表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『やすらぎ園』― 五十年の沈黙  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/28

第四章 二十年前

面会は月に一度、家族に限られている。身寄りのない永野には、本来その権利すらなかった。だが田村が「元職場の知人」という名目で、こっそり面会簿に宇佐美の名前を書き込んでくれた。


正式な「家族面会」の枠ではなく、施設が別途設けている「相談員来訪」「行政書類確認のための外部関係者訪問」という枠に紛れ込ませる形だった。本来は月一度と定められた家族面会とは別建てのため、頻度の制限が事実上ないに等しい。杜撰な運用の隙間を、田村は業務知識を駆使して縫っていた。以後も、宇佐美や桐生が外部との橋渡し役として動く際には、同じ抜け道が繰り返し使われることになる。


宇佐美弘之は、永野より三つ年下だったが、髪はすっかり白くなっていた。地方紙を定年退職したあと、今はフリーライターとして細々と仕事を続けているという。


面会室の硬い椅子に座った宇佐美は、永野の顔を見るなり絶句した。


「……永野さん。生きてたんですか。あの後、急に音信不通になって、てっきり」


「悪いな、心配かけて。色々あった」


永野は簡潔に、事故から入所までの経緯を話した。宇佐美の表情が、次第に強張っていった。


「熊谷徳蔵……。あの熊谷ですか」


「知ってるんだな、覚えてるんだな」


「忘れるわけないでしょう。あなたが記事を差し止められた時の理事長です」


宇佐美は声を潜めた。


「あの後、僕なりに個人的に追いかけてたんです。誰にも言わずに。あなたが記者を辞めさせられた後もね」


「情報提供者の――」


「田中さんですね。あの溺死事件」


田中省吾。永野が二十年前に取材していた、別の特養ホームの元職員だった。入所者の資産を不正に管理していると内部告発してきた男が、記事の掲載を三日後に控えたある夜、自宅の風呂場で溺れて死んだ。事故として処理された。


「あの事件、僕がずっと調べてたのは知らなかったでしょう」


宇佐美はカバンから古びたノートを取り出した。


「田中さんが告発しようとしていた施設、『やすらぎ園』じゃありません。別の施設です。でも、経営していた社会福祉法人の理事に、当時から熊谷徳蔵の名前があった」


永野は息を止めた。


「その施設、五年後に経営破綻して、入所者はどこに移されたと思います?」


「――やすらぎ園か」


「正解です。熊谷は、破綻した施設の入所者――身寄りがなく、声を上げられない人たちを、まとめて自分の施設に『救済』という名目で引き取った。その時のマスコミの扱いは『心温まる美談』でした。地元紙も、あなたの古巣も、大きく書き立てましたよ」


永野は、二十年前に自分が握りつぶされた記事の残骸と、目の前の熊谷の胸像に刻まれた「どんな方でも、最後まで見捨てません」という銘板の文言が、ようやく一本の線で繋がるのを感じた。


美談は、罪の隠蔽の道具だった。断られた人間を引き受けているのではない。声を上げられない人間を、選んで集めているのだ。


「宇佐美、頼みがある」


「言ってください」


「二十年前の資料、まだ残ってるか」


「一部は。田中さんの遺族にも当時会いました。資料の写しを預かってます」


「それと、この三年間、やすらぎ園で後見人がついた入所者のリストが必要だ。十一人。うち七人が死亡している」


宇佐美の目が鋭くなった。記者だった頃の顔だった。


「本気でやるんですね」


「今度こそ、握りつぶさせない」


「ですが永野さん、あなたは今、施設側の記録上『中等度の認知症患者』です。あなたの証言は、法的にはほとんど価値を持たない。それどころか、あなたが何か動いていることが分かれば、施設側は『症状の悪化』だと言って、あなたを外部と接触できない病棟に移すこともできる」


その指摘は、永野自身も分かっていたことだった。だからこそ、証拠は自分の証言だけに頼ってはならない。動かぬ記録、複数の証言、そして外部から見ても揉み消せない形での証拠固めが必要だった。


「一つ考えがある」


永野は声を落とした。


「大崎という嘱託医が、俺の虚偽の診断書を書いている。あの男を揺さぶれないか」


「大崎……。ちょっと待ってください」


宇佐美がノートをめくった。


「大崎修平ですか。もしそうなら、僕は彼のことも少し知ってます。五年前、別件で医療過誤の疑いをかけられて、危うく医師免許を失うところだった。その時、示談をまとめて揉み消したのが――」


「熊谷の顧問弁護士か」


「はい。つまり大崎は、熊谷に借りがある。逆らえない事情がある。でもそれは、裏を返せば――」


「弱みを握られているということは、その弱みごと、俺たちの側に引きずり込める可能性がある、ということだ」


面会時間終了を告げるアナウンスが響いた。宇佐美は立ち上がりながら、最後に一つだけ聞いた。


「永野さん。もし全部明るみに出たとして……あなたは、何を望んでるんですか。記者としての名誉回復? それとも」


永野はしばらく考えてから、静かに答えた。


「田中さんが死んだ夜、俺は何もできなかった。今度は、できる」


宇佐美は小さく頷き、面会室を後にした。


その日の夕方、居室に戻った永野は、枕の下に隠していた後見申立ての書類を取り出し、もう一度読み返した。署名欄はまだ空白だった。まだ時間はある。


だが翌朝、永野の元に届いたのは、思いもよらない知らせだった。


「永野さん、来週、大崎先生の診察が入りました。理事長のご指示です。認知機能の再評価を行うとのことです」


熊谷が動き出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ