第二十章 次は、聞く
第二十章 次は、聞く
湊は顔を上げた。
「まず、話を聞きます」
宗一は黙っている。
「名前を聞いて、どうして残っているのかを聞く。それから、その人をどうするか考えます」
「全員か」
「できる限りは」
「話の通じんやつもおるで」
「そのときは、無理に聞きません」
「生きとる人間を傷つけようとしたら」
「止めます」
「祓うんか」
湊は膝の上の鞄を見た。
「必要なら」
宗一が少しだけ眉を上げる。
「でも、自分が怖いからという理由だけでは祓いません。分からないものを、全部同じだと決めません」
「できるか」
「分かりません」
湊は正直に答えた。
「今日、初めてやったばかりです。次に会う霊が、井上さんのような人とも限らない。話を聞いて、騙されることもあると思います」
「せやな」
「また間違えるかもしれません」
「せやな」
「否定してくださいよ」
「間違えへん人間なんかおらん」
宗一は笑った。
「間違えたあと、どうするかや」
湊は宗一をまっすぐに見た。
「次は、聞きます」
「うん」
「それでも駄目なら、そのとき考えます」
「うん」
「だから」
湊の声が、わずかに揺れた。
「もう少し、いてください。教えると言って、何も教えないまま死んだんでしょう。今度こそ、最後まで教えてください」
宗一は困ったように笑った。
「それは無理や」
「どうして」
「もう、残る理由がない」
宗一の足元が、光の中へ溶け始めていた。
湊が立ち上がる。
「待ってください」
「待たへん」
「勝手すぎます」
「死んだ人間は、だいたい勝手や」
「ほかの霊と一緒にしないでください」
「わしも霊や言うとるやろ」
宗一は、泣きそうな孫の顔を見た。
「最後まで教えるんは無理や。わしが知っとることだけで、この先の全部に足りるわけやない」
「なら、僕はどうすればいいんですか」
「自分で考えろ」
「無責任だ」
「せやな」
「また、それで済ませるんですか」
「一人で考えろとは言うてへん」
宗一が修平を見る。
湊もつられて修平を見た。
「僕ですか」
「ほかに誰がおる」
「困ります」
「即答せんでもええやろ」
「僕は会社員です」
「知っとる」
「除霊師ではありません」
「知っとる」
「話を聞くことしかできません」
「それが要るんや」
宗一は湊へ向き直った。
「お前は、祓う力を持っとる。修平は、聞くことしかできん。二人で一人前とは言わんけど、たまには頼ったらええ」
「この人に?」
「嫌そうに言うな」
「嫌ですよ」
「僕も嫌です」
修平が答えると、湊が睨んだ。
「僕より先に言わないでください」
「先に言ったのはあなたです」
「どっちでもええわ」
宗一が呆れたように言う。
真由美が小さく笑った。
「湊。困ったときは、誰かに頼っていいんだよ」
「母さんまで」
「一人で全部できると思わないで」
「思ってません」
「思ってる顔をしてる」
湊は返事をしなかった。
宗一が修平へ頭を下げた。
「修平。頼むわ」
「何をですか」
「湊が、また何も聞かんと札出したら止めたってくれ」
「自分で止めます」
「お前には聞いとらん」
「僕も、いつも一緒にいるわけではありませんよ」
「会うたときだけでええ」
修平は湊を見る。
湊は、絶対に頼まないという顔をしていた。
「分かりました」
「どうして引き受けるんですか」
「会ったときだけなら」
「会いませんから」
「連絡先を知らないので、そうなるでしょうね」
「あとで教えたれ」
「爺ちゃん!」
宗一が声を立てて笑った。
笑うたび、体の輪郭が光にほどけていく。
もう腰から下は見えなかった。
「お父さん」
真由美が呼ぶ。
宗一は笑うのをやめ、娘のそばへ近づいた。
「真由美」
「うん」
「今度こそ、行ってくるわ」
「うん」
「ちゃんと飯、食えよ」
「食べてるよ」
「眠れるときは寝え」
「分かってる」
「しんどいときは、しんどい言うんやで」
「お父さんは、最後までそればっかり」
「ほかに何言うたらええか分からん」
真由美は涙を拭わなかった。
「お父さん」
「ん?」
「行ってらっしゃい」
宗一の目にも涙が浮かんだ。
「おう」
湊が、宗一の前に立つ。
「爺ちゃん」
「なんや」
「僕は、爺ちゃんみたいな除霊師にはなりません」
「そうか」
「もっと、ちゃんとします」
「言うようになったな」
「爺ちゃんが適当すぎるんです」
「ほな、期待しとくわ」
「見ててください」
「見とるよ」
「どこから」
「知らん」
「そこは決めておいてください」
「注文が多いな」
宗一が右手を上げた。
湊も手を上げる。
触れることはできない。
二人の手は、重なる直前で止まった。
「湊」
「はい」
「よう頑張ったな」
湊の顔が崩れた。
十四歳の葬式の日にも流さなかった涙が、頬を伝う。
「遅いです」
「すまん」
「八年、遅い」
「せやな」
「でも」
湊は手の甲で涙を拭った。
「会えてよかった」
宗一は大きく頷いた。
「わしもや」
病室に、夕日の最後の光が差し込んだ。
宗一の姿が、足元から静かにほどけていく。
真由美を見て、湊を見る。
最後に修平へ顔を向けた。
「修平」
「はい」
「見つけてくれて、ありがとうな」
「僕は、何も」
「聞いてくれたやろ」
宗一はいつものように笑った。
「それで十分や」
光が胸元まで届く。
「ほな、またな」
宗一は右手を上げたまま、消えた。
誰もいなくなった場所へ、湊はしばらく手を上げていた。
真由美が泣いている。
湊も泣いている。
修平は二人の間で、何も言わずに座っていた。
何か言えば、せっかくの別れを安い言葉にしてしまう気がした。
だから、二人が泣き終わるまで待った。
病院を出たときには、すっかり日が暮れていた。
湊は玄関の前で足を止めた。
「連絡先」
「本当に交換するんですか」
「爺ちゃんがうるさいからです」
「もういませんよ」
「だから、約束を破ってもいいと?」
「真面目ですね」
「あなたに言われたくありません」
二人はスマートフォンを取り出し、連絡先を交換した。
「必要なときだけ連絡します」
「僕も、急ぎでなければすぐには返しません」
「そこは返してください」
「会社員なので」
「便利ですね、その言い訳」
湊はスマートフォンをポケットへ入れた。
「今日は、ありがとうございました」
「はい」
「母さんのことも、爺ちゃんのことも」
「僕は、話を聞いただけです」
「それが必要だったんでしょう」
宗一と同じことを言い、湊は頭を下げた。
駅へ向かって歩き出す背中は、昨日より少しだけ若く見えた。
修平は見送ろうとした。
けれど、一歩も動けなかった。
朝から田所の家へ行き、その足で病院まで来た。
田所の家族の話を聞き、湊と宗一の話を聞き、真由美の話を聞いた。
何もしていないはずなのに、体の中が空っぽになっていた。
「疲れた」
誰に言うでもなく呟く。
玄関脇の花壇まで歩き、縁へ腰を下ろそうとした。
足に力が入らない。
修平はそのまま、地べたに座り込んだ。




