第十三章 疑心
「情報を流している人間がいる」
その一言が、施設に戻った永野たちの間に、重く冷たい空気を生んだ。
資材置き場に集まったのは、永野、田村、桐生の三人だった。宇佐美は外部の人間であり、大崎はまだこの輪に完全には加わっていない。だが、それでも「誰が」という問いは、この場にいる全員の胸に、鋭い棘のように刺さった。
「まさか、私たちの中に……」
田村の声が震えていた。
「桐生さん、あなたは理事長室に出入りできる立場だ」
永野が静かに言うと、桐生の顔が青ざめた。
「永野さん、私はそんな……!」
「疑っているわけじゃない。だが、可能性として排除できない。あんたは今回の告発で、自分自身の立場も守られる取引をしている可能性がある。それが、榊原側と何らかの形で繋がっていないとは言い切れない」
「酷いです、そんな言い方……!」
「田村さん、あんただって同じだ」
永野は容赦なく続けた。
「あんたは単独で榊原に接触した。その時、榊原はすでに、俺たちの動きをかなり詳細に知っていた。あんたが接触する前から、だ。もしかしたら、あんたの行動そのものが、榊原にとって想定内だったのかもしれない」
「私が、榊原に情報を流したって言うんですか!」
「そうは言っていない。ただ、可能性を全部並べているだけだ」
沈黙が流れた。永野自身、この疑心暗鬼が、事態を解決に導くどころか、むしろ内部の結束を破壊しかねないことを分かっていた。だが、それでも避けて通れない過程だった。
「俺自身も、疑われて当然の立場だ」
永野は続けた。
「俺は、宇佐美という外部の人間と定期的に連絡を取っている。俺たちの計画のほとんどは、彼を通じて外に伝わっている。もし宇佐美の周辺から情報が漏れているとしたら――」
「宇佐美さんを、疑ってるんですか」
田村が驚いたように言った。
「疑うというより、可能性の話をしている。あるいは、面会室での会話が盗聴されている可能性もある。この施設自体、熊谷が長年権力を握っていた場所だ。どこに監視の目があっても、おかしくない」
その夜、永野は一人で考え続けた。田村の目には、嘘をついているようには見えなかった。桐生も同様だった。だが、「見えない」ということと「事実そうではない」ということは、イコールではない。二十年前、自分は情報提供者を信じ切って動いた結果、相手に情報が筒抜けになっていたことに気づけなかった。同じ轍を踏むわけにはいかなかった。
翌日、永野は大崎医師との面談を求めた。
「先生、率直に聞きます。あなたは、この件について、他の誰かに話しましたか」
大崎は、少し傷ついたような顔をした。
「話していません。……疑われているんですね、私も」
「悪く思わないでほしい。今、状況が複雑になっている」
「分かります。……ですが、一つ、思い当たることがあります」
大崎は声を落とした。
「先週、理事長――前理事長ですね、熊谷さんから、退任前に最後の指示として、一つ頼まれたことがあります。私のカルテの記録を、全て『県央福祉会の顧問医』に引き継ぐようにと」
永野は眉をひそめた。
「顧問医の名前は?」
「柴田という医師です。……ただ、その柴田医師、榊原理事長とは、随分懇意にしているようで、電話でのやり取りを何度か耳にしました。その中で、永野さんの名前が出ていたのを覚えています」
「いつのことだ」
「先週の水曜日です。榊原視察――いえ、失礼、県央福祉会の視察の、三日前です」
永野は、頭の中でその日付を確認した。田村が単独で榊原に会いに行くよりも、さらに前の日付だった。
「つまり、俺たちが視察団の前で熊谷を追い詰める、さらに前の段階から、県央福祉会側はすでに俺の存在と動きを把握していたということか」
大崎は頷いた。
「そう考えるのが自然だと思います」
永野の中で、疑心暗鬼が別の形を取り始めた。もし情報漏洩の起点が、田村でも桐生でも宇佐美でもないとしたら――もっと早い段階、永野がこの施設に足を踏み入れた、あの最初の日から、すでに何かが仕組まれていたのだとしたら。
「先生。俺が入所した経緯、覚えていますか。病院からの紹介状に書かれていた、あの不自然な『認知症』の診断」
「事故直後の担当医が書いたものですね」
「その担当医の名前を、調べてもらえませんか」
大崎は少し驚いた顔をしたが、頷いた。
「調べてみます。……ですが永野さん、もしその担当医まで、この構造に繋がっていたとしたら」
永野は、窓の外に目をやった。丘の緑が、初夏の日差しに照らされていた。
「それなら、俺がこの施設に来たこと自体が、最初から仕組まれた筋書きの一部だった、ということになる」
その可能性を、永野は今、初めて真剣に検討し始めていた。




