対話の始まり
リィン側ただ一人の通訳、サーシャ・アルファ。生物学的には人間だが、赤ん坊の頃にリィンに拾われ、リィンに育てられたらしい。
年齢は不明。見た目は10代に見えるが、あまりにも特殊な環境で生育しているだろうから実年齢は分からない。リィンとの通訳として表舞台に出てきたのが20年ほど前なので、少なくともそれ以上の年齢なのは間違い無いのだが。
人類側の通訳は、機械を介してしかリィンと会話できないが、リィンに育てられたサーシャは直接会話ができる。そこには超えられない一線がある。その原理を解明し、摺り合わせするのも今回の大きな目的だ。
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ドビュッシーの中央部に建造された、リィンとの対話のために作られた巨大な共鳴コンバーター。リィンの「音」と人間の「声」を相互に変換する機械。一号機であり、試作品っぽい荒い作りだ。
この時代の機械類は、全て基本的にナノテクノロジーで構成されていて、見た目はスマートなものがほとんど。共鳴コンバーターも試作品とは言え当然ナノマシンの集合体なのだが、ナノテクノロジーではないパイプや配線なども露出していて、どこか古いメカニズムのような雰囲気もあった。
その共鳴コンバーターが設置された大会議室。設置された長い会議卓の片側に、人類側の要員が並んでいる。人間の最高意思決定機関である、人類協同機構の首脳陣。そして補佐する通訳陣。その中にはカズトも混ざっている。カズトの肩にはチビ。
何故、通訳の肩に猫が乗っていても問題にされないのか。これは、今や人類世界で猫は絶滅寸前で希少な存在になっていて、何故かリィンも興味を示しているからだ。何かの対話のきっかけにでもなれば、として許容されている。
なんだか塔の恣意的なものを感じたり感じなかったりする健二だが。
『いや塔関係ないの。猫が絶滅しそうなのはホントだし』とチビ。
そして。机の反対側にぽつんと座るサーシャ・アルファ。左右の背後に人類側が用意した警備用のドローンが浮遊しているが一人だけ。
ひょろ長い胴体と手足。身長は180cmほどか。低G空間で育ったもの特有の筋肉の無い体形だ。贅肉も無い。女性特有の凹凸にも欠ける。恐らく骨密度もかなり低いだろう。地球などの1G環境には耐えられそうにない見た目。
肌は白い。目は薄い青、髪はシルバーブロンドのざんばらボブ。総じて若いロシア人のような見た目だ、と健二は思った。そういう意味でもサーシャという名前は似合っている。もっとも、この時代にロシアなんて既に存在しないから、そのような感想を持つ人もいないようだけど。ついでに言うとアメリカも日本も無くなって久しい。
サーシャの服装は、オフホワイトの木綿っぽい貫頭衣。とりあえず作ってみました、という感じでやっつけ仕事感が半端ない。リィン製の船にいるときは服なんて着ていないのかもしれない。
その姿を見た健二は、内心でうめき声を上げた。これを相手にするのか。
そして。既にリィンは近傍で待機していた。肉体が見えない彼らだが、共鳴コンバーターの計器はその存在を示していた。発する威圧感は、まるで開演直前のオーケストラが放つ静寂。何も見えないのに巨大な何かが感じられる、そんな手触りが共鳴コンバーターのある大きな部屋を支配していた。
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机の中央に座るのは、人類協同機構から派遣された交渉団の団長、アキラ・オーウェン。
50代、アフリカ合衆国人、物静かな大男。人類学者かつ政治家。推進派筆頭の人物だ。
カズトの記憶には、リィンに対するスタンスで人類は推進派と独立派に二分化されている、とある。「推進派(または穏健派)」はリィンと交流を結んで行こう、という考えの人たち。人々の大半はこちらだ。
対して「独立派」は当然逆。「人類は、自らの道を見つける能力を異星に明け渡してはいけない」などと主張、リィンとの交流は拒絶すべきという立場だ。少数派だが、その分狂信的で一部にはテロ行為も辞さないグループすらある。
今回の交渉は、独立派の介入を防ぐべく色々な防護措置が取られている。ドビュッシーの周りには協同機構の協力国による駆逐艦と掃海艇が周回しているし、ステーション自体も武装していた。
アキラが交渉の口火を切る。
「リィン。本日は我々との交渉の席に着いてくれて、大変感謝している。今日は実りある話し合いにしたい。宜しく頼む」
共鳴コンバーターが、アキラ団長の言葉を耳には聞こえない旋律に変換する。即座に空間が歪んでリィンの音が発生し、それをサーシャが人間の言葉に置き換えた。
「〈静かな波〉はこの場を言祝ぐ。まだ見ぬ未来を期待する」
透き通って綺麗だが、無表情で平板な声。健二には、何のこっちゃという内容だが、カズトの通訳としての力はそれを単なる挨拶として捉えている。アキラの横では、カズトの先輩であるエヴァ・アンダーソンが、アキラに意味を神経系接続のキーボード筆談で伝えている。
アキラは再度口を開く。
「〈静かな波〉、とはリィン種族の中の個体名なのか?」
「肯定、そして否定。わたしはわたしたち。わたしたちはわたし。どちらも〈静かな波〉」
「個体、という概念が存在しない?」
「否定。概念は理解。ただし、わたし・わたしたちは不可分」
個体がない。もしそうであれば、交渉は一気に楽になる。人類のように派閥が存在しないという事だろうから。
「我々はあなたたちを『リィン』と呼称しているが、今後は〈静かな波〉とした方が宜しいか?」
「否定。リィン、の音は楽しい」
そのままで構わない、という事だろう。エヴァがアキラに伝える。
「了解した、では今後もリィンと呼称させていただく」
特に返答は無いのを確認して、アキラは続ける。
「まずは、人類の同胞であるサーシャを救ってくれてありがとう。良ければ経緯をお聞かせ頂けないだろうか」
いきなり今回の交渉の第一の焦点に切り込んだ。ここが詳細に判明すれば、共存への道が見えてくる。
サーシャが口を開くまで少しだけタイムラグがあった。コンバーターがハム音を少しだけ大きくする。
「ここから光子で、あなたたちの母星が恒星を6521.3356回巡る時を経た場所に、時間の音がとても濃い星がある」
「方向は?」
「銀河中心を零点、現在の場所を基準線として(r,θ,φ)=(20122.155,1.522145,0.011449)」
カズトは手元の端末に値を打ち込む。ステーションのAIからすぐに結果が返ってきた。
そこは地球から銀河中心方向に約7,000光年、天の川銀河の隣の腕。色々な星雲がたむろする美しい宙域。
その位置にあるのは……ロイデ星系。
あかつき船団、百瀬たちが向かった場所。カズトは取得したデータをアキラを始めとする全員と共有する。
「時間の音が濃い、とは?」
「折り重なって気持ちの悪い音。わたし・わたしたちは近づかない。しかしあなたたちにはそうではないようだ」
更に検索する。だいたい100年間隔で、いくつかの調査船や船団がロイデを目指していた。その中にはあかつき船団の記録もあった。
あかつき船団:西暦2306年、消息不明
健二の心が凍り付く。百瀬は、そして遅れてたどり着いたであろうヨルゲンもノアもサラも遭難したってことか? もしや進路を妨害したハルトマンはそれを知っていたから工作したと? それなら危ないと警告すれば済むはずだが、どうしてテロに走ったのか。
というか、チビはあかつき船団の行く末を知ってたはず。俺に教える訳にはいかなかったんだろう、というのは理解できるが。心情的には納得できない。
「いくつものあなたたちの音が、そこに飲み込まれた。全ての記録は残っている。必要なら開示しよう」
「ありがとう。後ほどお願いしたい」
「たのしい」
喜んで了承する、程度の意味だろう。
「何故サーシャだけ救助したのか?」
「理由は二つ。一つは、この解決しない音だけが濃い時間から外に放り投げられたから」
「解決しない音、とは?」
「あなたたちが、サーシャ・アルファと呼称する音」
「サーシャだけ救助艇で逃された?」
「救助艇不明。小さな筒に入っていた音が濃い音の外に打ち出されたので拾うことができた」
「なるほど了解だ。もう一つの理由は何か?」
「ユニット・サーシャが解決しない音だったから、わたし・わたしたちは傍観者としてのあり方を曲げた。元々この音を興味深く見守っていた、時間と空間に散らばっている特殊な音の一つ」
おおざっぱにまとめると、次のような事情らしい。
嬰児だった彼女は、船が遭難する寸前で一人だけ脱出カプセルで通過中の星系外に射出され、その特殊な音に興味を持ったリィンがカプセルを回収。彼女の構成要素をスキャンし、ホモサピエンス生存に必要な要素を抽出・生成。彼女の生命をつなぎ止める事に成功した、と。
その時点で既に人類についてのデータをある程度蓄積していたリィンだが、ヒトとして育てるための教育までは余り理解していなかった。彼らは人類の言語や学問知識をある程度与えはしたが、とても体系立っているとは言えなかった。
代わりに与えられたのは、リィンの言語と知識。サーシャはすぐにリィンの言語を直接聞く事が出来るようになった。通常はあり得ない。しかしリィンによれば、サーシャは「解決しない小さな音」。最初から星の音と相互作用があった、という説明だった。サーシャはすぐにリィンの言語で思考するようになった。
ようやく謎だったサーシャの出自が共有された。その特殊性ゆえにリィンはサーシャを助けた。アキラは続ける。
「『解決しない小さな音』、とは何か?」
コンバーターがハム音を更に強める。
「宇宙には一つの音は一つだけ。しかし解決しない音は同じものが複数。始まりがない。終わりがない。ただそこにある」
「その一つがサーシャ・アルファということか?」
「肯定」
「サーシャが複数存在するという事か?」
「否定。存在は別の場所、別の時間、別の有機物。でも音が同じ」
使節団には、リィンの言っている意味が全く理解できなかった。しかし、塔を登ってきた健二には理解できてしまった。
こいつは、百合子を知っているんだ。もしかしたら塔のことも。
「そして、それら解決しない小さな音を集めようとしている別の和音がある。遙か遠くて近く、過去に未来に巨大な和音が一つ。今この場所に小さな和音が一つ。それらに手を伸ばす別の音が一つ」
サーシャは健二の方を見ていた。正確には健二とチビを見ていた。
「わたし・わたしたちも、それを知りたい」




