小指
元々体があまり丈夫ではない環の母は、長男の出征でさらに体調を崩しがちとなっていた。夕方、工場作業から帰ってくると環は一人で家事をこなし、隣組の仕事もしている。真一の母親は幸い元気なので、その分環の薪割りや水くみなどを手伝っていた。
ちなみにチビは何の役にもたっていない。
その日も配給を受け取って家に帰る。母親が作ってくれた夕飯を食べたら自分の家の用事を済ませてから環の家の手伝い。環は家の裏で洗濯ものを干していた。真一の記憶に従い、注意深く声をかける。
「お母さん調子はどうだ?」
環はちょっとだけこちらを振り返り、また物干しに戻る。
「んー、やっぱり兄さんいなくなって少し元気無いわね」
「そうか。そうだよな。うちと一緒で父さんもいないしなあ」
庭の横に積んであった丸太を一本取って切り株に載せ、斧を振り下ろす。薪割りなんて初めてだったが、体はしっかり動作を覚えているようで力も入れずに両断できた。あれ、これ結構面白いかも。都会っ子の健二には新鮮な体験だった。そのまま幅が5cmくらいになるまでリズミカルに薪を割っていく。細めのほうが煮炊きには使いやすいだろう。
「お国のために役立つ、って思い込んでギリギリ耐えてる感じね。見てて少し辛い」
ただでさえ工場から出る雀の涙の工賃と、わずかな配給だけで暮らさなければならないのに、その上で男手を全て奪われたのだ。一応は兵隊を出した家族には生活救護と称して支援金が出るのだが、この時期にはそれも滞りがちだった。そもそも食べ物も衣料も足りず値は上昇、支援金では到底生活は成り立たなかった。
そんな状況で環だって辛いはずだが、母親の手前明るく振る舞おうとしているのだろう。芯の強い子だ、と健二は思う。
洗濯物を干し終わると、環は縁側に座って帳面と鉛筆を取り出した。
「日記か。よく続いてるな」
「偉いでしょ」
何を書いてるかは知らないが、環は尋常小学校、今は国民学校だが、の頃からほぼ毎日日記を付けている。今や紙も鉛筆も貴重品だが、戦前から多めに持っていたようで未だに習慣が破れていない。
薪を割り続ける横で環は鉛筆を舐め舐め日記を綴っていく。令和では鉛筆なんて小学生しか使わないから、健二から見たら新鮮だ。何故芯を舐めるのかは未だに謎だったが。
そんな鉛筆の動きが止まった。おや? と思って薪割りの手を止める。見ると環が何か考え込んでいる。左手の小指が唇の端に触れている。
ドクン、と心臓が跳ねた。良く見た幼なじみの仕草。何かを考え込む時の癖。って、いやいやこの時代に百合子がいる訳はないし、見た目も声も全然違う。
別人なのは間違いないが、心の奥にしこりが残る。あり得ない、と言い出したらそもそも健二がここにいる事自体があり得ないが。
ぼーっと自分を見つめる真一に気付き環が顔を上げる。
「どうしたの、そんなに見つめて。ようやく私の美しさに気づいたのかな?」
とっさに答える事ができず、口を濁す。
「それはそうと、今月に入ってから爆撃機が何度か飛んで来てるよな。そのうち爆弾落としてくるかもしれないから用心しろよ」
環はその内容に首をかしげる。
「話を逸らすにしてもいきなりね。どうしたの最近ちょっと変じゃない?」
変な自覚はある。当然だ、本来の真一の性格からはずれているのだろう。
「前はそんな事言わなかったのに。戦況にはあまり興味ないのかと思ってたわ」
逆だ。真一は戦況に批判的なあまり何も口にできなかっただけだ。それが環にはノンポリに見えていたのだろう。あ、ノンポリなんてこの時代には無い言葉かも、と思い直す。
「近頃はちょっと不穏だからな。気をつけるに越したことは無い。防空壕の場所は分かってるよな?」
「当たり前じゃない。今日はほんとにどうしたの?」
不審げな目つきで見られてしまう。説明できないのがもどかしい。
家に戻ると、チビがタンスの上から見下ろしてきた。
「気づいたか?」
「ああ。見た目は全然違うが、あれは百合子だな?」
「そのとーり。時間平面上にばらまかれたお前の幼なじみだ。難儀なことに」
こいつの言ってる事はさっぱり分からない。
「どういう事なのか説明してもらえないのか?」
「前も言ったよな、百合子嬢ちゃんはバグってるんだ。この階層のクリア条件は、嬢ちゃんを死なせない事にゃ」
クリア条件って。
「そんなまるでゲームみたいに」
「まあ当たらずとも遠からずにゃ。ただゲームと違うのは失敗は嬢ちゃんかお前の命の終わり。リスポーンなし、セーブなし、コンティニューなし」
……
「成功すれば、ちらばった嬢ちゃんのピースがその分回収される。コンプを目指せ! ってな」
「なんだよそれ……」
「まーにわかには信じられないよな。そのうち分かってくるにゃ。まずは生き延びて見せろ」




