あかつき船団
京のねぐらから階段を上ると、そこは柔らかい樹脂の床の上だった。ただよう鉄と油の匂い。出た場所は何かの通路のようで左右が狭い。前後は緩いアールを描いて消えている。壁は色こそ違うものの床と似たような素材に見える。
毎度のこととは言え、時代を飛び越えるのは心臓に悪い。チビも前もって少しくらい行き先の情報を教えてくれても良いと思うんだが。別に支障無いだろうに。
「新鮮な気持ちを大切にしたい所存でございます」
嘘つけ。絶対うろたえる俺を見て楽しんでるだろ。
「心外でございますにゃ。当社は常にユーザーの皆様の幸福を第一にして...」
「もう、それはいいから。何、テレビショッピング気に入ったの?」
「案外、性に合ってる感じ?」
「……それは何より」
軽口を言う事で環境に適応する余裕ができる。案外そこを狙ってるのか、この猫は? ...いや、違うな。単なる趣味だなこれ。
体を回して周囲を見て気づく。体が軽い。
江戸時代より筋力があるとかではなく、物理的に軽い。重力が小さい?
自分の姿を確認する。汚れた青いつなぎを着ている。何かのメカニックだろうか?
と、ようやく記憶のシンクロが始まった。
この体は楠井海斗28歳。
現在西暦2303年、恒星間移民船団あかつき、その一隻ヒノデの整備部所属・二等機関整備士。
船団が太陽系から出港して8年目、目的地であるロイデ恒星系の第二惑星まで残り約3年の距離。
「おおー、今度は宇宙船かよ」
地球ですらないとは。
2100年の隔離された大泉学園はまだ健二の時代との類似が感じられたが、これはさすがに飛躍が大きい。健二の意識に海斗の莫大な知識が流れ込んでくる。前の層までなら卒倒しそうな量だが、そろそろ慣れてきたようで少しふらつく程度で収まった。
「宇宙船って言っても、ごく原始的な超光速ドライブにゃ」
チビが胸をふんぞり返らせて言った。
「こんなの塔に比べたら……いやなんでもにゃい」
「何年遅れてるって言おうとしたのかな?」
「にゃいうー」
都合が悪くなると猫のフリするやつ。
そんな話をしつつ廊下を歩きながら
「外を見てみたいなあ」
と思わずつぶやいてしまうと、チビが
「嫌でも見るハメになるから安心しろにゃ」
「……その不安になる言い方やめて?」
性格悪いのってほんとにこの猫は高級品なんだろうか。どこか製造行程ミスってないだろうか。
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頭に入って来た情報を整理する。今は上司の一等整備士であるヨルゲン爺さんに呼び出されて機関室に行くところだ。自分の勤務シフト開始はまだ1時間ほど先だが、何か急ぎの不具合修理があるらしい。
ヨルゲンは他の航路での経験も豊富な航宙艦整備士で、エンジンから航法機器から武装まで何でもござれの大ベテランだ。62歳らしい。このヒノデの整備監督を一人でこなしている。海斗はようやく新人を脱した程度の下っぱ扱い。日々教えを請う立場である。
機関室に着くと、ヨルゲンが作業台横のディスプレイに何やら図面を出している。
「ヨルゲン親方、何かあったんですか?」
腕を組んでいたヨルゲンが顔をこちらにあげた。渋い目で健二を見る。
「ああ海斗、シフトまだなのに悪かったな。実はな、」
船団内の相互リンクにノイズがあって、データ転送効率が落ちている。自己診断システムによれば近距離通信のアンテナに不具合があるらしいので見てきてほしい、という話だった。
「今のシフトだとノアが担当でな。ちょっとまだEVA(船外活動)には早いだろ」
「なるほど確かに。了解しました」
海斗の知識で返答する。EVAはもっぱら若い者の役目だったが、さすがに13歳のノアは若すぎる。
『早速願いが叶って良かったにゃん』
チビはそう念話を送ると、ヨルゲン爺さんの肩に飛び乗った。え? いいのそれ?
「おいこらチビ。まだ仕事中だっての」
意外な事にヨルゲンは拒絶しなかった、それどころか親しげに猫を撫でている。
『地域猫、ならぬ宇宙船猫なんだにゃ、今の俺様』
毎度こいつは。
『いってら~』
ヨルゲンの肩で尻尾を振るチビ。猫の尻尾振りは不機嫌の印だってーの。偽猫を無視してエアロックに向かう。
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エアロック手前に続く装着室で宇宙服を着る。
健二の時代の宇宙服のイメージとはほど遠いもので、肌に密着する全身レオタードのようなものだ。スキンタイトスーツ、と言うらしい。
空気の代わりに密着したスーツが加圧を行う。紫外線や宇宙線を遮る素材中には毛細血管のようなパイプが縦横無尽に走っていて、保温と冷却を同時に行う。健二の時代から300年ほど経っているこの時代でもハイテク素材扱いらしい。頭部は密着が無理なのでヘルメットだが、それでも21世紀のものと比べるとずいぶんスリムだ。全体的に軽くて動きやすいが、ちょっともっこりして気恥ずかしいのが難点。
現在船団は超空間ドライブの合間、通常空間で慣性航行中。一気に距離を稼ぐのは無理らしい。それでも約7,000光年を11年だ。凄いと思う。チビは貶してたけど。
慣性航行中で加速も減速もしていないので船外にも出られる。エアロックを抜けた健二は、目の前に広がった眺望に絶句した。
以前、父方の田舎にある真っ暗な山の上で快晴の夜空を見上げた事がある。本当に照明がない場所では、暗い星が集まると点として認識できず白い絨緞のように見える。健二も最初はそれが星空だと認識できなかった。明るい雲だと思った。雲にところどころ明るい星が散りばめられたような眺め。後から「あ、これが天の川か」と気づいたくらい、星に見えない。
現在飛行中の空間には近くに恒星がない。暗闇の極限。見渡す限りのまぶしいミルキーウェイに取り囲まれていた。
もちろん、あかつき船団は多数の船で構成されているから僚艦のパイロットランプはある。しかし安全のため互いの距離は数キロ離れているので注意すれば星と区別できる、という程度の明るさしかなく眺望を邪魔しない。
しかしすぐに我に返る。ど新人じゃないんだ、てきぱき作業をこなさねば。
対象のアンテナはエアロックから100メートルほどの位置にあるアンテナアレイだ。ユニット名はAE-35。
『名前の一致は偶然だよ?』とチビ。
意味不明な念話。何か名前に意味でもあるんだろうか。とりあえず再び無視。
AE-35アンテナに到着する。調べるまでも無かった。アレイの2~3割ほどがもぎ取られたように消えている。周囲の壁面も窪んでいた。何か衝突したか?
「ヨルゲン親方、現着しました。デブリか何かですかね、アンテナ欠けてます」
『おう、カメラで見えてる。こりゃ簡単には直らんな。土台から交換作業してたら次のジャンプには間に合わん。他のアンテナでカバーさせよう』
「すると当面放置で?」
『ああ。ご苦労だった、戻ってくれ』
健二はエアロックから船内に戻り、再度機関室に。
「戻りました」
「お疲れさん」
『お疲れにゃん』
「お疲れ様でしたー」
最後のはノア。先日整備部に配属されたばかりの見習い、13歳の少年だ。生まれは地球だが物心着く頃にはヒノデに乗っていたので地球の記憶はほとんど無いらしい。
ただ、出発後の事故で同じ整備部所属だった両親を亡くしていて身寄りが無い。今や整備部が実質家族でヨルゲンが保護者みたいになっていた。
「映像見たが、あれはもうダメだな」
ヨルゲンが肩を落とす。交換自体は可能だが、ジャンプの合間に行うには時間のかかる作業で航行スケジュールを変更する必要がある。それなら修理はせずに、隣り合う別のアンテナでカバー可能ならそうするべきだった。
「船のロール角を変更してもらう必要がありますね」
健二は提案した。分かっている、くっそ面倒臭い手続きと認可が必要だ。あとは司令部が交換のコストと船の姿勢変更の利益不利益をどう判断するかだ。
「難儀だな」ヨルゲンがぼやく。
「? 船の角度を少し変えるだけですよね? 何がそんなに大変なんですか?」
ノアは無邪気に質問する。そうだよな、そう思うよな。ヨルゲンが回答してくれた。
「AE-35はな、単なる通信用アンテナじゃないんだ。障害物レーダーも兼ねてる、というかむしろ通信がオマケだ。それの向きを変えるってのは、船団の外側の探知範囲に穴があく、って事なんだよ」
ノアは分かったような分からないような顔をしている。
「大したことは無くてもリスクはリスク。滅多に遭遇しないが海賊とかもいるしな。旗艦の判断が要るって事さ」
「そうなんですね。覚えておきます」
書類仕事が増えたヨルゲン、お疲れであった。
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そんなこんなで少々長めのシフトが終わり、食堂で代わり映えのしない夕食を摂ってから個人の船室に戻る。
船室の広さはビジネスホテルのシングルルームくらい。狭くて質素ではあるが最低限の設備は揃っていた。なんと宇宙船なのにシャワーもあった。すごいな24世紀。
シャワーを浴びてさっぱりし、少し涼んでからベッドに入る。チビは布団の足下で丸くなった。
「そうそう、AE-35アンテナの名前、なんか言ってたけどあれなに?」
「あー、知らないのかー。20世紀の有名な映画のキーアイテムにゃ」
「ふーん。なんて映画?」
「2001年宇宙の旅」
「うーん、名前は聞いた事あるけど見た事ないな」
「♪Daisy, Daisy,Give me your answer」
低い声でチビがスローなメロディを歌う。
「なんぞそれ。不気味な歌だな」
「コンピューターが反乱起こすにゃ。俺、あれ好きなんだにゃ」
「高級だな」
「高級だろ」
その日はそのまま就寝。気疲れしてたのか即座に意識は落ちた。




