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ココロノコリ  作者: もちむぎ


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第十一章 知っています

第十一章 知っています


「でも、死んでからのほうが、もっと空気になりました」


 森はブランコの前に立っていた。


 座っても揺れない。鎖を握ろうとしても触れられない。


 公園の前を通る人は、誰も森を見ない。


「ここにいるのに、誰も知らないんです」


 修平は買い物袋を足元へ置いた。


 迷子の老人は隣のブランコに座っている。老人が腰を下ろしても、座面は動かなかった。


「森さんは、自分が亡くなったことを誰かに知らせたいんですか」


「それは、もう知られていると思います」


「では、何を知ってほしいんですか」


 森は答えなかった。


 修平も急かさなかった。


 遠くで、子どもたちの声がする。


 ボールを追いかけて走ってきた少年が、修平の前で足を止めた。


「すみません」


 修平が足元に転がってきたボールを拾い、少年へ渡す。


「ありがとうございます」


 少年は頭を下げ、友人たちのところへ戻っていった。


 森はその背中を見ていた。


「今の子は、あなたを見ました」


「僕は生きていますから」


「名前を知らなくても、そこにいるって分かるんですね」


「そうですね」


「私も、それでよかったんです」


 森が言った。


「名前を覚えてもらわなくても、友達になれなくてもよかった。ただ、そこにいるって思ってほしかった」


「生きていたとき、誰かにそう言ったことはありますか」


「ありません」


「どうして?」


「そんなことを言ったら、面倒な人だと思われるから」


「思われましたか」


「分かりません。言っていませんから」


 森は少し困ったように笑った。


「結局、全部そうなんです。迷惑だと思われるかもしれない。嫌われるかもしれない。だから何も言わないで待っていました」


「待っているうちに、誰も声をかけてくれなくなった?」


「最初から、誰も私に興味がなかったんだと思います」


「それは、僕には分かりません」


 修平が答えると、森は顔を上げた。


「慰めてくれないんですね」


「森さんを知っていた人に会ったことがありませんから」


「そうですよね」


「本当は皆が森さんを大切に思っていたとも、森さんの思ったとおりだったとも言えません」


 森は黙って聞いていた。


「でも、森さんがずっと、自分はいないのと同じだと思っていたことは分かりました」


「それだけですか」


「それだけでは駄目ですか」


 森は返事をしなかった。


 隣で、迷子の老人が立ち上がった。


「わし、ちょっと向こう見てくるわ」


「どこへ行くんですか」


「公園の中や。迷わへん」


「外へ出ないでくださいよ」


「分かっとる」


 老人は、遊具の向こうへ歩いていった。


 気を遣ったらしい。


 森が、空いたブランコへ目を向けた。


「あの人は、いつも一緒なんですか」


「帰る場所が分からないそうです」


「名前は?」


「それも覚えていません」


「困りませんか」


「困っています」


 森が少し笑った。


 その笑いは、先ほどより自然だった。


「でも、追い出さないんですね」


「追い出す方法を知りませんから」


「知っていたら、追い出しますか」


「話を聞く前には、しないと思います」


「私の話も?」


「今、聞いています」


 森は修平を見た。


「どうしてですか」


「話したそうだったから」


「電話を八回もかけたから?」


「あれは、途中で切らなければ一回で済みました」


「すみません」


「怪異の真似も、しなくてよかったです」


「それは、やってみたかったので」


「好きでやっていたんじゃないと言ってませんでしたか」


「少しくらいは、やってみたかったです」


 修平は森を見た。


「怖かったですか」


「全然」


「少しくらい、考えてから答えてください」


「考えても同じです」


 森は不満そうに口を閉じた。


 風が吹いた。


 ブランコが一つだけ、小さく揺れた。


 森が振り返る。


「今、私が動かしましたか」


「風です」


「そうですか」


「でも、森さん」


「はい」


「今、あなたは僕の目の前にいます」


 森の表情が止まった。


「僕に話してくれています。僕は、それを聞いています」


 修平は森から目をそらさなかった。


「あなたがここにいることを、僕は知っています」


 森は何も言わなかった。


 公園の外を、自転車が一台通り過ぎた。


 どこかの家から、夕飯を作る匂いが流れてくる。


「高木さん」


 しばらくして、森が呼んだ。


「はい」


「私、森です」


「知っています」


 森は笑った。


 その輪郭が、夕方の光の中で少しずつ薄くなる。


「電話、出てくれてありがとうございました」


「出ないと終わりそうになかったので」


「最後くらい、いい話にしてください」


「話は最後まで聞きました」


「そうですね」


 森は、もう一度笑った。


「それで十分です」


 白いブラウスも、紺色のスカートも、透けるように夕暮れへ溶けていく。


 最後まで残っていた森の顔が消えた。


 誰も座っていないブランコが、風に揺れている。


 遊具の向こうから、迷子の老人が戻ってきた。


「行ったんか」


「はい」


「そうか」


 老人はそれ以上、何も聞かなかった。


 修平は足元の買い物袋を持ち上げた。


 家へ帰ると、奈緒がソファから身体を起こした。


「おかえり」


「ただいま」


「森さんは?」


「もういない」


「行けた?」


「うん」


 奈緒は安心したように笑った。


「そっか。よかった」


 居間には、迷子の老人だけが残っていた。

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