隔離区域
階段を登ると、そこには見慣れない風景が広がっていた。いつのまにか宅配のような、荷運び用のカートを押して歩いている。左右は透明な防護壁で区切られた街路だ。壁の向こうには現代的なビル群が並ぶ。少しだけ奇抜なデザインのものも混じっている。
「よし、ちゃんと移行できたにゃ」
カートの荷物の上には猫、チビが座っている。ちょっと聞き捨てならない事言ったな?
「なあ。『ちゃんと』移行できないとどうなるんだ?」
「お? 知りたい? ほんとに知りたい?」
「……やめとく」
きっとろくでもないに違いない。
——前回同様記憶が蘇ってきた。
ここでの自分は岡田大輝・26才。配送業だ。業者自体は宅配などを手がけている普通の民間会社だが、大輝の部署は少々特殊で、ここ大泉の隔離区画内部への配送を請け負う部署だ。
西暦2100年。20世紀末から少しずつ問題になり始めていた抗生物質への耐性を持つ菌の増加が、ここに来て社会の存続を脅かすレベルになっていた。
従来は人に感染しなかった真菌が病原性を獲得していた。胞子が空気中に漂い肺に吸入されることで感染する。免疫不全者を中心に重症化し、致死率は高く死亡しない場合でも慢性化する事が多かった。幸い感染力自体は低かったが、しかし既存の抗真菌薬に耐性を持つ株が次々に出現しており、治療が追いついていないのが現状だった。そして感染が集中していた大泉学園地区が隔離・封鎖された。
大泉学園町には高い壁が建設され、内部の町を隔離。人の出入りは許可を受けた者以外は禁止された。そんな感染地域内部への配送員。それが大輝だった。
「なんだか現代っぽいとこに戻って来たな」
立ち止まって空を見上げ、思わずつぶやく健二。
あと半年で22世紀という時代だが、元々いた2040年代とそれほど町の風景は変わらない。民家は相変わらずいかにも建て売り、という感じの三角の屋根に塗り壁が多いし、ビルも普通にコンクリートのようだ。未来都市、という感じはしない。
とは言え、つい先ほどまで立っていた焼け野原の大泉との落差に感覚がついていっていない。それに壁に囲まれた町には見慣れた大泉の面影はなかった。ついでに銀色に光る塔も無かったが。
環を見送ったばかりで心の整理がついていない。周囲の急変にふらつく。カートの持ち手に掴まってうつむき呼吸を整えようとするがなかなか動悸が収まってくれない。
「おお、どした急に立ち止まっちゃって。立ちくらみかい? 寝不足かい? いかんな、若いからって無理しちゃあ」
後ろからやはりカートを押した女性が大輝に追いついてきた。快活な声がかかる。山下里奈、28才、通称リナ先輩。配送会社の先輩社員で、新人である大輝の指導係だ。同じようなカートを押している。
「夜は寝なきゃいかんぞ? ナニやってるかは知らんけどな」
なに、のイントネーションが変だ。そういえばこういう人だった。明るい性格で話しやすいのではあるが、すぐ下ネタに走ろうとするのが玉に瑕。綺麗なルックスなんだけど若干残念な人。
「すみませんリナ先輩、確かに寝不足かもしれません。もう大丈夫です」
「そ」
「ちなみにナニもアレもありませんから」
「つまらんのう、若いんだから無理しなきゃ」
「どっちなんですか」
くだらない軽口。仕事中にどうかと思わなくもないが、他に誰もいないから問題ないんだろう。確かに少し楽にはなった。
立ち直ると、そのまま二人で歩き出す。もうすぐ配送先だ。
「ん? その猫見た事あるな」
荷物に座ってるチビに気づいたリナ。
『テキトーに誤魔化しとけ』
こいつ。
「ああ、なんだか懐かれちゃって。知ってる猫なんですか?」
「うん、そいつずいぶん前からこの辺うろついてるんだよ。病院とかでエサ貰ってるみたい」
ほほー。そういう設定ですか。
「そうなんですね」
しばらく歩き続ける。リナが話題を切り替えてくる。
「しっかし、面倒臭くなったなあ。以前のロボット配送に戻してほしいなあ」
リナが文句を言い出す。
「あれ、元は自動だったんですか」
「あれ? 知らなかった? 半年くらい前まではドローンが配達してたんだよ」
「へー」
「へー、て。菌がね、ロボのプラスティックにコロニー?バイオフィル?とかを作ってて、それが外に出て結構大事になったんだよ、ニュースとか見んかった?」
「いやー、見ませんでした」
「でロボを消毒液に漬けたりしたら壊れるじゃん? じゃあ人間にやらせて出口で薬品漬けにしたほうが安上がりだよね、って事でこうなった」
そういえばそんなニュースがあったような気も。
「コストには勝てないですよねえ。まあおかげで俺も雇ってもらえた訳ですし」
「そうかあ。私は元のビジネス便に戻りたいけど、仕方ないよねえ」
配送先で荷物を下ろし除染ゲートに戻る。ゲートは入口と出口に別れていて二人で出口側に入る。ここで用意された内部用のカートを返却、カートは消毒されて入り口に戻され再利用される。
消毒液のシャワーを浴びて紫外線で乾燥、防護服を脱ぐ。服は使い捨て。ゲートを出たら入り口に置いておいた自社のカートを引き取って駐車場の配送車に戻る。
これを就業時間まで繰り返し。
チビは途中でどこかに消えた。静かになって結構。
「ここで商品だけ引き渡して中で勝手に引き取ってもらえれば、こんな動きにくい防護服着なくてもいいんだけどなあ」
そうリナはぼやくが、壁の中は広いし人も足りないし。どうせ医療スタッフも出入りするのでゲートは必要、配送だけ特別扱いはできないようだ。
「しかし岡田、手際良いよ。なんか動きがキビキビしてるし飲み込み早いし。前なんかやってた?」
なんだか褒められた。キビキビ、というのは多分自衛隊での経験が生きてるんだろう。意識しないとダラダラできない体質になっている。
「ありがとうございます、ここに来る前はただのバイト生活でしたね」
「ふーん、それにしては動きが玄人っぽいと言うか無駄がないと言うか。ま、逸材が入ったってことで嬉しいね。その調子で先輩を楽させておくれ」
リナ先輩ぶっちゃけ過ぎ。その日はそのまま終業。退社した。




