↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ココロノコリ  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/21

第二章 返事をしない子

第二章 返事をしない子


 事故のあと、修平は伯母の家に引き取られた。


 父の姉にあたる伯母は、修平のために二階の一室を空け、新しい布団と小さな机を用意してくれた。


「今日からここが修平の部屋よ」


 机の上には色鉛筆と画用紙が置かれていた。押し入れには、従兄が昔遊んでいたという玩具も入っていた。


 伯母は優しかった。


 食べたいものを聞き、夜中に修平が目を覚ませば、眠るまでそばにいてくれた。


 けれど、その家にも知らない人がいた。


 縁側に、痩せた老人が座っていた。


 伯母が洗濯物を干しているあいだも、夕食の支度をしているあいだも、老人は庭を眺めていた。


 修平が右目を閉じると消えた。


 開くと、また同じ場所に座っていた。


「坊主」


 呼ばれても、修平は返事をしなかった。


 病院にいた老婆に返事をしたとき、看護師から誰と話しているのかと聞かれた。伯母にも、何もない場所を指して両親がいると言ってしまった。


 もう、誰もいないところへ話しかけてはいけない。


 幼い修平にも、それくらいはわかっていた。


「聞こえとるんだろう」


 老人は毎日、修平へ話しかけた。


「庭の柿は、まだ渋いぞ」


「廊下を走ると転ぶぞ」


「その煎餅は、仏壇から持ってきたやつだろう」


 返事をしなくても、老人は勝手に話した。


 ある夜、修平が喉の渇きで目を覚ますと、老人が枕元に立っていた。


「ばあさんが、また薬を飲み忘れとる」


 伯母の家には、伯母の義母も暮らしていた。老人はその人の夫だった。


 修平は布団をかぶった。


「昼の分を飲んどらん。台所の棚に置いたままだ」


 老人は何度も同じことを言った。


 修平は両目を閉じ、聞こえないふりをした。


 それでも声は消えなかった。


「飲まんと、また倒れるぞ」


 修平は布団から顔を出した。


「僕に言っても、わからないよ」


 老人は黙った。


 部屋の外で、何かが落ちる音がした。


 修平が廊下へ出ると、伯母の義母が壁にもたれて座り込んでいた。


「おばちゃん!」


 修平の声で伯母が起きてきた。


 救急車が呼ばれ、大人たちが慌ただしく家を出ていった。修平は従兄と一緒に留守番をした。


 翌朝、伯母が帰ってきた。


「早く気づいてくれてよかったって。修平のおかげよ」


 伯母はそう言って、修平を抱きしめた。


「どうして、お義母さんが倒れたってわかったの?」


 修平は縁側を見た。


 老人が立っていた。


 何も言うなというように、ゆっくり首を横に振った。


 けれど、修平は伯母に嘘をつけなかった。


「あのおじいちゃんが教えてくれた」


「おじいちゃん?」


「いつも縁側にいる人。薬を飲んでないって」


 伯母の顔から笑みが消えた。


「どんな人?」


 修平は老人の顔と、いつも着ている灰色の上着のことを話した。右の眉の上に小さな傷があることも、庭の柿を気にしていることも話した。


 伯母は最後まで黙って聞いていた。


 その日の午後、縁側に置かれていた古い写真立てが、押し入れの奥へ片づけられた。


 写真の中には、修平が見ていた老人がいた。


 それから伯母は、修平が何もない場所を見ていると、すぐに名前を呼ぶようになった。


「修平、誰かいるの?」


「修平、今、誰と話してたの?」


「また、おじいちゃんが来てるの?」


 声は優しいままだった。


 けれど、修平を見る目が変わった。


 夜、襖の向こうから伯母夫婦の話し声が聞こえた。


「私だって、できることはしてるわよ」


「わかってる」


「でも、怖いの。あの子が何もないところを見てると、お父さんがそこにいるんじゃないかって」


「事故のあとだ。時間がたてば落ち着く」


「もし、ずっとこのままだったら?」


 しばらくして、修平は母方の叔父の家へ移った。


 伯母は、家から学校が遠いからだと説明した。


 修平は、そうではないことを知っていた。


 叔父の家にも、知らない人たちがいた。


 玄関に立つ女。


 押し入れの前から動かない子ども。


 夜になると廊下を歩く、片方の足がない男。


 誰も修平を傷つけようとはしなかった。ただ、自分の話を聞いてほしがった。


「娘に謝りたい」


「ここに置いたはずの指輪を探して」


「母さんが迎えに来ない」


 修平は頼まれるたびに困った。


 相手がどこの誰なのかもわからない。話を聞いたところで、何もしてあげられなかった。


 それでも無視をすると、彼らは何度も名前を呼んだ。


 眠っているときも、食事をしているときも、学校へ行く途中でもついてきた。


 修平が返事をすると、大人たちは黙った。


 子どもたちは笑った。


「高木、また一人でしゃべってる」


「誰もいないよ」


「気持ち悪い」


 その言葉を聞くたびに、修平は右目を閉じた。


 けれど、片目を閉じたままでは歩きにくかった。階段では足を踏み外し、電柱に肩をぶつけた。


 右目を開けば、死んだ人が見える。


 閉じれば、見えない。


 生きている人と同じように見えるのに、修平以外の誰にも見えていない。


 小学校へ入る頃には、それがわかるようになっていた。


 修平は、何もない場所へ返事をするのをやめた。


 話しかけられても、聞こえないふりをした。


 目が合っても、見えていないふりをした。


「なあ、坊主」


「ちょっとでいいから聞いてくれ」


「お願い」


 声は聞こえていた。


 それでも修平は、黙って前だけを見た。


 大人たちは、修平がようやく落ち着いたのだと思った。


 同級生たちも、少しずつ修平をからかわなくなった。


 返事をしなければ、生きている人の中にいられた。


 だから修平は、返事をしない子になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。