空襲 - 12月3日
今日の爆撃、どこに落ちるかは分からない。しかし、戦争後まで生き残った建物や史跡なら分かる。
この辺で一番有名なのは牧野記念庭園。戦災を生き延びた植物園、って近所なら誰でも知っている。ただこの時期はまだ牧野博士生きてるよな。ただの個人宅に勝手にお邪魔はできないだろう。
でもそんな必要はない。何せ、百合子が消えた公園。あれは旧大泉村役場の跡だ。碑文も立ってる。百合子が消えた時に一通りあのあたりは調べているから間違いない、爆撃から生き延びた施設。後年移築で壊されたけど。
早朝、環の家を訪れる。
「環、今日また空襲がある」
環は何も言わない。こちらを無表情で見つめる。
「ねえ。あなた誰? 真ちゃんじゃないわよね? 見た目はそっくりだけど」
……失敗した。焦りすぎたか。もっと事前に婉曲に伝えるべきだったかもしれない。
「ごめん。ちょっと詳しく話せない事情があるんだ。でも信じてほしい、俺は君の敵じゃない。いや、君を守るためにここに来た」
「真ちゃんはどこ?」
全く信じられていない。そりゃあそうだ。もう言ってしまおう。
「理解しがたいとは思うが、俺は真一だ。ただ中身が半分入れ替わってる。そっちは健二って言うんだ」
じっと見つめてくる環。その時、後ろからチビが来て健二の肩に飛び乗った。
「にゃー」
『そうだ、お前が喋って説明すれば万事OKなんじゃないか?』
『それじゃあ意味が無い。百合子嬢ちゃんの欠片はお前が回収して初めて固定されるにゃ』
チビと一緒に黙り込んだ健二を見て、環は少しだけ警戒を解く。
「たしかにチビちゃんは懐いたままなのよね。別人ならそんなこと無いだろうし」
本当は順番が逆なんだが。とりあえず都合は良い。
「俺は環を守らなければならないんだ。理由は未来の君が知ってる、たぶん」
「未来の私って。さっぱり分からない。でもまあ、チビちゃんに免じてここは保留にしておく。後で話してよ?」
無意味にごねたりしない。この辺の筋だった考え方は百合子そっくりだ。
「ああ」
「で? 空襲がなんだって?」
そうそう、そこを伝えなきゃ。
「今日、昼過ぎにまた空襲がある。何故知ってるのか、は聞かないでくれ。もちろんアメリカと通じてるわけじゃないからな? その筋の情報って奴だ」
我ながら苦しい。でも環には今更のようだった。
「警報が鳴ったら防空壕に入ればいいだけよね?」
「いいや、今日に限っては夕子さんも連れて村役場に避難してほしい。少しだけ遠いが」
「役場? あんなペラペラの建物、爆弾一発よ?」
「それでもだ」
疑惑の目つきが深まる。しばし沈黙。そして「はあ~」っとため息。
「分かったわ。どうやらあなたには未来が見えるみたいね。信じ難いけど、今日のところは従うわ」
「ありがとう」
礼を言うと、環の家を辞した。
「危なかったにゃ。嬢ちゃん柔軟な脳みそで助かったにゃ」
「こういうのは苦手だ」
チビは呆れたように前足でパンパン健二の頬を叩く。
「お前な、そんなんで昇進したときどうすんの。一尉とか三佐とか人を使いこなしてなんぼよ?」
「詳しいなお前。そして痛いとこを突くよな」
「俺様、高級端末だからにゃ。じゃあまた後で」
チビは肩から飛び降りて家に向かった。健二はそのまま工場へ。空は快晴、見事な青空が広がっていた。絶好の爆撃日和だ。
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工場の昼休みが終わり午後の作業に入っていた。そこに、工場長が制服を着た2人連れを伴ってやってきた。
「城ヶ崎真一はキサマだな?」
腕に腕章を巻いている。憲兵だ! もう来たのか、内偵期間短くないか?
周囲の作業が止まる。他の工員は押し黙って憲兵と真一を見ている。
「はい、私が城ヶ崎ですが」
憲兵は若い奴と少し年配の二人組だった。二人は互いに目配せをしあって頷く。年配の憲兵が声を上げる。
「お国に対する思想犯の容疑で連行する。ついてこい」
「思想犯、って私が何を」
「それは詰め所で聞く。おい、連行しろ」
言葉の後半は若い憲兵に向けて言った。その時だった。
『う~~~』
工場の屋根から連続的なサイレンが鳴り響く。近所にある役場からも大音量が響いている。
空襲の警戒警報だ。工場内が騒然とする。
「間が悪いな。工場長、証拠品の押収を行う。こいつの私物はどこだ、案内しろ」
工場長が工場の端にある整理棚へ向かい、若い憲兵がついて行く。何か書いている。目録を作成しているらしい。
すると、サイレンの鳴り方が変わった。
『う~、う~、う~』
憲兵の若い方がこちらに戻ってくる。うろたえている。
「曹長どの、これは一体。」
曹長、と呼ばれた年配の憲兵も驚きを隠せない。
「空襲警戒から警報への切り替えが早すぎる! くそ、防空監視所は寝てたのか! 伍長、いったん戻るぞ!」
「え、しかし被疑者は」
「そんなの後回しだ。工場は優先爆撃先だ、早く離れるぞ。おい、城ヶ崎、後日また来る、逃げるなよ?」
そう言い残すと二人の憲兵は工場から走って出て行った。いったん助かったのかもしれないが、しかしそれどころじゃ無い。
工場のラジオがブザー音を出し、続いて警報を流し始めた。
『東部軍管区情報、東部軍管区情報。敵機約100が後一時、富士山上空より東進中。帝都およびその周辺地域に空襲警報を発令す。空襲警報を発令す。市民は直ちに防空陣地に退避せよ。』
サイパンから富士山を目印にして飛来したのは前回と同じか。八丈などにレーダーはあったはずだが、技術的には幼稚だったはずだ。恐らく精度が低くて警戒が遅れた、とかそんな所だろう。
もう憲兵も仕事もどうでも良い。家に向かって走る。
走っていると、途中でチビが合流した。
「のせろにゃ」
言うやいなや肩に飛び乗ってきた。
「おい」
「いいから走れ」
そして。どちらの方向からか分からないが、プロペラ機の太い音が多数聞こえてきた。軽戦などではない爆撃機の重低音。ほぼ真上西よりに多数の銀の粒が見えた。銀色のB29。相当高空だ。
家に向けて走り出した。まずは家に母親が残っていないか確かめる。環は恐らく役場に向かってくれているだろう。
「そこ、左に曲がるにゃ」
「え? 遠回りだぞ?」
「いいから」
路地を東に曲がってしばらく行くと、
『ズンッ』
とすぐ後ろで爆発音がして地面が揺れた。爆発の雲が立ち上がる。真っ直ぐ進んでいたら危なかった。なんて事だ、着弾場所が分かるのかコイツは。
それなら最初から教えてくれればいいじゃん、と思うや否や
「それじゃダメなの。今回は初回サービス」
そんなこと言ってたっけ。てか考え読めるんだな。今更か。
先の爆弾、恐らく中島飛行機武蔵製作所を目標にしていたのが風でそれたのだろう。あんな高度から精密爆撃できる技術は当時は無かっただろうから当然だ。米軍も何を考えているのやら。
それでも、質より量、とばかりに大量の爆弾が降り注いでいるのが見える。とりあえず近くに落ちたのは先ほどのやつだけみたいだ。
爆発の後すぐに南へ転進した。その後もいたる所で爆発音が響き渡ったが、そのまま避ける事も無くまっすぐ家に向かった。広範囲の焼夷弾では無かったのが幸いした。それでも西の空が真っ赤に染まっている。それなりの量が飛行機工場に着弾しているようだった。
チビと共に家に到着する。
「母さん!」
母親は家から出る寸前だった。
「はやく村役場へ! 俺は環のうちを確認して後から行くから」
「環ちゃんならさっき来たわよ? チビいないかって。」
血の気が引いた。なんてこった。チビを肩に載せたままうめく。
「それに村役場に避難するの? 防空壕じゃなくて?」
「お願い」
一瞬変な顔をした母親だが、従ってくれた。
母親と一緒に家を出る。母は南にある村役場へ。健二は環の家へ。
環の家には母親の夕子がまだいた。
「あ、真一君」
「環は戻りましたか?」
「それが、戻ったんだけど『チビちゃん連れてくる』って言って出てっちゃったの」
くそ、入れ違いか。
「俺が探しに行きます。夕子さんは村役場へ急いでください」
どちらの家でも無いとすれば、あとは...神社裏の防空壕?
全速力で破棄された防空壕へ向かう。彼女が行くならそこくらいしか思いつかない。
神社裏の防空壕で頭巾を被ってうろうろしている環を見つけた。爆撃音が更に近づいて来ている。もう役場にも隣組にも間に合わないし、そもそもチビを連れて行く訳にもいかない。
「環! チビならここにいる! 早く壕へ!」
環がこちらを見て目を剥いている。説明している時間はない。そのまま環とチビを防空壕に押し込み、自分も入って蓋を閉じる。
チビを間に挟んで、環と並んで座り込む。身を寄せ合って頭を守る。
目標が練馬ではなく武蔵野のせいか、爆発音は少ない。しかし高空にも関わらずB29の轟音も響く。直撃、もしくは至近弾でなければ大丈夫。
爆発音の度に身をすくめる環。そんな彼女に話しかける。
「ここは大丈夫だ、しばらく我慢すれば爆撃は終わる、少しの辛抱だ」
暗くて表情は良く見えないが、不審な目つきでこちらを見てるのは分かる。
「どうして分かるの?」
きっとここには落ちないと感じていた。確信はないが、チビが自分と環の間で丸くなっていたからだ。この猫なら危険な場所には留まらないだろう、そう思えた。
「きっと目標は中島の飛行機工場だ。だからこの辺に落ちるのは流れ弾だろう。それに...」
「それに?」
「チビが丸くなってるからだよ」
「なにそれ」
どんっ、近くに落ちる音が聞こえる。環がとっさに健二の手を掴む。首が右に傾く。見覚えがある、目に焼き付いている仕草。
『こいつだ』
百合子だ。名前も顔も違うのに、どこか懐かしく愛おしい。
『百合子の事喋っちゃダメなのか?』
『やめとけ。環嬢ちゃんの中に百合子嬢ちゃんの記憶は無いにゃ。あくまでピースにゃ』
以前も言ってたがなんだピースって。
『ま、焦るな。集めてればそのうち分かる』
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空襲から一時間ほど経ち、爆発音はしなくなった。環はまだ震えている。健二は手を握り返す。猫は二人の膝の間で落ち着いている。
結局、警報が解除されたのは発令から約3時間後だった。サイレンが鳴り止み、健二は恐る恐る防空壕の蓋を開けて外に首を出す。
爆撃音の割には町に被害は少ないようだった。それでも大泉にはそこそこの数の爆弾が落ちたようでそこかしこで火の手があがっていた。
「家を見に行こう」
環を壕から出して言った。
「チビ、お前はいったんここで留守番だ。嵐谷さんに見つかるのは避けたい。待てるよな?」
『いやにゃ。こっそり裏から家に戻ってるよ』
「そうか。大丈夫とは思うが絶対見つかるなよ?」
『俺様を誰だと思ってるにゃ。そんなヘマしないにゃ』
「へいへい」
環がそんな健二たちを交互に見ている。しまった、声出して話してた。
「チビちゃんとお話できるのね」
「まあ、なんだ、その」
「ごまかさなくていいわ。空襲を読める時点で今更よ」
「……」
環と二人で家に向かうと、集落のほぼ全ての家が損壊、近くには大穴が開いていた。血の気が引く。環も真っ青だ。
真一や環の家だけではなく、隣組の家屋は跡形も無かった。もちろん嵐谷の家も。
「お母さん!」
環の母と真一の母が役場のほうから戻ってきた。少し切り立った場所に掘られた隣組の防空壕からは入り口が開いて人が出てきはじめた。見知った顔たちだ。
「環! どこ行ってたの!」
「他の防空壕に隠れてたわ。心配かけてごめんなさい」
夕子さんはこちらに気づいて頭を下げた。
「真一君、ありがとう。環を守ってくれたのね」
「いえ、すぐに見つかりましたから。皆さんもご無事で良かったです」
真一の母親もやってきた。無傷だ。少しほっとする。それは真一の精神だったろうか。
「あれ?そういえば嵐谷さん見えないわね?」
環が聞くと、夕子さんは
「うん、そうなのよ。防空壕には来なかったわ。他に出かけていたのか、逃げ遅れたのか、ちょっと分からないわね」
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12月3日の空襲の被害は大きかった。この日は前回と違い快晴で飛来するB29がよく見えた。だが24日の爆撃での被害が小さかったためか市民の危機意識は低かった。
「どうせ標的は中島飛行機工場さ。この辺は大丈夫」
と考えていた人が多く、警報が鳴っても避難しない人すらいた。そしてそれが被害が増えた一因となる。その日は24日よりも多くの爆弾が投下され、気流が悪く多くが練馬方面に流された。建物にも人的にも大きな被害が出た。
その後数日。家を失った真一も環も、近所の公民館に仮住まいしていた。そんな中、嵐谷はついぞ姿を見せなかった。性格的に逃げるとは考えにくかったので、爆撃に巻き込まれたのではないか、と皆考えていた。遺体が出た訳ではないので真実は分からないが。
どちらにしても、もう隣組もご近所も存在しない。隣組の秩序は消し飛んでいる。
猫を処分しろと言っていた日常はもう存在しなかった。憲兵がやってくる事もなかった。
一つ史実の嘘があります。旧大泉村役場が役場として機能していたのは1932年までで、太平洋戦争中は単なる公共施設でした。分かりにくいので、そのまま役場として記述しちゃっています。ご存じの方はお見逃しを。




