防護マスクの向こう
数日後。大輝とリナの担当ルートが変更になった。
第七隔離施設。重症者と慢性患者が比較的多い病棟だ。そのためか物資が細かく別れていて配送量が多く、感染のリスクも上がるため社員の間では人気のないルートである。配送は歩合制なので、大輝にとっては稼げて助かることは助かるが。
施設入り初日。荷物を置いた大輝がゲートに戻ろうとすると、施設建物の裏手にチビがいた。何してるんだ?
チビは一瞬だけ目を合わせると、すぐに建物の隙間に消えた。
「今の猫、隔離施設に出入りしてませんでした?」
端末で伝票を整理しているリナに聞く。彼女はチラっと建物を一瞥して、
「ああ、あの子ね。施設の人たちがエサあげてるみたいだからいいんじゃね?」
「猫って感染しないんですか?」
「うん、大丈夫みたい。まあ毛皮に胞子付いちゃってるだろうから、区域外には絶対に出せないけどねえ」
「そりゃそうですよね」
作業の終わったリナとゲートに向けて移動する。リナは伝票をパラパラとフリックし続ける。
「げえ、次は大物だ」
とぼやく。
「大物?」
「そう、重量物。区域の外ならトラックとリフトでいいんだけど、ここ車両禁止だからローダー使うんだ」
「ああ、そういう」
「起動認証とかめんどくさいんだよ」
パワーローダー、通称ローダー。いわゆる強化外骨格だな。お、大輝君操縦免許持ってるな。あー、それでここに配属されたのか。
「ははは、もう少しです頑張りましょう」
「他のコトで頑張りたいよ、ワタクシは」
リナ先輩、平常運転。
「そういや、なんで車両ダメなんです?」
「突貫工事で隔離したからね。ほら、あちこちにパイプやらダクトやらドームやらあるでしょ。車通れないとこ多いんだよ」
「ああ、確かに」
「あとは、ローダーの方が構造がオープンだから消毒しやすいみたいだね。トラックって狭い隙間多いでしょ」
なるほど、そういえばローダーのほうが分解整備も簡単そうだ。
「なら、飛行ドローンは?」
「いやいや。胞子盛大に巻き上げてどうするよ。飛ぶ奴は全て禁止」
「ありがとうございます、良くわかりました」
「うんうん。たっぷり尊敬したまえよ。お姉さんローダーにはちょーっと詳しいぜ?」
ゲートには大きな荷物が待っていた。リナ先輩も当然のようにローダー免許は持っていたが、結局作業したのは大輝だった。そんなもんだよね。
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翌日の配送。第七隔離施設受付の人に
「ああ、悪いんだけどそれ裏口に運んどいて」
と言われて、建物の裏に回った。
「そういうのは自分たちでやってほしいなあ...」
と小声で文句を言いつつ施設の裏手を通りかかった時、その人がいた。
裏口の段差に女性が座っている。防護服のマスクを顎まで下げてしまっている。感染防止的にはどうなのか。首から提げたネームプレートは医師を示す白。ちなみに大輝のような配送員は緑だ。
その膝の上にはチビがいて、背中を撫でられている。健二は荷物を運びながらつい見てしまう。
チビは喉をゴロゴロ鳴らしている。その医師は首を右に傾けながら小さく笑っている。
健二の足が止まる。笑いながら傾く首、百合子の変な癖。その膝の猫に話しかけている。高くも低くもなく、ちょっと息漏れ気味の柔らかい声。
『いた』
大きくなる鼓動とともに健二は目を見張る。するとチビがこちらに気づいて顔を上げた。
『やっと来たにゃ』
女性のところまで荷物を運ぶ。「お届け物でーす」
「あら、ここに?」
「受付の人にここに運んでくれ、って言われまして」
女性は立ち上がり、荷物の伝票を見る。
「ああ、これね。別に正面でも良かったのになあ。ごめんね?」
「いえいえ、この位なら」
「私のサインでもいい?」
「あ、はい大丈夫です」
女性はタブレット伝票に指でサインした。『東山』。
「はい」
「ありがとうございます、まいどあり」
『まいどあり、って。昭和かよ』
猫を無視してその場を立ち去る。背後から鼻歌が聞こえてきた。百合子がいつも口ずさんでいた、あの変なメロディ。不意打ちに涙が出そうになる。
『本当に百合子なんだな』
『一部だけどな』
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勤務が終わって独身寮に戻った。個室だ。もっとも自衛隊官舎でも尉官は個室だったが、それよりも設備が上等だ。まあ半世紀ちょい経過して色々進歩してるせいかもしれないが。
シャワーを浴びて出ると、ベッドの上にチビがいた。
「あれ、お前第七施設にいたんじゃ?」
「ああ、今もいるよ? でも俺様端末だから、どこに出るのも自由自在。ちなみに毛皮に胞子とか付いてないからな」
「便利なことで。端末って何の端末なのさ」
「もう分かってるだろ。塔のだよ」
そこは疑問に思ってない。
「そうじゃなくて。塔が生きてる訳じゃないだろ? 裏にいるのは誰よ」
「禁則事項」
「うそつけ」
「あながち嘘でも無いんだけどにゃ。とりあえず今のお前には邪魔な情報だから。気にすんにゃ」
うーん、気になるがどうせ問い詰めても無駄なんだろう。話を変える。
「今日、百合子、じゃなかった東山先生、なんでマスク外してたんだ? 危ないだろうに」
「それなー。なんか音楽が聞こえるんだそうだ。マスクしてると良く聞こえないんだと」
「音楽?」
「なんでも胞子の雪の中に音が聞こえるんだと。医療用のごっついマスクだとフィルターが音を遮りすぎるから、わざと外して聴いてる。バカな話だが、まあ……お前にも聞き覚えがあるんじゃないか?」
さっきの鼻歌。百合子の鼻歌の一部。
「そうか、不完全だったもんなあの歌。でも何でそんなの知りたいんだろう」
「理屈じゃないんだと思うにゃ。バグだからな」




