第13話 今じゃない
隅から隅までとはいかず、手つかずの部屋もあるが、たみさん宅をあらかた片づけ終えると、私は同級生の社長に電話して葬儀屋との仲立ちを依頼した。
事情を話すと、社長は二つ返事で請け合うどころか、新しい車を飛ばしてわざわざ来てくれた。
それだけじゃない。
葬儀屋の担当者を呼びつけ、最低料金で最低限のことを、という方針で、ぜんぶ話をつけてくれたのだが、その交渉過程を目の当たりにした私にも、なぜ、どんなふうにまとまったのか、さっぱりわからない。
「な? あれだべ。だからよ。頼むって。なあ?」
「はい。そうですね」
「なあ? だから、まあ、あれだべ。な?」
「やっぱり、そうですよね」
「んだっておめえ、あれだべ。だからよ。わかるべ、俺の言いてえこと」
「はい。わかります」
「したら、あれだべや。これでいいんでねえの。大丈夫だべ」
「やあ、なんとか」
「俺がちゃんと言っとっからよ。な。わりいな」
「いえ、社長にはいつもお世話になってますから」
「なんも世話なんてしてねえべや。俺だっていつか世話になんだからな」
「とんでもありません。とにかく、この件に関してはご心配いただかなくても大丈夫ですから」
いったいどういうことなんだよ。
何はともあれ、火葬を含めた自宅内での簡易的な葬儀のプランがまとまり、これが私にも一目瞭然で格安だということがわかる見積額だった。
社長は自分が立て替えると言いだして、流美さんを慌てさせた。
「申し訳ないですし、あたしでもお支払いできる範囲ですので」
用が済むと社長は帰っていったのだが、香典を包んで置いてゆくあたり、用意周到さも兼ね備えているということだから、恐れ入るしかない。
しかも、香典袋の中には万札が数枚入っていた。
近しい親族じゃないと入れないような額だ。
「かっこよすぎるって、社長……」
私は憎しみすら覚える。
こちらが助けを求めて社長は応じてくれたのだし、憎む筋合いじゃない。
そんなことはわかっているのだが、感激のあまり放心しているかのような流美さんの様子を目の当たりにすると、ちくしょう、と思ってしまう。
人間としての度量も力量も違いすぎるだろ。
ここまであからさまに見せつけることないだろ。
しかも、得意になるどころか、颯爽と立ち去るとか、やりすぎだろ。
男気ですか?
英雄か何かなの?
もはや人間業じゃないとさえ思えてならないんだが?
何なの?
聖人?
逆に、異星人?
もちろん、私は社長に嫉妬しただけで、本気で憎悪したりするわけがない。
妬んではいても、その倍、いや何倍も、十倍以上、感謝している。
私はいったん帰宅して、ねこの世話をしてからシャワーを浴びた。
親が死んだときに買った黒いスーツを着てみたら、ぱつぱつかなと思いきや、そんなこともない。
意外にも太ってはいないようで、気分が上がる。
社長はしっかりと腹が出ているが、私はほとんど出ていない。
きっと社長は毎日いいものを食って、いい酒を飲んでいるのだろう。
私は主に経済的な理由から酒を大量に飲むことはめったにない。
年をとって食が細くなったので、そんなには食べない。
おかげで、腹も出ないという寸法だ。
たみさん宅を再訪すると、流美さんも入浴したらしい。
さっぱりしたせいなのか何なのか、妙に色っぽくて胸が高鳴ってしまう。
「ええと、火葬は明日ですよね。今日はもうとくにあれか。やることはべつにないのかな」
「はい。なので、ぜろさん、せっかく来ていただいて、こんなことを言うのも何ですけど、お疲れでしょうし」
「そうですよね。そうだ。でも、蝋燭の火を絶やさないようにするんでしたっけ」
「一応、葬儀屋さんがそんなことをおっしゃってましたけど、お通夜とかやるわけじゃないから、気にしなくていいとも言われました」
「明日は、朝一で納棺して、すぐ出棺して火葬場に行って戻ってきて、お坊さんが来て拝んでもらって、みたいな流れでしたよね」
「明日、明後日までに人が来そうな見込みも立たないので、一番早い日時で予定を組んでもらいました」
「あれ。そういえば流美さん、お腹すいてないですか」
「どうでしょう」
流美さんは自分の腹部に手を当てて、困ったように眉をひそめる。
「すいてるような気もしますけど、よくわからないです」
「何か食べたほうがいいですよ。買ってきましょうか。食べに行ってもいいし。それはあれか。たみさん一人残して行けないですよね。そっか。それでか。気がつかなくてごめんなさい。適当に買ってくるんで、待っててください」
流美さんに止められたが、私はかまわずたみさん宅をあとにする。
ここからだと、私の家から一番近いコンビニとは別の、この地方に根を張るご当地チェーンのコンビニに行くほうが早い。
私はおにぎりやサンドイッチ、菓子パン、店内調理のからあげ、ポテトフライ、それから大福、カフェオレやお茶をカゴに放りこんでゆく。
少し迷ったが、缶ビールとチューハイも買うことにする。
親に死なれたあと、私は斎場で弟と二人、痛飲した。
そのことを思いだしたのだ。
不謹慎かもしれないが、たみさんも一人で飲むと言っていたし、今日も酒瓶や酒類の空き缶をずいぶん処分した。
軽く酒盛りして送ってあげたほうが、むしろ喜んでくれるんじゃないかとも思える。
流美さんは恐縮しながらも、お茶を飲みつつ、おにぎりを一つと、からあげを二個、ポテトフライをそれなりに、あとは大福も食べてくれた。
残りは私が平らげた。
私たちは缶ビールで乾杯した。
一人飲みなら、とくに一缶目はあっという間に飲み干してしまうところだが、ペースに気をつけないといけない。
流美さんは二口目か三口目には顔が赤くなった。
「赤いですよね、あたし。すぐ顔に出ちゃうの」
照れくさそうに言う流美さんがかわいらしくてたまらない。
「おれは顔に出ないんですよねえ。体質ですよね、こういうのって。飲めないとかではないんですか?」
「お酒は嫌いじゃないです。どっちかと言うと、好きかな」
「飲むほうですか?」
「離婚するまで、控えてたんですけど。あたしが飲むと、いい顔をしない人だったので。自分は好きなだけ飲むくせに。何なんですかね、あれ」
「何なんですかねえ。おれは一緒に飲めるならそっちのほうがいいって思いますけど」
たみさん宅の居間は見違えた。
もともと古い造りの家にしては広い居間で、テーブルも小さめのものがあるだけだし、私と流美さんが座っているソファーも三人掛けだ。
ほぼ中央に布団が敷かれ、たみさんが横たえられていても、妙にがらんとしているように感じられる。
不意に、ここでたみさんは一人で暮らしていたのか、と私は思う。
その前は夫と二人だった。
私のようにずっと独り身ならともかく、たみさんは空虚さに耐えがたいものを感じるようになったんじゃないか。
散らかり放題に散らかっていれば、少なくとも、がらんどうではなくなる。
「たみさんの旦那さん……流美さんのおじいちゃんも、飲む人でしたか?」
「普通に飲んでいたと思います。おばあちゃんのほうが飲んでいたような気がしますけど」
「一緒に飲む人がいなくなったら、寂しいでしょうね」
「そうですね。やっぱり、おじいちゃんが死んじゃってから、おばあちゃん、変わったかもしれない」
「女性は、死別したり離婚したりして一人になると、かえって元気になる人も多いような印象ですけど」
「おばあちゃんはそうじゃなかったですね。あたしの母や、叔父さんとの関係が異様に悪くなったのも、それからだし」
「流美さんはどうですか」
私は尋ねてしまってから、慌てて謝罪する。
「すみません。立ち入ったこと。おれは結婚したことないですし、どうなのかなって。興味本位で訊いちゃいけませんよね」
「気にしないで」
流美さんは笑ってくれる。
しかし、笑みを浮かべると翳が深まるというか、かえって儚げに見える人だ。
放ってはおけないというか、放っておきたくないというか。
「どうですかね。でも、ストレスは減ったかな。気楽ですね、今のほうが遥かに。変な話、まだ結婚していたら、こんなふうにろくに準備もしないでおばあちゃんのところに来るなんて、できなかったと思うし」
「そんなものですか」
「絶対、何か言われるので。言われないようにしようと思っちゃうんですよね。いちいち衝突したくないし」
「ああ、いやですよねえ。喧嘩なんかするのは。疲れますよね」
「そうですね。ときどき、おばあちゃんとラインして、愚痴を聞いてもらってたんです。そしたら必ず、早く別れろ、今すぐ別れろって」
「たみさん、言いそう」
「背中を押してもらったんです。両親は離婚するのに賛成してなかったし」
「へえ。それはどうして?」
「不倫したとか、家にお金を入れないとか、ギャンブルとか、酒癖が悪いとか、わかりやすい理由があったわけじゃないし。ようするに、あたしが毎日苦しくて、幸せじゃないだけだったので」
「娘が幸せじゃないなら、てめえ何さらしとんじゃワレみたいに怒鳴りこんでもよさそうなもんですけどね。おれが父親だったらですけど。わかんないですけどね、親になったことないんで」
「あと、両親は早く孫を産んでほしかったのかも。何回も言われたことあったし」
「孫ねえ」
「おばあちゃんは、あたしが元夫と不仲になってから、一回もひ孫のひの字も出さなかったんです」
「そっか。じゃあ、たみさんは独り身になって、幸せなんですね」
「はい。前よりはずっと」
「それはよかった。何よりですよ。あっ。ビールまだ入ってます? チューハイありますけど、飲みますか?」
「いただきます」
「いただきます、いただきました!」
私は缶チューハイを流美さんに手渡し、自分のぶんのプルトップを開ける。
「乾杯!」
「乾杯」
たみさんの死に顔が心なしか安らかそうに見える。
ぜろちゃん、孫を頼むよ。
うっかりくたばっちまったけど、あんたらのキューピッドになれそうだね。
たみさんのそんな声が聞こえるような、聞こえないような。
まあ、聞こえはしないが、この出会いをきっかけに流美さんと親しくなったとしても、たみさんに祟られることはないんじゃないだろうか。
「そういえば、ぜろさん」
「はい? 何ですか、流美さん」
「いつの間にか、ぼくじゃなくて、おれって言ってますね」
「あれ? そう? ていうか、おれ、ぼくなんて言ってました? 言ってたか。かっこつけてたのかな? 余所行きだったのかもですね」
「もう違うんですか?」
「違うんじゃないですかね?」
私がそう返すと、流美さんは儚げに見えない笑顔を作る。
二十歳、いや、十歳若かったら、勢いで口説きにかかっているかもしない。
私の場合、口説くといっても、うまいことは言えないが、気持ちを正直に告げることくらいなら、酒の力を借りればできる。
若いころはできたと思うが、何せ私は今や中年だ。
年を重ねて分別もついた。
文字どおり、人が死んでいるしね。
たみさんがいるところで、そんなことはね。
出会ったばかりにも程があるし。
流美さんも、大好きな祖母を亡くしたばこりで、平静じゃないだろうし。
会話を楽しみながら、ゆっくり缶チューハイを飲み干すと、私はたみさん宅を辞した。
流美さんは私を引き止めなかったが、残念そうではあった。
私にはそう思えた。




