第16話 アホの所業
まずは旗岡の家に行ってみることにする。
旗岡。
下の名は拳侍。
なかなか勇ましい名前だ。
旗岡のケンちゃん。
ケンちゃんの住まいは、イカドタクシー営業所から車で十分もかからないところにあるアパートで、住所と建物名、部屋番号さえ教えてもらえれば、私一人でも問題なく行けそうだが、なぜかにゃびゅさんが同行してくれるという。
せっかくなので、私の愛車、軽のアルトくんでよければと断った上で、ついてきてもらうことにする。
「なあ、向井道さん」
車が発進してからずっと黙っていたにゃびゅさんが口を開く。
向井道さんかぁ、と私は思う。
にゃびゅさんにはそんなふうに呼ばれたくない。
「ぜろでいいっすよ」
「あ、そう。ぜろ」
呼び捨てかぁ、と私は思う。
いいね。
さすがにゃびゅさん、最高です。
「はい。何でしょう」
「運転へたくそだね」
「うん。はい。上手ではないですね。へたですねよね」
「おっかなびっくり運転すんなよ。注意すんのはいいけど、どんとかまえてろ。一緒に乗ってるやつが不安になんだろ」
「あぁ。運転、得意じゃないんですよね。すみません。人を乗せると、とくにねえ」
「前屈みになってんだよ」
「あっ。なってるかも」
「そうすっと視野が狭くなって、首振ったりすることになんだろ」
「なります。なってますね」
「どんとかまえろってのは、そういうことっすよ」
私はにゃびゅさんに言われたとおり、シートに体をしっかりと押しつけるように座ってみる。
「おお!」
違う。
大袈裟に言うと、見える世界が明るくなったように感じられる。
「すげえ。運転しやすい! にゃびゅさん、何者!?」
「ただの二十歳の女っすけど?」
「二十歳なんだ! 二十歳くらいなのかなとは思ってたけど。やばっ。若っ。孫でもおかしくない。それはないか。ないな。おれの娘の年齢ですよ」
「いんの? ぜろ、娘」
「いないっす。名前もぜろなら、家族もゼロっす」
「天涯孤独ってこと?」
「弟が一人いるけどね。だいぶ会ってないな。何してんだろ、あいつ」
「なんか」
「はい?」
「ガキっぽいね」
「かなぁ? かもなあ。大人なんだけどね。あ、ケンちゃんのアパート、このへんかな?」
「ケンちゃん?」
「旗岡さん、旗岡拳侍ですよね。ケンジっていったら、ケンちゃんかなと」
ケンちゃんが住んでいるアパート、上山川ハイツ2号は、外階段の木造二階建てで、外壁は緑色に塗られている。
建物はかなり古い。
ただ、駐車場は全四室に対して六台分ある。
舗装されてはいない。
砂利が敷かれているが、一部、雑草がのびている。
路駐禁止ではないようだから、私は迷惑にならなそうな場所に愛車を駐める。
車を出て、にゃびゅさんと二人、上山川ハイツへと向かう。
ケンちゃんの部屋は二階の一号室らしい。
外階段を上がると、手前の部屋が一号室だ。
旗岡、と手書きされた表札が掲げられている。
とりあえず、ピンポンしてみる。
一回、鳴らす。
しばらくしてから、二回目を慣らす。
ややあって、三回目は二回連続で鳴らしてみる。
私はにゃびゅさんと目を見あわせる。
「いないんですかね、やっぱり」
「車はある」
にゃびゅさんが駐車場に視線を向ける。
白い軽ワゴン車がケンちゃんの車らしい。
私はドアをノックしてみる。
「旗岡さん」
あまり大声を出すと近所迷惑だが、控えめにしておく。
「旗岡さーん。ご在宅ですか。イカドタクシーの者ですが。いや、おれは違いますけど、イカドタクシーの方がいらっしゃってるんで、そっか、来てもらってよかったな。おれ一人だと、不審者扱いされても文句言えないもんな」
「だから、にゃびゅ、ついて来てやったんすけど?」
「えっ。そうなの? そっかぁ。深慮遠謀だね」
「ぜろ、行き当たりばったりすぎじゃね?」
「おれの人生がそうだからね。出たとこ勝負でここまでやって来たから」
「大丈夫かよ……」
「大丈夫じゃないよ?」
「大丈夫じゃねえのかよ」
「嘘、嘘。大丈夫、大丈夫。ほら。生きてるし。大病もしてないし」
「ストレスなさそうだもんな」
「それか!」
上山川ハイツ2号は外廊下に面した大きな窓がある。
カーテンが閉まっているので、中の様子は確認できない。
横手や裏手に回ってみたが、やはりどの窓もカーテンを閉めきっている。
私は思いきって隣の二号室の住人に話を聞いてみたが、隣人とは一切付き合いがなく、何もわからないという。
一階の一号室の住人は不在のようで、二号室は空室だ。
私とにゃびゅさんは車に戻る。
「あのタイプの鍵だったら一発なんだけどな」
「一発で壊せるってこと? ぜろ、マジで言ってる?」
「壊せるのはマジだけど、壊さないよ? あたりまえじゃないですか。犯罪だよ、そんなことしたら」
「さては、やべえやつだろ」
「誤解だって。にゃびゅさんに誤解されたら、悲しくて明日から生きていけないって。今日だけはなんとか生きられるかもだけど。でも、あれか。ねこがなぁ。いるからなぁ。生きないとな」
「猫、飼ってんの?」
「最近だけどね。仔猫を拾っちゃって」
「見せろ」
「え? 来る? おれの家」
「写真あんだろ」
にゃびゅさんに言われて、私は考えてみる。
まあ、考えるまでもない。
「撮ってないな。ねこの写真。あれ? 撮ってない。一枚も。撮るよな、普通。だって、猫だし。なんで撮ってないんだ、おれ?」
「知らねえよ」
「不思議だな。もともとそんな写真撮るほうじゃないけど。ていうか、撮らないな。必要に迫られない限り、撮らないわ、おれ」
「スマホはあんだろ」
「あるある」
「カメラ使わねえって、ぜろ、現代人か?」
「アナログなのかね。アナクロなのかもな。でも、今度撮るよ。ねこの写真。そしたらにゃびゅさんに見せますね」
「約束だぞ」
「うん。わかった。約束します」
私は車を出す前に思いついて、上山川ハイツ2号の向かいに建っている民家のチャイムを鳴らし、出てきてくれた七十歳前後のお姉様にケンちゃんのことを尋ねてみる。
お姉様はケンちゃんのことを知っている。
顔を合わせると世間話くらいはするという。
お姉様曰く、ケンちゃんは愛想がいい「好青年」で、真面目に働いている料理好きらしい。
「車がずっと駐まったままだからさ。変だなとは思ってたんだよ。歩いて出かけることなんてないしさ。すぐそこのコンビ二行くのだって、車使うからね、ケンちゃんは」
図らずも、お姉様も旗岡拳侍のことをケンちゃんと呼んでいるようだ。
それはさておき、ケンちゃんはやはり外出していないんじゃないか。
確定ではないとしても、傍証が一つ手に入った。
私とにゃびゅさんは営業所に戻る車中で次はどうするか検討する。
「次、なぁ。次。次、ねえ……」
「てか、ぜろって探偵か何か?」
「いや? 違いますけど?」
「じゃ何の人?」
「しがない自営業者」
「自営の何?」
自由業、と言ってにゃびゅさんに納得してもらえるものだろうか。
「ひとに頼まれたことをやる屋、みたいな?」
「そんな職業ある?」
「ないな」
「名もなき職業かよ」
「そっすね。名もなき職業。いいね、それ。いただいちゃおうかな。おれ、今度からそれでいくわ。名刺も作ろうかな。肩書、名もなき職業」
「かえってあやしくね?」
「たぶん信用してもらえないね。今もだけど。今と変わらんのなら、いいか。名刺はあったほうがいいもんな」
「ずっと名刺ねえの? ぜろ、何年やってんの、名もなき職業」
「何年かなぁ。何年も経ってることだけは確かだね」
「生きてけんだな、そんなのでも」
「意外と生きてけんだよ、こんなのでも」
次に打つ手を検討するはずが、営業所に着いてしまう。
にゃびゅさんはさすがに仕事に戻るとのことだ。
ドライバーが数名いたので、ケンちゃんについて訊いてみる。
ケンちゃんへの人物評はブレがない。
気の利いたことは言えないが、気のいいやつで、仕事面では頼りになり、義理堅く、いじられキャラで、愛されているようだ。
競馬好きだが、多額の借金を背負っているといったことはない。
酒は程々。
煙草は、競馬に金を使いたいから、だいぶ前にやめた。
日が暮れてきて、私は閃く。
現場に行ってみよう。
事務所でふっくーこと副所長の牛本に声をかける。
「現場に行きたいんですが」
「現場と言いますと?」
「例のほら、出るっていう。ケンちゃんが女性を乗せたっていう。あ、旗岡さんのことです」
「場所はもちろんお教えできますが、私がお連れしましょうか」
「え、いいんですか? そのほうが楽っちゃ楽です。というか楽だし、助かります」
そんなわけで、牛本が車を出してくれる。
シルバーのクラウンだ。
いい車だし、ボディーはぴかぴかで、中もきれいにしてある。
ついでに、牛本のクラウンにはにゃびゅさんも同乗する。
私は後部座席で、にゃびゅさんは助手席だ。
「にゃびゅさんはあれなんですかね、車に乗るのが好きだったりします?」
「物心ついたときから好き。乗るのも運転すんのも」
「上手そうだなぁ、運転」
「とても上手ですよ」
微笑して言う牛本も、じつに滑らかな操車技術を披露している。
「にゃびゅはうちの跡継ぎですからね」
「まだ決めてねえけど」
にゃびゅさんは、否定はしない。
薄々そんなことだろうと思ってはいたが、たぶんイカドハイヤーの実質的な経営者である会長の、にゃびゅさんは娘か、あるいは孫娘なのだろう。
いくら令和の時代でも、そうした特別な事情がなければ、ここまで自由に振る舞うことが会社内で許容されるはずがない。
ただ、にゃびゅさんの仕事ぶりを多少拝見したが、指示や連絡をてきぱきとこなしていた。
電話口では、言葉遣いもそこそこちゃんとしていたので、使い分けができる人なのだろう。
牛本の車はやがて市の郊外へと差しかかる。
このままずっと進んだら山だが、その手前に住宅地が広がっている。
住宅地を抜けると、森というほどじゃない、雑木と草むらだらけの一帯に入ってゆく。
「ここが抜け道なんですか?」
私が訊くと、牛本が近年も人口が増えつづけている地名を出す。
この道は、さっきの住宅地とその地域を結んでいる。
「昔から、地元の人か、我々のような商売の者しか使わないですね。というのは、カーナビがこの道を案内しないんですよ」
「へえ……」
何だろう。
寒いわけじゃないのに、ぞわっとした。
牛本が路肩に車を停める。
この一帯には道の片側にガードレールが設置されている。
「ここです」
牛本が後部座席の私を振り返り、そのガードレールを指さしてみせる。
「あそこ、ガードレールとガードレールの間が少し離れているでしょう。あれが目印だと言われているんです」
私は車を降りる。
にゃびゅさんも助手席から出てくる。
牛本はハザードランプを点滅させ、運転席のドアを開ける。
「すみません、私はここで」
「ふっくー怖がりなんだよ」
にゃびゅさんが、ふふっ、と笑う。
弱点と言えば弱点なのだろうが、むしろ人間味があっていい。
私は問題の場所に行ってみる。
にゃびゅさんは私のほぼ真後ろにいる。
もうだいぶ暗い。
西の空がいくらか明るいくらいで、そろそろ夜だ。
でも、クラウンのヘッドライトが照らしてくれているので、見えないことはない。
ガードレールとガードレールの間隔は一メートル程度だろうか。
その先は、崖というほどじゃないが、下り勾配になっている。
「下りられそうだな」
私がぽつりと呟くと、にゃびゅさんがすぐさま返す。
「なんで?」
アホちゃうか、とでも言いたげな口調だ。
正直、私もにゃびゅさんに同意する。
下りる?
なんで?
下りないだろ、普通。
蛇どころか熊なんかも出そうだし、昼間でも躊躇する。
ましてもう夜だ。
私はスマホを出す。
スマホを懐中電灯として利用できることは、アナクロなアナログ人間の私でも知っている。
停電したとき、実際に使ったこともある。
ライトを点灯すると、にゃびゅさんが頭を振る。
「マジ?」
「マジ」
おそらく、こんなこと、一人ならやろうと思わない。
ギャラリーがいるから強がっているのか。
そういうわけでもない。
やめとけよ、と思われるようなことをついやってしまう。
性分なのだろう。




