第二十四章 告白
「熊谷前理事長が、自殺を図りました」
田村の言葉に、永野は言葉を失った。
「命は……」
「一命は取り留めたそうです。病室で、睡眠薬を大量に服用していたのを、看護師が発見して、緊急搬送されたと」
永野は、桐生の運転する車で、すぐに病院へ向かった。集中治療室の前では、県警の刑事が数人、緊迫した様子で立っていた。
「意識は、まだ戻っていません」
対応した刑事が、永野に説明した。
「ただ、病室から、これが見つかりました」
刑事が示したのは、一通の便箋だった。熊谷の筆跡で、震えるような文字が綴られていた。
「これは、遺書のようなものですか」
「まだ判断はつきません。ただ、内容は、捜査上、非常に重要なものです」
刑事の許可を得て、永野はその便箋のコピーを見せてもらった。
「私は、五十年間、多くの人を利用し、傷つけてきた。田中も、内藤の父も、私の指示ではないと言い張ってきたが、それは嘘だ。私は知っていた。知っていて、見て見ぬふりをしてきた。
だが、私一人の罪ではない。この構造を作り、維持してきたのは、郷田家であり、その周辺にいる政治家たちだ。私は、その一部に過ぎない。歯車の一つに過ぎない。
榊原に経営権を譲る話が出た時、私は、これでようやく解放されると思った。だが実際には、郷田の意向で、次は榊原が同じ役割を担うだけだと分かった。
この五十年、私たちは、声を上げられない人々を、資産と補助金の供給源として扱ってきた。その罪から、もう逃げることはできない。
永野という男が、私の過去を暴いた時、正直、安堵した部分もある。誰かに、止めてほしかったのかもしれない」
永野は、その手紙を、何度も読み返した。そこには、加害者としての冷酷さと、同時に、長年その構造の中で摩耗し続けてきた、一人の人間の脆さが、奇妙に同居していた。
「郷田家、というのは、郷田建設の経営者一族のことですね」
刑事が確認するように尋ねた。
「そうです」
永野は答えた。
「熊谷、榊原、沢渡、そして郷田。彼らは、五十年前から、それぞれの立場で、同じ構造を維持し続けてきました。この手紙は、その構造の全体像を、当事者の口から裏付ける、極めて重要な証言になるはずです」
刑事は、深く頷いた。
「県警としても、この手紙を重要な証拠として扱います。今後、郷田建設への強制捜査も、視野に入ってくるでしょう」
病院を出た永野は、宇佐美に電話をかけ、この展開を伝えた。
「熊谷の告白か……」
宇佐美は、複雑な声で言った。
「彼は、罪から逃げるために自殺を図ったのか、それとも、この告白を残すために、あえて生死の境をさまよう選択をしたのか」
「分からない。だが、少なくとも、あの手紙は、俺たちがこれまで積み上げてきた証拠に、最後のピースを与えてくれた」
その夜、永野は、久しぶりに施設の屋上庭園に上がった。松葉杖を頼りに、ゆっくりと歩きながら、丘の向こうに沈んでいく夕日を見つめた。
田村が、後を追うようにやってきた。
「永野さん」
「田村さん、あんたのお祖母さんの死の真相も、もうすぐ、正式に明らかになるはずだ」
田村は、静かに頷いた。その目には、涙が滲んでいた。
「永野さん。……ここまで来て、思うんです。私たちは、正義を為したんでしょうか。それとも、ただ、次の悪が生まれる土台を、綺麗にしただけなんでしょうか」
その問いに、永野はすぐには答えられなかった。
熊谷は、法の裁きを受けるだろう。榊原も、柏木も。だが、郷田建設という経済の根が、本当に断ち切れるのか。沢渡のような政治家が、この構造から本当に手を引くのか。それは、まだ誰にも分からなかった。
「田村さん」
永野は、ようやく口を開いた。
「俺たちが今日、明日、できることは、限られている。一つの施設の不正を暴き、一人の悪人を裁きにかける。それだけだ。だが、それでも――」
永野は、夕日に照らされた丘を見つめながら、続けた。
「何もしなければ、何も変わらない。俺たちがやったことは、大きな構造の中の、小さな一歩に過ぎないかもしれない。それでも、この一歩を踏み出さなければ、田中さんも、内藤さんのお祖父さんも、あんたのお祖母さんも、誰にも知られないまま、忘れられていた」
田村は、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「そうですね……。少なくとも、忘れられずに済んだ」
夕日が、完全に丘の向こうに沈んでいった。




