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ココロノコリ  作者: もちむぎ


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第六章 葬式代が安すぎる

第六章 葬式代が安すぎる


 迷子の爺さんが高木家へ来て、三日が過ぎた。


「なあ、修平」


「何ですか」


「この家、朝飯に魚は出えへんのか」


「出ません」


「味噌汁は?」


「今朝はパンです」


「日本の朝が泣いとるぞ」


「食べられない人は黙っていてください」


 修平はトーストをかじった。


 爺さんは食卓の空いている椅子へ座り、奈緒が食べるヨーグルトを不満そうに眺めている。


「昨日は居間のテレビがうるさいと言っていましたよね」


「静かすぎても落ち着かへんねん」


「面倒ですね」


「年寄りいうんは面倒なもんや」


「開き直らないでください」


 奈緒は二人分の会話を聞くことには慣れ始めていた。


「今日は何だって?」


「焼き魚が食べたいそうです」


「食べられるの?」


「食べられへん」


「食べられない」


「じゃあ、明日は焼こうかな」


「なんでですか」


「匂いくらいはわかるかもしれないでしょう」


「奥さん、ほんまに話わかるなあ」


 爺さんは満足そうに何度もうなずいた。


 その日の帰り道、修平は爺さんと並んで歩いていた。


 爺さんは一人で留守番をするのが退屈だと言い、毎日会社までついてくるようになっていた。


「修平。あれ、葬式やな」


 爺さんが道路の向こうを指さした。


 小さな葬儀場の前に、黒い服を着た人たちが集まっていた。入口脇の看板には、白い文字で女性の名前が書かれている。


 その看板の横に、着物姿の老婆が立っていた。


 老婆は祭壇の写真とよく似ていた。


「ちょっと、あんた」


 老婆が修平を見た。


「私が見えるんでしょう」


 修平は周囲を確認してから、小さくうなずいた。


「ちょうどよかった。聞いてちょうだい」


 老婆は葬儀場の中を指さした。


「私の葬式、安すぎるのよ」


「はあ」


「まず花が少ないでしょう。祭壇の両脇が寂しいったらないわ」


「そうですか」


「棺だって、一番安いものよ。あの木目、印刷なの。私にはわかるわ」


 修平には本物の木目との違いがわからなかった。


「それから料理。寿司が七貫しかないの。普通はもっと出すでしょう」


「普通が何貫なのか知りません」


「少なくとも十貫よ」


「三貫の差ですね」


「人数分なら大きな差になるの」


 老婆は返礼品の袋まで確認しに行き、すぐに戻ってきた。


「海苔よ」


「海苔ですね」


「もっとあるでしょう。お茶とか、菓子とか、洗剤とか」


「全部配るんですか」


「そのくらいして当然よ。私が何年、あの家を守ってきたと思ってるの」


 修平は腕時計を見た。


「今日は帰ってもいいですか」


「駄目よ。まだ話は半分も終わってないわ」


「半分も」


「えらいのに捕まったな」


 爺さんが笑った。


「あなたも幽霊なら、何とか言ってちょうだい」


「わしは葬式してもろたかも覚えてへん」


「役に立たないわね」


「修平と同じこと言うなや」


 通夜が終わるまで、老婆の不満は続いた。


 喪主である息子の挨拶が短い。


 孫が泣いていない。


 遺影に使った写真が気に入らない。


 嫁の選んだ着物を棺へ入れるくらいなら、家に置いてある帯のほうがよかった。


 修平は話を聞き、何度もうなずいた。


「明日も来てちょうだい」


「明日もですか」


「告別式が残ってるでしょう」


 翌日、修平は半日の有給休暇を取った。


「葬式に行くために休むんですか」


 後輩に聞かれた。


「知り合いの、お婆さんが亡くなって」


 嘘ではなかった。


 知り合ったのは、亡くなったあとだが。


 葬儀場へ着くと、老婆が入口で待っていた。


「遅いわよ」


「始まる三十分前です」


「死んだ人を待たせるものじゃないわ」


「時間はたくさんありますよね」


「口答えするようになったわね」


「誰の影響やろなあ」


 爺さんは知らないふりをして天井を見た。


 告別式が始まると、老婆は参列者の横を歩き、一人ずつ顔を確かめた。


「あの人、近所に住んでいるのに、通夜には来なかったのよ」


「今日は来ていますよ」


「あの子は孫の嫁。初めて会ったわ」


「来てくれたんですね」


「あら。あの人、まだ生きてたの」


「お知り合いですか」


「嫌いな人」


 老婆は文句を言い続けた。


 それでも、棺の蓋が閉じられるときだけは黙った。


 泣きながら棺へ手を添える息子と、隣で頭を下げる嫁を、少し離れた場所から見ていた。


 火葬場へ向かう車が出たあと、修平も帰ろうとした。


「まだよ」


 老婆が言った。


「嫁に一言、言ってやらないと気が済まないわ」


「何を伝えるんですか」


「葬式代をけちるなって」


「それを僕が言うんですか」


「あんた以外、私の声が聞こえないんだから仕方ないでしょう」


「絶対に嫌です」


 修平は葬儀場の外で待つことにした。


 しばらくして、忘れ物を取りに来た嫁が、一人で戻ってきた。


 手には、遺影が抱えられていた。


 嫁は人気のなくなった式場へ入り、祭壇の前に立った。


「お義母さん」


 老婆が顔を上げた。


「ごめんなさい」


 嫁は遺影へ向かって深く頭を下げた。


「もっと立派に送りたかったんです」


 老婆の口が止まった。


「施設のお金も、治療費も、最後まで何とかしたかったから。でも、どうしても足りなくて」


 嫁は遺影の縁を指で拭った。


「お義母さんが残してくれたお金には手をつけませんでした。あれは孫たちのために貯めたお金だって、ずっと言っていたから」


 老婆は黙って嫁を見ていた。


「お花も、棺も、料理も、少なくなってしまってごめんなさい」


 嫁の声が震えた。


「でも、できることは全部したつもりです。今まで、ありがとうございました」


 嫁はもう一度頭を下げ、遺影を抱えて出ていった。


 老婆は追いかけなかった。


 誰もいなくなった式場で、祭壇を見上げている。


「聞いてないわよ」


 しばらくして、老婆が言った。


「何をですか」


「施設のお金を、あの子が払っていたなんて」


「息子さんから聞かなかったんですか」


「あの子はお金の話なんてしなかったもの。顔を見せるたび、足りないものはないかって、そればかり聞いて」


 老婆は袖口を整えた。


「もっと早く言えばよかったのよ」


「言ったら、払わなくていいと言ったんじゃないですか」


「当たり前でしょう。嫁にそこまでしてもらう筋合いはないわ」


「だから言わなかったんでしょうね」


 老婆は修平を睨んだ。


「あんた、時々嫌なことを言うわね」


「すみません」


「そこで謝るんか」


 爺さんが横から口を挟んだ。


 老婆は出口のほうを見た。


 もう嫁の姿はない。


「ありがとう」


 老婆は小さな声で言った。


「聞こえないじゃないの」


「伝えましょうか」


「結構よ」


 老婆はきっぱりと断った。


「今さら知らない男の人から言われたら、あの子が怖がるでしょう」


「昨日は葬式代をけちるなと伝えろって言ってましたよね」


「昨日は昨日よ」


 老婆の身体が、足元から薄くなり始めた。


「あら」


 自分の手を持ち上げ、向こう側が透けているのを見つめる。


「もう行くみたいですね」


「そう」


 老婆は最後に、嫁が出ていった扉を見た。


「あの子に、無理しないように言って」


「伝えるんですか」


「やっぱりいいわ」


「どっちですか」


「自分で気づくでしょう。あの子、しっかりしてるもの」


 老婆は少し笑った。


「海苔だけは、どうかと思うけど」


 そう言い残し、老婆は消えた。


 爺さんが腕を組んだ。


「素直やない婆さんやったな」


「お爺さんに言われたくないと思います」


「わしは素直やぞ」


「じゃあ、自分が迷子だと認めてください」


「それとこれとは話が別や」


 二人は、誰もいなくなった葬儀場をあとにした。

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