階段
健二はねぐらの前まで歩いて戸を開けた。
土間に入る。しかし上がり框とその先の居間はなく、あったのは階段だった。
「お疲れさん」
部屋の真ん中で、チビが伸びをした。
「どぅるるるるるるるるる~」
チビが、また変な声を出した。
「またそれかよ」
「じゃん!」
健二の目の前に半透明のウィンドウが開いた。
前に見たやつ。
中心に百合子のおかっぱ頭の絵。塗りつぶしが少し増えていた。けれど前ほど大きくは増えていなかった。
「百合子ちゃん復元率、37パーセント~」
「……上がり幅、少なくないか」
「鋭いにゃ」
チビが頷いた。
「今回は5ポイントだけ。前は17ポイント上がったけど、今回は半分以下にゃ」
「だよな」
「理由はお前にも分かってるのと違う?」
健二の頭の奥で、月明かりの路地で百合子の首が半分傾きかけて戻った瞬間を思い出していた。
戻った。半分で。
「ボーナス内訳~」
チビが勿体ぶってウィンドウの脇を叩いた。
「新癖発見、深く息を吸う、プラス10!」
「うん」
「役目達成、密書搬送補助、プラス8!」
「うん」
「音モチーフ意図的提示、プラス12!」
「……ん? それ加点高くないか」
「お前、自分から首輪鳴らしただろ。あれ塔的にはレア行動なんよ。普通なら戦闘の道具を使うとこをお前は感情の道具を使った。塔の中で珍しい運用にゃ」
「そう、なのか」
「まあ、オトナの事情にゃ」
なんだそりゃ。
チビは、それ以上説明しなかった。
「で、ここからが減点パート」
チビが、ウィンドウを切り替えた。数字の前に赤いマイナス記号が並んでいた。
「人格表出不完全、マイナス15」
「……」
「百合子の欠片、こっちに振り向きかけて戻ったろ? あれ惜しかったにゃ。あと一押し、何か別の手があれば10ポイントは行けたかも」
「何が足りなかった?」
「それはわからんにゃ」
チビは軽く首を振った。
…何が足りなかったのか。
言葉、だったかも知れない。声を出して何かを言うべきだったのかも知れない。名乗るべきだったのかも知れない。あるいは、もっと早く首輪を鳴らすべきだったのかも知れない。あるいは何をしても結果は同じだったかも知れない。
…分からない。
「ま、今回は仕方ないにゃ。第四層は元から難しい層にゃ。役目達成型は、感情の表出が中途半端になりがちにゃ」
チビが慰めるように言った。
慰めるための言葉というより、塔の中の運用知識として喋っているようだった。端末らしさかい?
「……んで、インベントリの持ち越し何にする? B29みたいなのダメよ?」
……新選組の男と戦って、足りなかったもの。
頭の中で、月明かりの路地がもう一度再生された。
油皿を投げる仕草で囮を作り、暖簾の揺れで男の出現位置を読んだ。手首の関節を一瞬とり、拳で側頭部を打った。一手だけ凌いだ。
しかし二手目はなかった。二手目を出そうとしたら恐らく健二は斬られていた。男の刀の間合いに踏み込み続ける優位がなかったから。
間合いを保つ手段、それが、足りなかったものだった。
徒手では、相手の刀の間合いの外で何もできない。距離を取れば取るほど健二は無力になる。敵の間合いの外で、敵に届く何かが必要だった。
……銃。
銃なら間合いの外から届く。けれど慶応三年の京都には洋式の銃なんてない。次の層の状況もまだ分からない。
銃ではない、何か。
健二は、自分の手のひらを見た。四時間前、その手のひらは男の刀の柄を握っていた手首を捉えていた。
…刀。
刀を自分が持つ。それなら間合いを保てる。少なくとも相手の刀と同じ間合いに立てる。
「俺、刀使えないぞ」
健二は、ぽつりと言った。声に出してから、自分でもその台詞が矛盾しているのに気づいた。使えない武器をリクエストしようとしている。
「そっちか~」
チビが、頷いた。
「そりゃ振れんわな。お前、剣道習ったことないだろ?」
「いや、小学生のとき少しだけ道場に通ったよ。結局4級までだったけどな」
「それは経験者には入らんにゃ~」
健二は口を開いた。
「あと銃剣道は、教練でやった」
陸上自衛隊の格闘訓練。銃剣道…銃の先に着剣した状態での、格闘の体系。
銃剣は刀ではない。振らない。突く。間合いは銃の長さプラス着剣の刃の長さ。構えは半身、両手で銃床と銃身を握り銃口を相手に向ける。突き、引き、射撃。突き主体の体系だった。
…日本刀の振りはできない。けれど突きなら身体が覚えている。
路地で男が、刀を抜けないと判断した瞬間に突きに切り替えようとした。狭い路地では振りより突きの方が効く。それは刀全般の戦いに通用する原則だった。
健二が刀を持って、振らずに突き専門で運用する。それなら、銃剣道の延長で扱えるかも知れなかった。
…少なくとも、徒手で間合いの外に立つよりは何かができる。
「銃剣道の応用で、突きなら何とかなるかも知れない」
健二は低く言った。
「ほうほう」
チビが、興味を示した。
「面白い理屈にゃ」
「面白いか」
「陸自の銃剣道は、たぶん剣術の突きとも近いところある。構えの左右は逆だけど、間合い、半身、両手の握り。応用効くかもな」
「お前、銃剣道、知ってんのか」
「知ってるよ、俺様は高級だからな。お前のステータス把握してるって言わなかったっけ? 剣道4級は知らなかったけど」
チビはにやりと笑い、ウィンドウに肉球を当てた。
「ほんじゃリクエスト確定ね。ナノコーティング付きの日本刀、一振り。突き運用前提で、お前の手に馴染むサイズで調整しとく」
「いいのか、そんなカスタマイズ」
「おけにゃ。最初からそういう仕様にゃ」
ウィンドウの空欄が、じゃじゃん、と音を立てて刀の絵に変わった。いちいち演出がゲームっぽいと言うかバラエティショーっぽいと言うか。
健二の目の前に、一振りの刀が現れた。
反りがほとんど無い。鞘も柄巻も漆黒。鍔は鉄製?の素朴な意匠。ただ刀身は、少しだけ短かった。
「これ、日本刀? なんか真っ直ぐなんだけど」
「ピンポン。これは俺様カスタムの忍者刀にゃ」
「短いな」
「しのび刀って奴。突くなら直刀だろ」
なるほど? 確かにそうかも?
「突き専門ならリーチが重要だけど、お前の場合シロウトだから取り回しの良い方がええにゃ。打刀としては短め。ただ、そこそこ柄を長くしてあるから、見た目ほどリーチ短くないにゃ。突きの間合いとしては十分にゃ」
「そんなもんか」
「和風短縮版ツヴァイハンダー、ってとこ。お前のリクエスト「銃剣道の応用」に最適化したにゃ」
ツヴァイハンダーって何? まあウンチクを垂れたいのだろう、高機能だから。
「あとねー」
なにやら猫がニヤニヤしてる気がする。
「忍者の刀だからね。鞘にも仕掛け作っといたにゃ」
「仕掛け?」
「この根元のスイッチを押すと、鞘の先端から棒手裏剣が射出されます」
スペツナズナイフかよ。
「一発だけだけど」
「それでもえげつないな。いざって時には役に立つか」
健二は、それを宙から取った。
ずっしり、と健二の手のひらに重さが乗った。徒手の戦いでは感じなかった重さ。相手を斬る、という重さ。
握ってみると、長めの柄は確かに銃剣の握りに近い感触があった。両手で握れる。半身に構えれば、自然に銃口…いや、刀身…が相手に向く。
健二は、刀を、しばらく見ていた。
「こちらの商品、塔のナノテクノロジーでコーティング処理してあります。表面硬度はダイヤモンド級。刃こぼれせず、突きまくっても、折れない、錆びない、究極の一品でございます。研ぐ必要もございません!」
チビが、補足した。
「テレビショッピングか」
「鞘から抜く動作も直刀なのでコツは要りますが、慣れればどなたでもできます。練習あるのみです」
「ハッタリ用にもなる、だよな」
「良い理解でございますにゃ」
灰色の部屋にしばらく沈黙があった。
健二は手の中の刀を宙にふっ、と放した。
刀は消えた。インベントリに収まった。
「健二」
チビが灰色の床に座っていた。
香箱を組まずに、前足を揃えて座っていた。
「何か、訊きたい顔してるにゃ」
健二はしばらく黙っていた。
部屋の沈黙は、第二層の時、第三層の時と、まったく同じだった。何の音もしなかった。
健二は、ゆっくり口を開いた。
「チビ」
「にゃん」
「お前」
「にゃん」
健二は、自分の声が低く平らになっているのに気づいた。
「後ろに、誰がいる?」
チビは答えなかった。
…前足で顔を洗い始めた。
右の前足を舌で湿らせ、耳の後ろから頬に向かって、ゆっくりと撫でた。
撫でながら、チビは低く言った。
「ご質問ご要望は、書面にて受け付けております」
「……」
「まあそれはともかく。今、答えてやってもお前信じんのにゃ」
「そうか? ためしに答えてみてくれ」
「ダメにゃ」
チビは首を振った。
「損するのはお前にゃ。塔の中の旅ややこしくなるだけにゃ。今は塔と俺様を信じといてくれ」
健二は、しばらくチビを見つめていた。
チビは健二の視線を避けなかった。ただ前足を舐め続けていた。
…いる、ということは否定しなかった。
健二は、それを確認したかったからとりあえず十分。
「分かった」
健二は低く答えた。
「もうちょい先、まで取っとく」
「それでいいにゃ」
チビが頷いた。
「いつ気付いたん」
「……ここの途中で、なんとなく」
「早かったにゃ」
「お前が、何度も『二回目だからにゃ』って言うから」
「しもた~」
チビが、前足で額を叩いた。
「気を付けるにゃ」
「気を付けなくていい」
健二は、答えた。
「気を付けられたら、俺何も気づけない。迂闊なままでいてくれ」
チビはしばらく健二を見ていた。
「んじゃ、いこか」
チビが立ち上がり階段の最初のステップに足をかけた。
振り返って健二を見た。
「健二」
チビが言った。
「ああ」
健二は答えた。答えたが、足はまだ動かなかった。
…百合子の、首が半分傾いて戻った瞬間を思い出していた。
あの瞬間、百合子の中で何かが揺らいだ。揺らいだが、戻った。
戻して密偵の顔に収まった。
…収まるということができる人だった。
健二の知っていた、第二層と第三層の百合子とは違う人格だった。
…健二は、彼女の全部を知っていたわけではなかった。思い知らされた。
知っていると思っていたのは、健二の側の勝手だった。
環も、澪も、今回の女も、全部本物の百合子だった。どれかが偽物でどれかが本物、ということはなかった。
全部が本物。
全部が健二の知らない彼女。
…次の層の彼女も、健二の知らない彼女だろう。
健二は目を瞑って階段の最初のステップに、足をかけた。
「お先ー」
チビが先に消えた。
健二は黙って階段を登り始めた。




