通訳
白河の山村から階段を登る健二。最後の段を踏み出した目の前で階段が消えて、白を基調とした小さな部屋が現れた。6畳ほどの長方形の部屋には、ベッドと机、あとは壁面にモニターのような板だけ。他には何もなく、生活感の無い部屋だ。
そして、今までのように意識が途切れて、別の体で目覚める過程がない。
「もう慣れたでしょ」
高級猫が足下で告げる。
「確かに慣れたかも」
そして記憶が素早く同期する。
この体、名前はカズト・N・クラーク。地球外種族「リィン」との交渉のために製造された宇宙ステーション「ドビュッシー」で、人類協同機構の一員としてリィンとの通訳補佐をしている。
立っているのはカズトの自室だが、私物は何もない。個人的なものはほぼ全て電子データで保管されていて、必要に応じてナノレプリケーターで実体化される。お茶も淹れ立てをカップごと出せる。なんと便利な。
今は西暦3001年。ファーストコンタクトから約200年後。未だに見た目も正体もどこから来たのかも全く判明していない異星人リィン。難航を極めた彼らとのコミュニケーションが、ここ数十年ほどでようやく少しずつ取れるようになり、今回はじめて本格的な交渉のために、地球から500光年ほど離れた、星の密度が薄い場所に作られた宇宙ステーションがドビュッシーだ。
リィンの存在に気づいた人類は、当初はSETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence)のプロトコルに従ってコンタクトを取ろうとしていたが、ことごとく失敗。素数列にも幾何学図形にも反応しない。いや正確には反応はあるのだが、返答とは思えないものばかり。
そんな試行錯誤が100年以上続いた。ブレイクスルーは40年前、とある研究員のやけくそな送信が発端となった。送信マイクの前で即興で思いつきを雑に歌ったのだ。
それまでも音楽データの送信は行われていたが、意味のある応答は何もなかった。しかし、その研究員のリアルタイムの歌には、即座にその歌の変奏が返って来た。驚いた研究員だが、冷静に戻り更なる変奏を歌い返す。それにもまた返信があった。
彼らがどうやって音楽データと生の歌を区別しているのかは不明。だが膨大な生歌のやりとりが始まり、次第に歌に意味を載せる事ができるようになっていった。
リィンは、宇宙を「音楽」として認識しているらしい。星も生き物も全てが音。もちろん物質的な振動の訳は無いのだが、どうやっても彼らのメッセージは音という意味にしか翻訳できなかった。「リィン」という名前も、彼らの旋律の一人称っぽい部分の響きを人間側が勝手に抜き出したものに過ぎない。それが種族名なのか個人名なのかも分からないので暫定だ。
そんな経緯で、リィンと歌で会話ができる特殊な感性を持つ人間が「通訳」となった。カズトはその見習い。見習い、とは言ってもそれだけで希少な人材だった。
そして。そんな個人技能に頼らなくてもリィンと会話ができるように設計されたのが、ドビュッシーに初めて搭載された「共鳴コンバーター」だ。リィンの奏でる音は、実際のところ電波でも音波でもなくそれに乗った何かだ。従って通訳者以外には聞き取る事ができない。それでは困るので、その音を普通の人間にも判別できるように、20年ほど前に現れたリィン側通訳の助けを借りて作られたのがこれだ。
「なんだか、訳わからん状況だなあ」
カズトの知識としても実感としても理解はできているのだが、健二にはちんぷんかんぷんだ。
「異星人なのに、タコとか虫とかじゃないんだね」
「んな訳ないだろ」
チビが足下で呆れている。
「宇宙のどこかには、もしかしたらタコとかイカとか虫とかサメとかいるかもだが。リィンはそもそも異『星』人じゃにゃい。出身の星なんて無いにゃ」
「え、それカズトの知識には無いんだけど」
チビ、こちらを見上げて目をパチクリする。
「……あれ? 俺様やっちゃった?」
あっちゃー、という顔で毛繕いを始めるチビ。結構粗忽者だよな、こいつ。
「生物じゃないんだ?」
「……人類が定義する生物、とは言いがたいな」
「生物の定義って? 俺生物学は詳しくないんだよな」
チビは呆れたように首を左右に振る。猫っぽくないなあ。
「お前、そんなん中学か高校で習うだろうが。一つ、体内と外界とを細胞膜などの境界で仕切り、独立した個体として存在すること。二つ、栄養やエネルギーを取り入れ、生命維持に必要な活動を行えること。三つ、自己複製すること。アンダスタン?」
「お、おう」
「リィンには体が無いから境界が無い。自己複製もしない。だから人類の定義だとコンピューターと大して変わらないにゃ。でも奴は間違い無く生き物にゃ」
「うーん、よくわからん…… え、体が無い? それも知らないぞ?」
チビ、顔を背けて耳をたたむ。ふしゅーふしゅー、すぼめた口から息を吐く。もしかして口笛のつもりか?
「お前なあ」
「まあこの時代ならコンピューターも十分生き物だし。生命の定義なんて今や誰も気にしてないにゃ」
失言を無かったことにしやがった。
「ふーん。分かったような分からんような」
「お前はその程度でいいにゃ」
相変わらず酷い言い草。
「そう言えば今日が初対面の予定だったな」
リィン側の通訳。宇宙でただ一人リィンに拾われて育てられた人間の女性、サーシャ・アルファ。
名前は人類が勝手に付けた。「サーシャ」はリィンが彼女の話をする時にそれらしい響きがあるから。アルファは最初の一人だから。大した命名理由じゃないが、名前が無いのも面倒なので暫定でそう名付けられている。
彼女の乗った船? 木の枝? が昨日ドビュッシーに接舷した。現在検疫の真っ最中で、船内時刻で昼過ぎに初会合が行われる予定となっている。
「なあチビ。とてもとても嫌な予感がするんだが。もしかして、もしかする?」
チビに尋ねる。答えは予想通り、
「ぴんぽんぴんぽん」
「やっぱりかー」
ちょっとゲンナリしてしまう。つまり今度の百合子は人類ですらないらしい。
「最高難易度にゃ」
「嬉しくないなあ」




