第十四章 仕組まれた入所
大崎から連絡が来たのは、三日後の夜だった。
「永野さん、あなたの事故直後の担当医が分かりました。県立中央病院の神経内科、宮下という医師です。……ですが、それより気になることがあります」
「何だ」
「宮下医師は、月に一度、非常勤で県央福祉会の関連クリニックに勤務しています。しかも、その勤務は、あなたが入院する半年ほど前から始まっていました」
永野は、受話器を握る手に力を込めた。
「つまり、俺を担当した医師は、最初から県央福祉会と繋がりがあったということか」
「可能性の話ですが……。永野さん、もう一つ、僕から確認したいことがあります。あなたが事故に遭った日のことを、詳しく覚えていますか」
永野は記憶をたどった。あの日、永野は自転車で近所のスーパーに向かう途中だった。交差点で、右折してきたトラックに巻き込まれた。
「普通の事故だ。相手のトラック運転手の前方不注意が原因だと聞いている」
「そのトラックを運転していた会社、確認しましたか」
「いや……そこまでは」
「僕の方で調べました。運送会社の名前は『中央ロジスティクス』。この会社、実は県央福祉会グループの関連会社が、物流業務を委託している取引先の一つです」
永野は言葉を失った。
「宇佐美、それはつまり……事故そのものが、仕組まれていたということか」
「そこまでは断言できません。単なる偶然の可能性も、まだ十分にあります。ただ、事故から入院、担当医、退院後の紹介先――すべてに、県央福祉会と何らかの接点がある人物や組織が絡んでいるのは、確かです」
永野は電話を切った後、しばらく暗い部屋で一人考え込んだ。
もし事故そのものが仕組まれていたのだとしたら、それは誰が、何のために計画したことなのか。榊原が、二十年前の田中省吾事件を知る唯一の外部の脅威として、永野という「元記者」の存在を早い段階から把握し、監視下に置くために、事故という偶然を装って自分の目の届く場所――やすらぎ園に誘導したというのか。
だが、それにしては辻褄が合わない点があった。永野が入所した当初、熊谷はまだ健在で、榊原とは対立関係にあったはずだ。もし榊原が最初から永野を監視するために動いていたとしたら、それは熊谷を失脚させる計画と、いつから同時進行していたことになるのか。
翌朝、永野は桐生に一つの質問をぶつけた。
「桐生さん。俺の入所が決まった経緯、あなたは知っていますか」
「詳しくは……。ただ、通常、身寄りのない要介護認定者の入所調整は、市の福祉課を通じて行われます。ですが、永野さんの場合、少し違いました」
「違った、というのは」
「理事長――熊谷が、直接、県立中央病院の地域連携室に連絡を入れて、『うちで引き受ける』と申し出たんです。通常はあり得ない、トップダウンの指示でした」
永野の背筋が凍った。
「熊谷が、自分から俺を指名したということか」
「はい。当時は、単に『どんな人でも見捨てない』という理事長の信念からだと思っていました。ですが……」
桐生の顔が、次第に強張っていった。
「もし永野さんが、二十年前の田中さんの事件を知る元記者だと、熊谷がすでに把握していたのだとしたら」
「俺を野放しにしておくより、自分の目の届く場所に置いて、監視した方が安全だと判断した、ということか」
その可能性が、永野の中で一気に現実味を帯びた。事故そのものは、あるいは本当に偶然だったのかもしれない。だが、事故後の永野を「やすらぎ園に引き取る」という決断は、熊谷自身の意図的な選択だった。そして熊谷は、その決断を下すにあたって、県央福祉会の情報網――宮下医師や、事故を起こしたトラック会社との繋がり――を、すでに利用していた可能性がある。
つまり、熊谷と榊原は、永野が思っていたよりもずっと早い段階から、単なる敵対関係ではなく、互いの利害が複雑に絡み合った関係にあったのかもしれない。
「田村さんを呼んでくれ」
永野は言った。
「今までの前提を、一から見直す必要がある」
その夜、資材置き場に集まった三人の前で、永野は静かに切り出した。
「俺たちは今まで、熊谷という一人の悪人を倒せば、正義が実現すると思っていた。だが、実際には、俺自身がこの施設に来たことすら、誰かの計算の中にあったのかもしれない」
田村の顔が青ざめた。
「じゃあ……永野さんは、最初から、監視されるために、ここに送り込まれたっていうんですか」
「その可能性を、否定できなくなった」
沈黙の中、桐生が小さく声を上げた。
「でも、永野さん。もしそうだとしたら、一つ、分からないことがあります」
「何だ」
「なぜ熊谷は、あなたを監視下に置きながら、結局あなたに証拠集めを許し、失脚させられる結末を迎えたんでしょうか。もし本当に警戒していたなら、もっと早く、あなたを――」
桐生は、その先を言葉にするのをためらった。
永野の脳裏に、ある冷たい想像が浮かんだ。
「もっと早く、俺を『処理』できたはずだ、ということか」
「……はい」
「それをしなかった理由は、一つしか考えられない」
永野は、暗い小屋の中で、静かに、しかしはっきりと言った。
「俺を泳がせておくことの方が、誰かにとって都合が良かったんだ。熊谷を失脚させる『表向きの理由』として、俺という存在が必要だった」
三人の間に、重い沈黙が降りた。
自分たちは、正義のために戦っていたつもりだった。だが、その正義さえも、より大きな誰かの計算の中で、あらかじめ用意された「駒」として機能していたのかもしれない。




