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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第8章:脱・召喚前提運用移行編
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第99話 現仕様、召喚を前提にしない国へ

 召喚を前提にしない国の骨格ができてから、最初の朝が来た。


 その朝の報告は、王都ではなく、地方から先に届いた。出力不足がいちばん心配されていた、北の地方都市の生活必須系統――水と暖。召喚者供給を一滴も使わない定常運用で、夜を越えて、朝になっても止まらずに動いていた。


 セルアスが、地方からの運用ログを読み上げた。


「北の生活系統、定常稼働のまま朝を迎えました。地方炉と備蓄と負荷削減の寄せ集めで、出力は綱渡りです。ですが――落ちていません。水が出て、暖が取れています」


「綱渡りでいい。落ちなきゃいい」


 修司は、ログの数字をひととおり追ってから、息を吐いた。


「派手に余裕があるより、ぎりぎりでも毎朝同じように動くほうが、暮らしには効く。昨日の夜と同じ温度の湯が、今朝も出る。それだけのことが、いちばん難しくて、いちばん大事だ」


---


 昼前には、前線からも便りが届いた。


 国境沿いの哨戒系統には、これまで召喚者の供給を当て込んで組まれていた区画がいくつもあった。そのどれもを、地方炉と夜間の負荷削減で組み替えてある。前線の補給官からの報せは、短かった。灯火欠けず、哨戒平常。書かれていたのは、それだけだった。


 修司は、その短い一行を、二度読んだ。


「前線の補給官ってのは、無事なときほど短く書く。長い報告が来たら、それは何か起きてるときだ。――『平常』の二文字が、いちばんありがたい」


 王都で手続きが切り替わり、地方で生活系統が朝を越え、前線で哨戒が平常を保つ。召喚を当てにしない運用は、机の上の図ではなく、三つの現場で、同じ日に回り始めていた。


---


 リゼットが、召喚者たちの現在地をまとめた表を持ってきた。


「修司さん。ひとりずつの行き先が、ようやく全部、空欄でなくなりました」


 表には、名前が並んでいた。ユウトは帰還済み。アニカは帰還の準備に入っている。サナは本人の希望で残留し、保護身分に切り替わった。レオは保留のまま、再確認の条件つきで据え置かれている。そして、カズヤ。深い接続の、段階切断計画が、動き出していた。


 誰の行の隣にも、「燃料」の二文字はなかった。


 表の中ほど、サナの行に、修司は目を留めた。残留・保護身分。帰る場所より、この国で続けたい仕事を選んだ、という本人の申し出だった。


 リゼットが、その行に、小さく添え書きをしていた。


「サナさんは、配分の棚を数える仕事に移りました。召喚を前提にした業務をしていた頃より、本人は楽しそうです。『誰かの代わりじゃなく、自分の仕事だから』だそうです」


「それでいい」


 修司は、その行を指でなぞった。


「連れてこられて炉の足しにされてた人間が、『自分の仕事だ』って言える。それが、選択権を運用中にした、ってことの中身だ。名簿の空欄が埋まったことより、そっちのほうが、よっぽど効いてる」


 帰る者は帰り、残る者は残る仕事を持ち、繋がれていた者は順に外れていく。誰も、選ばされてはいなかった。


---


 そのカズヤが、切断の一段を終えて、卓に顔を出した。


「マナベさん。今朝の一段、外れました。……拍子抜けするくらい、何ともないです。もっと、こう、引き剥がされる感じかと思ってました」


「いきなり全部抜いたら、そうなる」


 修司は、切断手順の図に、外れた一段の印をつけた。


「一段ずつ、代わりを当ててから外してる。あんたが何ともないのが、計画どおりだ。痛みを感じる切り方は、下手な切り方だ」


「変な話なんですけど」


 カズヤは、自分の手のひらを、なんとなく見た。


「俺、召喚されてから、自分が炉に何かを渡してるなんて、一度も感じたことがなかったんです。今、外れて初めて、ずっと繋がってたんだって分かりました」


「気づかないまま渡してたものを、気づかないまま返す。それでいい。痛みで気づかせるより、ずっとましだ」


---


 その日の夕方、修司は移行ログを、頭から確認した。


 生活必須系統――定常稼働。特権系統――恒久カット。召喚前提処理――停止。召喚者選択権――運用中。一行ずつ、潰してきた項目が、潰れたままになっている。空の発注書はもう出ない。儀礼の次第に召喚は載っていない。誰も、炉の足しには戻されていない。


 ログのいちばん下に、もう一行あった。修司は、そこで指を止めた。


 〔修司・魂ID:基盤炉深層保守補助/削除可否:不可/本人同意:未取得(保留・継続調査)〕


「修司さん。その一行だけ、まだ『運用中』でも『停止』でもありません」


 リゼットが、表の端を指した。


「保留だ」


 修司は、その一行を消さずに、見たまま答えた。


「動かせないからじゃない。動かし方を、まだ決めてないからだ」


「温存、ではなく?」


「温存にはしない」


 修司は、はっきりと首を振った。


「温存ってのは、『修司を繋いだままが一番楽だから、そのままにしておく』ってことだ。それは、いちばんやっちゃいけない。だから、停止でも運用でもなく、『いつか向き合う未解決』として、見える場所に置いておく。隠して楽になるくらいなら、目障りなまま残しておくほうがいい」


 リゼットは、その一行をしばらく見てから、表を閉じなかった。閉じれば、見えなくなる。見えなくしないことが、修司の出した答えだった。


---


 大きな宣言があったわけではなかった。断罪も、勝者もいなかった。ただ、次の召喚を当てにしない国が、初めて現場で回り始めていた。誰かが新しく召喚されるのを待つのではなく、いま居る人手と、いまある設備で、明日をまわす。その当たり前を、この国はずっと、召喚という非常手段で先延ばしにしてきたのだった。


 マルファスが、いつもの醒めた声で口を挟んだ。


「面白くない結末だと、私は思いますよ。誰も滅びず、誰も裁かれず、ただ仕組みが一つ、静かに置き換わっただけだ。物語にするには、地味すぎる」


「地味でいい」


 修司は、ログの最後の一行を閉じずに、卓から立った。


「派手な結末は、たいてい誰かが燃えてる。誰も燃えてないのが、いちばんいい結末だ」


---


 その夜、みなが引き上げたあと、修司は一人で、現仕様の盤に向かっていた。


 基盤炉深層の、最後の一点。代替の受け取れない、外からの接続を一つだけ欲しがり続けている系統。修司は、そこの状態を、もう一度だけ確かめようとした。


 盤に、一行、表示が増えた。


 〔基盤炉深層・保守補助:応答可〕


 誰が問いかけたわけでもなかった。修司の魂IDに対して、深層の保守接続が、一度だけ、静かに応えた。応答可。お前でいい、と告げるように。


 修司は、その一行を、しばらく見ていた。それから、消さずに、保存した。


「……最後に残った依存は、たぶん、俺だ」


 応答可、という一行は、誘いのようでもあった。お前が繋がってさえいれば、この最後の一点は、もう誰も悩まなくて済む。移行も、いちばん楽な形で完成する。修司には、その囁きの形が、よく分かった。これまで何十人もの召喚者が、まさにその「いちばん楽な形」のために、炉へ繋がれてきたのだ。楽な解は、たいてい誰か一人に皺寄せを押しつけることで成り立っている。今夜、その「誰か一人」の席に、自分の名前が、ぽっかりと空いて見えた。


 だから、繋がらなかった。今夜は、確かめただけだ。向き合うのは、楽な解に逃げないと、自分で決めてからでいい。


 召喚を前提にしない国は、できた。誰も燃料にしない国も、もうすぐ形になる。だが、その国がいちばん最後まで手放せずにいる一点に、自分の名前が、削除可否:不可のまま、残っている。


 その一点と、どう向き合うのか。修司は、まだ答えを持っていなかった。持たないまま保存した一行だけが、夜更けの盤の上で、静かに光り続けていた。

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