融解
その日のドビュッシー時間で深夜、サーシャの部屋。応接コーナーで英国風メイド服を着た部屋の主と猫が向き合っていた。傍らの中空にはリィンのパネルが浮く。健二は自室で就寝中。
ちなみにどうでも良い事だが、ドビュッシー時間は地球のUTCと同期している。つまりおおよそイギリスのグリニッジ標準時。部屋の主が英国風メイド服を着ているのはそのせい、ではなく全く関係はない。「にゃーにゃー言うのは猫とメイドだけ」と以前健二に言われた事を律儀に実行しているだけだった。因果が逆、という意見は考慮されていない。
猫が座った椅子から体を伸ばしてテーブルに両肘を突き、口の前に束ねた両手を置く。
「さて。本日皆さんにお集まり頂いたのは他でもないにゃ」 小声でひっそりとつぶやく。静かに答えるメイド服。
「にゃ」
「ロイデに突入するのに、現在のサーシャの身体スペックでも若干の不安がある」
「にゃ」
「そこで、必要スペックを再考する。同時にこれを、アホの健二にも適用できるように煮詰めるものとするにゃ」
「にゃ」
健二に相談したって、ゴネるばかりで埒があかないからと、こうして一人と一匹と一力場だけでの会合が始まった。
「にゃ。具申します。まず、耐G性能はもう少しあげておきたいですにゃ」
とサーシャが発言。もう数十Gは余裕が欲しい。
「うむ。ただ、血液と心臓による循環だと現状でほぼ限界にゃ。何か抜本的な対策が要るにゃ」
血液を重力に逆らって圧送するよう心臓を強化する事は可能だが、そうすると血管にストレスがかかる。それに耐えられるように血管を丈夫にすると、今度は柔軟性が失われて体の動きが悪くなるし、毛細血管は丈夫にするにも限界がある。
「体内各所に、重力キャンセラーを埋め込むのはどうでしょう師匠」
「うーん。できればメカは入れたくないにゃ。電磁パルス攻撃に弱くなるし。生体組織として作成できればまだアリだけど」
リィンのパネルに文字列が走った。
『仮設計完了。生体化は可能。ただし現在の技術では一箇所10kgほどの大きさで五箇所に配置する事になり、人体内への搭載には若干の無理がある』
「その分だけ体を大型化すれば?」
『困難。更に装置を大型化しないといけない』
「ラクダみたいに隆起させるとか?」
『問題。一箇所では済まないのでバランスに難』
うーん、と首を捻る一人と一匹と一力場。力場に首は無いが。
「もういっそ、心臓による循環は諦めるというのはどうでしょう」 とサーシャ。
「そりゃあ、そうできれば一番だけども」
「血液の代わりに、酸素その他を運搬するナノマシンを液化して封入して、自走するようにすれば良いかと」
「いや、それナノマシンの運動量凄く大きくなるでしょ。排熱はどうするの」
そう。ナノマシンとて機械。メカ。チビのそれでさえ魔法ではない。物理動作する訳だから当然熱を出す。大量のナノマシンが動き回れば大量に発熱するのだ。
通常はナノマシンの動作範囲には排熱路が編み目状に付随しているし、そもそもそんなに大きくは動き回らない。しかし体内、血管内を自走させるとなるとそうもいかない。
「まず、血管をメッシュにした熱超伝導体で置換しますにゃ。これによって排熱をラジエターに運びます」
「ほうほう」
「メッシュにすれば、細胞との物質受け渡しも容易ですにゃ」
「ほうほう」
「チビ師匠のナノマシンであれば、数百Gの下でも血管内を余裕で動けるでしょう」
「んで結局、熱超伝導体で集めた熱はどうするの?」
「背中に放熱用の背ビレを付けます」
「却下」『却下』
猫と力場からダメが出された。
「ええー。背ビレ、格好良くないですか? リヴァイアサンの背ビレなんて、それはもう荘厳で美しく……」
「格好良くない」『邪魔』
「ぶー」
リィンが応答。
『概算を行った。通常時は肺にラジエターを設置する事で、呼気から十分に排熱可能。高負荷時は別途冷却用のアタッチメントを外付けするのが現実的と思われる』
「そこで背ビレですよ」 と言うサーシャを無視してチビが続ける。
「ああ、専用の宇宙服をあつらえる、って事ね」
『肯定。人類のスキンタイト宇宙服は元々冷却機能を持っている。そこに相乗りすれば良い』
力場もチビにだけ答えている。心臓の退役が決まった瞬間だった。
「誰も聞いてくれない……」
うなだれるサーシャ。
メイド服を放置してチビは続ける。
「あと、そこまで行くと今度は脳組織が耐えられないにゃ。電脳化は、オリジナル健二は研究してない分野にゃ。リィンにも無いよね?」
『肯定。精神の力場変換は可能だが肉体は失う』
「力場に出来るんだ! へー、それは興味深いにゃ。とは言え、今回はそれじゃ欠片を保持できないからダメにゃ」
「脳脊髄液を固くしたらどうでしょう」 サーシャ復活。
「いや、脳脊髄液は脳の周りを囲んでるだけだから、脳自体が潰れるのを防げる訳では」
「脳に、細胞を避けた微細な穴を沢山開けて、そこに循環させて脳細胞を保定させれば」
いやほんと、この子はどうして怖い事を躊躇無く考案できるんだろう。リィンの中で育ったから、怖いっていう概念が元々無いんだろうなあ、とチビは思う。
『可能と概算。高負荷時に選択的に硬化するよう設定する事で1000G程度までは耐えられると思われる』
「細胞自体が潰れるとかは?」
『細胞単体なら、数万Gまで耐えられる。細胞小器官のない低級な単細胞生物なら、40万Gまで耐えた記録が人類の文献にあった。それも40万Gで死滅したのではなく、それ以上のGを当時の機器で出せなかったからとのこと』
「へー。まあ100Gとか1000Gとかまで行くと、今度は眼球とか腎臓とか死にそうだけど」
「腎臓や肝臓は血液代わりのナノマシンで壊れるそばから修復して行けばどうにでもなるかにゃあと。というか血液がナノマシンなら、もう腎臓も肝臓も要らないですにゃ。眼球は……硝子体を対G液で置き換えるとして、それでも潰れたら諦めて外部カメラに神経系を接続して代替とするとかで」
いろいろ酷いが、まあ現実的な所だろうか、とチビは考える。健二をこの場に呼ばなかったのは大正解だった。奴には耐えられない会話だろう。
「そんな所かにゃ?」
「ぎちょーーー!」 サーシャが右手を挙手。
「はい、どこでそんなの覚えたんだよのサーシャさん」
「ついでに外皮を高真空・高熱・極低温へ対応させたいです。更に体表面に時間勾配フィールドを張って、高速機動が可能なようにしたいです。切り替えスイッチは奥歯の裏に」
「……」『……』
ついで、がデカすぎる。チビが疲れたように答える。
「いや、解るよ? ロマンだね? ゼロゼロナンバーの2と9だね? でもさすがに見た目と能力が人間離れしすぎるでしょ、それ」
『真空も熱も宇宙服で十分対応可能。皮膚感覚の調整は容易ではない。更に本作戦は船内で完結するので高速機動の必要性も認められない。過度の改造は自我の維持が困難となり推奨できない』
「ぶー」
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三者密談の翌日。
「いやだー!!!」
エアロックに響く健二の叫び。遠巻きにしているドビュッシーの乗組員たち。
改造内容を聞いた健二は猛反発。
「心臓が無くなるとか、脳味噌が穴だらけになるとか、冗談じゃねえー!!」
チビとサーシャが顔を向け合って、両手を顔の前で左右に広げた。やれやれ、のポーズ。
「往生際が悪いにゃ。これでも必要最低限の内容にしてあるにゃ」
「そうですよ健二師匠。本来ならリヴァイアサンの背ビレとか銀色の皮膚とか奥歯のスイッチとかで格好良くなるはずが、涙を飲んで諦めてるんです。ワガママもほどほどにしてくださいにゃ」
「うわーん!!」
チビが片方の前足を上に掲げると、虚空からリナのパワーローダーが現れた。その無骨なマニピュレーターが健二の両腕を掴む。
「ぎゃー! 離せー!」
叫ぶ健二だが、そのままつり上げられてサーシャの木の枝宇宙船に放り込まれた。
「まったく。健二師匠の聞き分けの無さにも困ったもんです。さあチビ師匠、参りましょう」
「うにゃ」
ローダーを追いかけて木の枝に乗り込むサーシャとチビ。見送るドビュッシーの面々。
「なんまんだぶ」
アキラ団長が手を合わせた。健二に心の底から同情する。
「頑張るんだぞ、健二君」




