も多少は自惚れていた時期がなかったわけじゃない。
小説を書いて投稿して新人賞を、大賞じゃなかったとはいえ受賞して、賞金をもらって本を出してもらって、いえーい、やるじゃーん、おれってすごいじゃーん、そこまで苦労したわけでもないし、ひょっとして天才なのかも、とか、少しも思っていなかったとは言えない。
出した本の売れ行きが芳しくなくても、あれだな、おれの才能に世間がまだ気づいてないんだな、時代がおれに追いついてないな、おれが先を行きすぎているんだろうね、みんな、遠慮しないでついてこいよ、みたいなことを考えなかったわけじゃない。
ただ、私がもがき苦しんでいるときにあの人が現れて、これは無理かもしれんね、と思い知らされたよね。
違いすぎてさ。
圧倒的で。
ははあ、才能ってこういうものなんですね、と思っちゃったよね。
うぎゃあ、悔しい、とかも、そんなになくてさ。
どうにもならんやろ。
埋めがたい差を飛び越えようとしたら、それこそ死あるのみだろ。
何しろ、宜古山ギネカ先生ときたら、それ以外にも筆名がいくつもあって、それぞれ本を出して売れているからね。
中には、とんでもなく売れている本もけっこうあるからね。
小説だけじゃないからね。
エッセーも書くし、コラムみたいなものも書くし、漫画の原作やら、ドラマやアニメや映画やゲームの脚本なんかも手がけるし、ジャンル分けできないようなものを、いろんな名義で書きまくって、巨万の富をえている。
この、巨万の富、というのは誇張じゃない。
宜古山先生はマジでわけがわからないほど稼いでいる。
間違いなく本人も、自分がいくら持っているとかまるで把握できていない。
だから、ちょこちょこした仕事なんて受けなくていいのに、頼まれると安請け合いしてしまう悪い癖がギネさんにはある。
そして、我らが宜古山先生は、何の名義で何を受けて、それぞれいつまでやらないといけないのか、感覚的にしか掴んでいない。
おかげでしばしば、あ、やば、間に合わん、ていうかそもそも書いている暇なんかない、という事態に立ち至る。
そんなときギネさんは、どうするか。
だいたいは〆切り前に気づいて、期限を延ばしてもらうか、依頼元と調整して、誰か別の作家に振る。
ギネさんがそういう人だということは関係者全員、承知しているから、どうにかこうにか都合をつけるのに慣れているし、先方がなんとかすることもある。
ギネさんは方々に大変な迷惑をかけまくっているわけだが、それでも相手は切るわけにはいかない。
仕事を頼みたい。
それほど、ギネさんの筆力は絶大だ。
さらに、一般的には同一人物だと思われていないのに、複数の名義で個別のファンを獲得している。
そんなわけで、ギネさんは窮地を切り抜けまくってきたのだが、様々な事情からどうしても自分で書くしかない、書かないといけないのに、明らかに書けない原稿も、ときにはある。
ギネさんはどうするか。
私を含む数人に書かせる。
ただし、その原稿は、ギネさんや別名義のギネさんが書いたものとして発表される。
言ってみれば、というか、紛うことなきゴーストライターだ。
ちなみに、この仕事の報酬は中抜きなしというか、ギネさんがもらった額がそのまま振り込まれるので、なかなかおいしい。
名のある作家だと、こんなにギャラがいいのかと、慄然とさせられたりする。
「ほんと、めちゃくちゃだよな」
私は家を出る。
車で隣市の書店へと向かう。
この地域では最大級というか、近い規模の書店が他にない。
今や地方都市なんてどこも似たようなものだろう。
ネット通販を利用してもいいが、それだと私の現住所の関係上、どうしても二日はかかってしまう。
私は五日後の午後七時までに書評を書き上げなければならないから、できるだけ早く本を入手したい。
「ここになかったらねえだろ。在庫なしだったらどうしよっかな」
どうとでもなるさ、というより、どうでもいいさ、という気持ちで、例の本がありそうな棚のほうへと歩いてゆく。
新刊が面陳列されている棚にあるかどうかは微妙なところだと思い、海外文学のコーナーに行くと、客は一人しかない。
大きな丸眼鏡をかけていて、黒髪を変則的なポニーテールにし、得体の知れない服を着ている小柄な女性だ。
「はい……?」
私は呆然としている。
というか、脳がバグっている。
女性が私を見て、たぬき顔をにんまりと笑わせる。
「よお、タッキー」
言葉が出てこない。
けれども、このままフリーズしていたら、きっと相手を喜ばせるだけだ。
私は声を絞りだして応じる。
「よお、ギネさん」




