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雑に生きしまうがいいさ  作者: 十文字青


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19/28

第19話 忘れないで約束を

 私は旗岡のケンちゃんにタックルを仕掛ける。

 もちろんラグビーやレスリングの経験はない。

 皆無だ。

 ただ、私はなぜか柔道が強かった。

 何かそういった資質があるのかもしれない。

 もしかしたら、真面目に柔道、あるいはレスリング、もしくはラグビー、アメフトなんかをやっていたら、ひとかどの選手になることができていたかもしれない。


 無理か。

 まあ無理だろう。

 練習とかようせんし。

 なんで関西弁やねん。


 ともかく、私はうまくケンちゃんを押し倒すことに成功する。

 そのまま押えこみに入る。

 ケンちゃんは暴れる。

「放せ! エイザキ! キューサク! エイザキィィーッ!」

「お、落ちつけってケンちゃん!」

「エイザキキューサク! ワシナガアユコを殺した! エイザキがワシナガアユコを!」

「誰だよエイザキもワシナガアユコも! エイザキ……あっ」


 エイキューデンタルクリニック。

 エイザキキューサク。

 エイキュー。

 そういうことか。


 閃いた拍子に、ケンちゃんに振りほどかれそうになるが、私は持ちこたえる。

 これは柔道の何とか固めという技だと思う。

 体育の授業で習ったんだっけ?

 よくわからないが、私はかなりがっちりケンちゃんを取り押さえることができているようだ。

「エイザキ! キューサク! ワシナガアユコを殺して埋めた罪を!」

 ケンちゃんは本気というか、狂気というか、獣のように大暴れしているのに、私を撥ね返せずにいる。


 ちょっとこれ、地味にすごいんじゃない?

 私にこんな特技が?

 人を押さえこめる能力?

 役に立つか?

 立っているか。

 今、立っている。


「け、警察!」

 客の誰かが叫ぶ。

 途端に何人かがスマホを手にする。


「待って、通報は!」

 にゃびゅさんにしてみれば、ケンちゃんが警察に逮捕されるのは避けたいのかもしれないが、この際、しょうがないんじゃないか。


「エイザキキューサク! おまえがワシナガアユコを殺して埋めんだ! ワシナガアユコはエイザキ! おまえのせいで!」

 ケンちゃんは私によって完全に組み伏せられてはいるものの、抵抗をやめない。

 私は少しずつ体勢を調整して、もはやこのまま十分でも二十分でも押さえこみつづけられそうな手応えを感じてはいる。

 とはいえ、私は立派な中年であり、運動不足気味でもあって、体力には自信がないから、疲労困憊したらどうなるかわからない。


 程なく警察が駆けつけてきて、ケンちゃんは身柄を拘束され、連行される。


 私とにゃびゅさんだけじゃなく、その場にいた人びとは警察官に事情を訊かれる。


 あれだけケンちゃんに呼ばれても出てこなかったエイザキキューサクの姿を、私はようやく拝むことになる。

 おそらく私と同年配だが、今どきの美容男子というか、美容中年か、身だしなみにすごく金と手間をかけていそうな、私にしてみれば気にくわないタイプの男で、やけにおどおどしている。


 こいつがワシナガアユコを殺して埋めたのか。


 意味不明だが、私はすっかり理解している。

 私が見つけてしまった白骨化した遺体。

 四年前から行方不明になっている市内の女性。

 ワシナガアユコ。


 彼女は殺害されて、あんな場所に埋められた。

 誰がやったのか。

 むろん、エイキューことエイザキキューサクだ。


 ケンちゃんは、ワシナガアユコの霊をタクシーに乗せた。

 そして、取り憑かれたのか何なのか、そんなことがありうるのかどうか、知ったこっちゃないが、とにかく、エイキューの犯罪を暴きだすため、エイキューデンタルクリニックにやってきたのだ。

 ワシナガアユコの恨みを晴らすために。


 ケンちゃんは勾留されるが、釈放される。

 不起訴処分となる。


 地方都市でそれなりに繁盛していた歯科医院の経営者で、歯科医でもある栄埼究作は、かつて鷲長鮎子という女性と不倫関係にあった。

 四年前に行方をくらました彼女が、遺体となって発見された。

 そんな事件が、週刊誌やワイドショーを賑わしはじめる。

 といっても、トップ記事、トップニュースとして大々的に扱われているわけじゃないが、私が住む地域ではめったに起こらないたぐいの凶悪犯罪だ。


 エイキューデンタルクリニックは取材陣に包囲され、休診となる。

 マスコミは栄埼の自宅にまで押しかける。

 サングラスをかけ、マスクをつけて車を運転する栄埼や、走って逃げる栄埼の映像がテレビで繰り返し流れる。

 栄埼について、いろいろな人たちが語る。


  会うと、必ず挨拶してくれますし、普通にいい人という印象ですけどねえ。

 奥さん、お子さんと、よく一緒にお出かけされてますよ。

 仲のいいご家族だと思ってましたけど。

 旦那さんに、愛人?

 いやあ、聞いたことない。

 夫婦仲もよさそうでしたけどねえ。


 昔から目立つやつでしたよ。

 成績も、運動神経もよくて、バスケ部で、レギュラーじゃなかったけど、とにかくモテましたね。

 自分は女を切らしたことがないって、よく言ってました。

 仕事は順調だったんじゃないですかね、親から継いだクリニック、新しくしてからも流行ってたし。


 もっとも、エイキューは案外あっさり逮捕される。

 任意の事情聴取に応じて、その場で犯行を自白したようだ。


「災難だったのか、それとも、ラッキーだったのかしら?」

 ありせがコーヒーカップ片手に言う。


「じいじ、ぜろに金払ったんでしょ?」

 にゃびゅさんはありせの隣に座っている。

 今日は私服だ。

 何と言ったらいいのか、私にはよくわからないが、パンキッシュでゴスっぽくもあり、なんとなくサイバーな雰囲気もあるスタイルだ。

「結果的にはラッキーだったんじゃね」


「まあね」

 私はそのへんからアンティークとおぼしきスツールを持ってきて、ありせとにゃびゅさんが腰かけているソファーの前に置き、それを使わせてもらっている。

 このありせの店の奥のスペースには、古い家具の他、額装された絵画やオブジェなどもあって、いくらなんだろうなといつも思う。

「たしかにいただきましたけどね。金額の問題でもないからね。こういうのは。うん。いや、金額も大事っていうか、どうでもよくはないよな。おれも食ってかなきゃいけないし。食わせなきゃいけないねこもいるしな」


 にゃびゅさんのじいじ、つまり祖父にしてイカドハイヤーの会長、伊角徹千は、旗岡のケンちゃんが釈放されたあと、私を呼びつけて、ご祝儀感のない祝儀袋のような紙袋を手渡しでくれた。

 中にはなんと、一万円札が八枚、八万円も入っていた。


 ありていに言って、もともと金目当てだったし、ただ働きにならなくてほっとしたのが第一で、思ったより多額だったから、嬉しかったのが第二というか、ありがたくてつい、社長に電話しちゃったよね。


 いったい何だったんだろうとは思うが、こういうことが月一くらいで起こってくれないかなと願っていないと言ったら嘘になってしまう。

 月二だと、ちょっと多いかな。

 収入的には月二欲しいが、おそらく体がもたない。

 ケンちゃんが包丁でも持参していたら、刺されていたかもしれないわけだし。


「そういえば、猫」

 にゃびゅさんも、ちなみにコーヒーカップを手にしている。

「ぜろ、猫の写真は?」


「え?」

 私はコーヒーを振る舞われていない。

 まあ、いいのだが、写真とは?

「ねこ? 写真? 何のこと? でしたっけ……?」


「見せるって言った。猫の写真」

 にゃびゅさんの、ジト目、というのだろうか。

 睨んでいるのかどうか定かではないが、人を見つめるときの目つきは、相変わらず怖い。


「ぜろの猫、わたしも見たいわ」

 ありせがコーヒーテーブルにカップを置いて艶然と微笑む。


「うん……」

 私はうつむいて思い返そうとする。

 ねこの写真。

 何か、にゃびゅさんとそういう話をしたような気もする。

 というか、したな。

 した。


 で?

 私は?


 撮っていない。

 依然として、一枚も。

 あの話をしたあと、私は一度でもカメラ機能を起動しただろうか。

 していない。


 ありせだけなら、そもそも写真とかカメラとか嫌いだっしー、いちいち撮ってらんねえっしー、撮るより思い出に刻みこんだほうがいい派だっしー、などと開き直るところだが、にゃびゅさんがいるので、そうもいかない。

「ごめんなさい。忘れてました。何だろ。ほら。ね。うん。いろいろ、やっぱりこう、立てこんでたんで……」


「約束したよな?」

 にゃびゅさんはさらに詰めてくる。

 私は一瞬、顔を上げ、すぐに下を向く。

「約束……」


 したっけ?

 約束?

 したか。

 したな。

 細かく覚えてはいないが、なんとなく、ぼやっと、そうだ。

 そうだった。


 約束だぞ、とにゃびゅさんに言われて、約束します、と答えた記憶が蘇ってくる。


 まずいな、これ。

 口約束とはいえ、約束を破る人間、わりと女子全般、許さなくない?

 しかも、よりにもよって、リスペクトしているにゃびゅさんとの約束を破ってしまうとは。


 私は立ち上がる。

 即座に床に両膝をついて、両手もつき、頭を下げる。

「申し訳ございませんでした! 約束しておきながら、ねこの写真を撮っておくことをすっかり失念しておりました! 本当に、大変、すみませんでした、ごめにゃさい! あっ、噛んだ、ごめんなさい!」


「許さねえよ?」

 冷たい声が降ってくる。

 私は頭を上げたりしない。

 逆に下げる。

 額を床にこすりつける。

「ですよね! 許してもらおうなんて思ってないです! 許されなくて当然! ただ申し訳ないな、と! 謝罪の気持ちを目に見える形で表そうと! それだけなんで!」


「このおっさんおもしれえよな」

 にゃびゅさんが、へっ、と笑う。

 私は、でも、まだ顔を上げないでいる。

「一種の奇人よね」

 ありせがくすくす笑う。


 おまえに言われたくねえわ。

 おまえには。

 おまえにだけは。


 そうはいっても、私はにゃびゅさんからお許しがいただけるまでエクストリーム土下座を継続するつもりだったのだが、なんだか馬鹿らしくなってきてやめる。

 膝を折ったまま、上体を起こして、爪先を立てた正座の姿勢になる。

 たしか、跪座、と呼ぶのだったか。


「ていうかさ、二人が知り合いだったなんて、あれだよな。狭いよね。世間が。何だっけ。何とか同友会?」

「中小企業家同友会の交流会」

 ありせが教えてくれる。

 聞いたことはあるものの、それがどういうものなのか、私は見当もつかない。


「にゃびゅはパパについてっただけ」

 その恰好で?

 と私は思ってしまうが、にゃびゅさんのことだから、服装はもうちょっとおとなしめにして、メイクなどは変えなかったんじゃないか。


「おもしろそうな子がいると思って、話しかけたの」

 それとも、ありせの口ぶりからすると、服もこのままの感じだったのか。

「にゃびゅも、おもしろそうな人がいるって、初めっから思ってた」

「じゃあ、運命ね」

「だね。そっからありせとはマブダチだもんな」


 私は、なんか悔しい。

 にゃびゅさんをありせにとられたような。

 いや、ありせのほうが早くにゃびゅさんと出会っていたので、とったわけじゃないのだが、そりゃないよ、みたいな。


 ありせに対しては、もちろん、てめえ、このやろう、という気持ちだ。

 理不尽かもしれないが、にゃびゅさんにも少しがっかりしている。

 よりにもよって、ありせかよ。

 リスペクトが減りますよ。

 にゃびゅさんが悪いわけじゃないが。

 ありせのせいだ。


 私は立ち上がって膝を払う。

「つか、なんでおれを呼んだんだよ。ありせの分際で。暇じゃねえんだぞ」

「暇でしょう?」

「暇だよ! 悪いか! 一仕事したあとだからな。英気を養ってんだよ!」

「ただ、にゃびゅと店でお茶することになってたから、あなたもどうかなと思って。英気を養うためにも?」

「おれにお茶は?」

「ごめんなさい。忘れたわ」

「ごめんなんて思ってねえだろ。もういい。帰る」

「そう」

「止めろよ! 一回は! 止めるふりくらいはしろよ!」

「どうせ帰るって言ったら帰るでしょう?」

「帰るよ!」


 私はにゃびゅさんに向かってお辞儀をする。

「それじゃ、にゃびゅさん、いつかまた! ねこの写真は撮っておくんで、そのときにでも!」

「一回でも約束破ったやつ、にゃびゅ、信用しねえことにしてんの」

「ですよね! わかります! それでも、ねこの写真は撮っておくんで!」


 私は逃げるように、いや、一陣の風にでもなったつもりで、ありせの店をあとにする。

 愛車のアルトくんを運転しながら、呟きつづける。

「写真。写真、撮る。ねこの写真。撮るぞ、写真。ねこの写真。かわいい写真を撮るんだ。撮るぞ。撮る。撮る。写真。ねこ。ねこの写真。撮る。撮れ。写真。ねこの写真。忘れるな。写真だ。ねこの写真を撮れ。撮る。絶対、撮る。百パー撮る。ねこの写真。撮るったら撮る。撮ってやるさ」


 車を駐め、我が家の玄関に向かうまでも、私の独言はやまない。

「撮るぞ。撮る。撮るんだ、ねこの写真。撮る。撮らなきゃ。撮る……」

 おかげで、開けるのに少々こつがいる玄関の引き戸の前に人が立っていることには気がついていても、とくになんとも思わない。


 いや、立っている、というふうには認識していなかったのだろう。

 通りすがりだろうな、くらいの。

 でも、このへんは古い街で、老いも若きもだいたい見覚えくらいはある。

 そのすらっとした女性は、明らかに一度も見たことがない。


 それに、私の家の前に立っていて、私のほうを見ている。

「どうも」

 と、私に会釈までしたので、これは只事じゃない。


「はい。あ? え?」

 私は思わず挙動不審になってしまう。

「なん……ですか? どちら様? でしょうか?」


「私は」

 女性は言いよどむ。

 しかし、スタイルがあれだな。

 モデルみたい、というか。

 三十歳くらいだろうか。

 化粧っ気がなくて、ノームコア的な装いなのに、かなり人目を引きそうだ。

「イチロの妻です」


「はあ」

 私は女性が口にした名を咀嚼する。

 咀嚼する必要なんてあるか?

 どうかな。

 ないね。

「え? イチロって、弟の……?」

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