代官
村に滞在を始めて数日後の昼過ぎのこと。健二は午前中の訪問を終えて市の茶屋で一休みしていた。空気は相変わらず淀んでいるが、村人はかなり慣れてしまったのか気にしている様子はあまりない。
一服してゆっくりしていると、村の入り口で馬の蹄の音が響く。村が騒がしくなった。
見ると、馬に乗った羽織袴の人物を先頭とした一行が村に入ってきている。焦げ茶の小袖に黒の羽織、仙台平と思しき細袴。腰には大小二本を差し、月代を青々と剃り上げ、銀杏髷は油でしっかりと固めている。
「ああ、あれが代官・堀田か」
代官の馬の後ろには、やはり馬に乗った、袴をつけずにくすんだ茶色の着物だけを着流した、浪人風の大男が付き従っていた。月代を剃らずにのばし、大刀の一本差し。足袋なしの素足に草鞋。
他には数人、いかにも役人という風情の者が陣笠を持って後ろに付いている。
『堀田弾正、白河藩の郡奉行配下の在方代官だにゃ。幕府代官と違って下っ端の地方公務員にゃ』
『それでも、こんな村なら絶大な権力持ちだろ?』
『まーね』
『後ろの、こ汚ない浪人は?』
『知らん。用心棒的なアレじゃない?』
新選組ほどの威圧感はない。そもそも、あそこまで人斬りに特化した訓練を積んだ人物なら浪人になどなるまい。それでもやはり今の健二では正面から挑んだら勝てないだろう、という事は見ただけで理解できた。棒手裏剣で先手を取れればワンチャンあるかも、って感じか。
代官一行は、矢内家の長屋門に到着した。堀田が馬上から降りる。先払いの小者が門を叩き、大声で「お代官様、ご到着」と通告する。
矢内家の門番が屋敷の中に駆け込んだ。やがて、長屋門の奥からお絹の父親である吉兵衛が羽織袴で出てくる。お絹もその後ろに、つつましく従っている。
吉兵衛は門前で堀田に深く頭を下げる。「お代官様、ようこそお越し下さいました。むさ苦しい屋敷ではござりますが、何卒お座敷へお通り申し上げまする」
堀田は鼻で笑う。「いや、ここで結構。中に入る用は無い。村の者にも聞かせるべき話だ」
吉兵衛の顔がわずかに強張る。これは庄屋の格式を立てぬ、屈辱の作法——苗字帯刀を許された矢内家の当主を門前に立たせたまま、公の場で取立てを行う、礼を失したやり方だ。
吉兵衛はそれでも気丈に返答する。
「お代官様、何でござりますか、お話ってのは」
堀田は懐から書付を取り出す。「今年の年貢、追加で五十石の割増しが申し付けられた」
周囲の村人たちが、ざわめく。吉兵衛も困惑を隠せない。
「五十石、でがすか。そりゃあ、ちっとばかし難かすくて……」
堀田はそれにかぶせるように言い放つ。
「年貢は減免せぬ。減らせば上が許さぬ」
吉兵衛はそれでもひるまず言葉を続ける。
「お代官様、矢内家は代々ご先祖様からの苗字帯刀を頂戴し、白河結城様の御代よりこの土地の民をお預かりしてめぇりました。なればこの度の取立て、何卒お情けを……お情けを頂戴しとうごんす」
と懇願した。だが堀田は
「苗字帯刀の格式とて、年貢の前には霞のごとし」と冷たく切り捨てる。聞く気はない、と態度で示している。
お絹が左腕で父を制して前に出る。
「お代官様、この村に米はごぜぇません! あんのは、餓えだ者だげでごんす!」
「米を出せぬと申すか。村の蔵には百姓どもの分の隠し米があるはずだ。検めるぞ」
お絹は声を高く張り上げる。
「置き薬の代も払えぬ村でごぜえます。今年は富山の立山屋さんが、お代は来年で結構と仰って置いていってくだすった。お代官様、これが奥州の山村の現状でごんす!」
お絹の目に悔し涙がにじむ。
「検めてけろ。んでも、検めて何もねがったら、来年の種籾はお代官様から出してけらっしゃい」と切り返す。
村人がざわめく。用心棒の大男が刀の柄に手をかけ、「小娘、口の利き方を知らんか」と威嚇してきた。
「矢内の娘として、村の命を背負ってんだ。お代官様、お決めなさってくなんしょ」
大男もその気迫に気圧された。
「このままでは村が全滅し、上様へ納める来年の年貢は文字通り『皆無』になります。そうなれば、郡奉行様へのお顔が立ちやせんでごんす。お顔が立ちませぬぞい!」
しかし、その時お絹が不意に咳き込んだ。
その咳は一度では止まらず、二度、三度。膝をつき、口元を押さえた手のひらに血の混じった痰が散る。村人が悲鳴を上げる。お絹は立ち上がろうとするが、もう一度咳き込んで今度は倒れた。
遠巻きに見ていた健二は、薬箱を持って駆け寄る。脈を取り、額に手を当てる。高熱。喘鳴。肺炎が進行している。お絹は数日前から、いやおそらく数週間前から、人前では気力で抑えていただけだったのだ。
堀田は舌打ちしてお絹から距離を取る。病がうつるとでも思ったのだろうか。「面倒な。今日は引き上げる。だが取立ては必ず行う」と捨て台詞を吐いて馬にまたがり、用心棒らと共に馬を翻し立ち去った。乱暴な馬の足音が遠ざかる。
健二は吉兵衛の許可を得て、お絹を奥座敷に運んだ。村の産婆兼薬師であるおヨネ婆も呼ばれて駆けつける。歳は七十一。村で五十年以上、産婆を務めてきた。父はかつて村近くの山伏で、山の薬草に通じた人物だったらしい。おヨネは娘の頃から父について山に入り、生薬の見立てを覚えていた。
おヨネは脈を取り、胸に耳を当てて顔を曇らせる。
「これは肺の臓の奥まで灰が回ってっぞ。手遅れに近え。すまんが、わしの薬草では……」
吉兵衛が涙混じりで宗次郎にすがる。「立山屋殿、何か、何か手はねえべか。矢内家の宝、たった一人の娘なんだ」
健二は答えられない。薬箱を見つめている。チビの念話が届く。
『使うしか方法は無さそうにゃ』




