富山の薬
日が暮れた。山裾に三日月が架かる。でもその月は火山灰でくすんでいた。カラスの鳴き声だけが山に響く。
健二は奥座敷でお絹を看ていた。布団に横たわる彼女は、倒れてから高熱が退かず意識が戻っていない。吉兵衛は疲れて隣室で眠ってしまっている。おヨネ婆も自宅に薬草を取りに戻った。座敷には宗次郎とお絹、そしていつのまにか隣に座っていたチビだけ。
「……よし」
健二は行李の奥から医療用ナノマシンの包みを取り出す。
これを使えば、お絹は助かるだろう。だが、これは天明三年の世にあってはならない薬だ。塔のリザルトで減点を受けるかもしれない。時代の整合性を壊すかもしれない。しかしもう、使わないという選択肢は健二には存在しなかった。百合子かどうかに関係なく。
囲炉裏の鉄瓶を持ってきて、湯飲みにナノマシン粉末を入れて水と合わせたぬるま湯で溶く。薬研を使って別の薬草も混ぜる——おヨネ婆が後で見ても怪しまないように、表面的な体裁を整える。お絹を抱き起こし、口元に椀を寄せた。
『飲ませる必要は無いにゃ。口の中を湿らせる程度で起動するよ』
『へー。凄いんだな』
『俺様ほどじゃにゃいけどな』
事あるごとに自己主張してきますね、チビさん。
半開きの口に、少しだけ湯を流し入れた。
『これでいいのか?』
『おけにゃ』
お絹を布団に横たえた。そこから夜通しの看病が始まる。戻って来たおヨネに「立山屋の特別な煎じ薬を飲ませた」と告げる。効き具合を見守る、という説明でそのまま看病に同席した。
おヨネがお絹の汗を拭く。熱が下がり始めるのを確認する。喘鳴が和らぐのを聴く。呼吸が深くなるのを待つ。
明け方近く、お絹の呼吸が穏やかになっていた。熱も下がっている。
チビが『もう大丈夫にゃ』と静かに言う。健二は安堵して、その場にへたり込み、うとうとし始めてしまう。
朦朧とした健二がふと気づくと、お絹の右手が健二の左手を握っている。意識のない中で、いつの間にか掴んでいたようだ。健二はその手をそのままにする。
朝日が障子に差し込む頃、お絹が目を覚ました。おヨネは寝落ちしている。お絹の視線が健二を捉えた。「……立山屋殿」。健二は「お嬢さん、ご気分は」と返す。お絹は自分の体の状態を確かめるように深く呼吸する。胸の痛みがない。咳も出ない。
そして自分の手が健二の手を握っていることに気づく。一瞬、離そうとして——しかし離さない。じっと健二を見つめる。
「あんたが看病をしてくなんしたんけ?」
「はい、おヨネさんと私で。お嬢さんには立山屋秘伝の煎じ薬を飲んでもらいました」
「秘伝だっちゅうのけ」
「はい。効いたようで心底安堵しました」 笑顔で返す。
お絹の頬に少し赤みが差した。うん、血行も良好なようだ。握られていた手を離す。
「あ……」
お絹は小さく、名残惜しそうに声を出した。
おヨネが目を覚ます。お絹の楽そうな様子を見て信じられない様子で驚き、それでも「よがった、よがったなあ」と涙を浮かべていた。吉兵衛も声を聞きつけて座敷に入ってきた。おヨネと二人で大騒ぎである。
健二は、「私は一旦旅籠に戻ります。薬の効きを見るためにまた伺いますよ。ではこれで」
と言い残して看病をおヨネに任せ、屋敷を辞した。灰に煙る朝日だが、それでも少しだけ明るい気がした。




