異質な彼女
いかにも体力が無さそうなサーシャに配慮して、最初の対話は一旦終了となった。立ち上がって解散する交渉団。サーシャも椅子から腰を上げるが、滞在用に用意された医療区画に戻らずに机を回り込んで健二の方に歩いてきた。ゼロGに順応した体で無理矢理歩く姿はぎこちない。手の振りもない。会議室内はサーシャの体力に配慮して重力は0.2Gに設定されているが、それでも少し大きかったらしい。
人体は、適切な重力がないと健康に良くない、と後でリィンに伝える必要がありそうだ。
周囲で解散しようとしていた交渉団が固唾をのんで見守る中、サーシャは健二とチビの前までやってきた。
「あなたたちをどこかで聞いた」
健二とチビを見ながらサーシャが話しかけてきた。共鳴コンバーターには変位がない。つまりこれはリィンではなくサーシャの言葉。
健二は慎重に言葉を選ぶ。メンタリティは人類とはかけ離れているだろう。極力人間的なものを排除した話し方が無難だろう。
「あなたたちとは、私と、この猫の事か?」
「肯定。ユニット・サーシャの脳に邂逅の記録はない。しかしあなたたちから聞こえる音は既知と思える」
交渉団は、想定していなかった成り行きに一言も発する事ができない。
「私には、サーシャに会った記憶はない。恐らく猫も」
「肯定。しかし聞いた音。特にその有機体、猫と呼称するのか。何故単一個体から和音が響くのか」
表情に一切の変化がない。リィンの中で一人で生きてきた彼女には、感情も表情も不要で発育する余地もなかったのだろう。
……しかし困った。百合子の話はできないし、塔の話もできない。まして周りには交渉団も残っている。
『これどうしたら良いんだ?』 助け船をチビに乞う。
『うーん。とりあえず何が望みか聞いてみたらどうにゃ?』
「返答。個体ユニット・サーシャの望みは自分の音の解決だ」
え!? 今チビの念話に反応した?
『こいつ、聞こえてるのか!』
愕然とする健二。チビも固まって動かない。しかし我関せずの平板な声でサーシャは続ける。
「その音は〈静かな波〉のやり方と同じ。星の音の一房。勿論聞こえている」
『どういうことだ、チビ』
『………』
「ふむ」 サーシャは一つ頷くと、会話チャネルを念話に切り替えて来た。
『仮定。周囲の人間の状況を鑑みるに、もしや星の音による直接伝達は猫とあなたの秘匿事項であったか? であれば謝罪を述べる』
チビがようやく再起動する。
『油断してたにゃ。リィンの能力がここまでとは思わなかったにゃ』
『にゃ? とは?』 サーシャが念話で質問する。
『気にするにゃ』
『了解にゃ。これがあなたたちの星音のルールと理解したにゃ』
絶対違うが、まあいい。
「そう、一つ渡したいものがある」 サーシャは、再度音声に切り替えた。
貫頭衣の裏側で手をごそごそ動かすと、何か透明な水晶のようなものを取り出した。差し渡し3cmほどの尖った小さな塊。
それを、健二に向かって「ぽいっ」と投げた。0.2Gしかないステーションで、それは恐らく重力に慣れないサーシャの想像より高く飛んだのだろう、健二は手を上に伸ばしてギリギリそれをキャッチした。
百合子の、物を投げてよこす癖。投げる時の手の動きもそっくりだった。他の身体動作は人間味の欠片もないのに。
くそ、これで確定だ、と健二は嬉しいような嬉しくないような複雑な気分になってしまう。
「そこには、解決しない音を集めたデータが入っている。そちらにも似たデータがあるか照合を依頼したい」
「これはメモリー素子なのか?」
「肯定。あなたたちにも読めるように記述した」
なんとなく、聞かなくても中身の想像が付く。しかし通訳見習いの立場としてはこれ以上踏み込めない。
「要請。体組織が尿酸の増加とブドウ糖の不足を訴えている。今回はこれで下がらせてもらいたい」
「ああ、お疲れ様でした」
「ふむ、これが疲れて空腹という状態。ここに至るまで体を使ったのは初めて。記録した」
そう言い残すと、今度こそ医療区画に引き上げて行った。
いや、0.2Gで座って話して、5mくらい移動しただけで疲労するのか。ヒョロ過ぎる。運動不足にも程があるだろ。リィンには後で説教だな。
サーシャが去った後。イレギュラーな事態に、健二は交渉団のメンバーからよってたかって取り調べを受けた。
何故健二にだけ話しかけたのか。途中の意味不明な会話と、その後結晶を受け取るまでの不自然な沈黙は何なのか。
健二は、「猫が珍しかったから凝視してただけだと思います」とかなんとか誤魔化した。疑惑は残った感じだが、念話や、チビが人語を解する事がバレるのはなんとなくマズイ気がするのでそのまま放置。
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サーシャが投げて寄越した結晶は、ビット列が内部に刻印されたものだった。複雑な解析の必要もなく、単なる無圧縮の音声データだと判明。先頭のヘッダー部分にはサンプリングレートやらデータ長やらが8ビットのASCIIコードで記述されていた。親切というより、リィンの人類に対する理解度を見せつけられた形だ。
そして、そんなデータから再生されたのは、健二の予想通り百合子の鼻歌。ただし声はサーシャのもの。
【ふんふん、ふふーん。ふふふふーん】
しかし、それが予想通りだったのは当然健二だけ。他の団員にはちんぷんかんぷんだ。
「なんだ、これ?」「サーシャの鼻歌?」
抑揚が無く、感情のかけらも無い歌に、団長のアキラも通訳チーム先輩のエヴァも首をひねる。
「これに何の意味が…もしや何かの暗号なんでしょうか?」
とエヴァが言うが、
「いや、今更暗号を我々に渡す意味は無いだろう。君、このメロディを過去の地球の楽曲と照合してくれ」
アキラが部下に指示する。まあそうなるよね、と健二は思う。
でも、たぶんこれは俺とチビに向けたメッセージだ。恐らくサーシャにも理解できていないに違いない。サーシャが百合子の欠片なら、百合子を意識できていないだろう。
ただ。リィンにとっては?
その夜。部屋に戻ってもチビはずっと黙ったままだった。




