第100話 応答可の一行
翌朝、修司がいちばん先にしたのは、昨夜保存した一行を、セルアスに見せることだった。
〔基盤炉深層・保守補助:応答可〕
卓に盤を開いて、その一行を指した。隠したまま一人で抱えるのは、自分が散々止めてきた「楽な解」の入口だと、よく分かっていた。
「向き合うと、決めた」
修司は、前置きなしに切り出した。
「だが、正直に言う。向き合い方が、分からない」
セルアスは盤の一行をしばらく見てから、監査状を扱うときの落ち着いた声で返した。
「珍しいですね。あなたが『分からない』と言うのは」
「他人の困りごとなら、分からなくても手順は組める。だが、これは俺自身の登録だ。手順を組む前に、まず何が起きてるのかを、俺は読めない」
---
修司は、自分の魂IDの状態を、もう一度盤で開いた。
読めるものは、はっきり読めた。応答可。削除可否、不可。本人同意、未取得。最後の一点の予備接続候補として、自分が登録されている。そこまでは、現仕様がそのまま映している。
だが、その先が、白かった。
「誰が、いつ、なぜ俺をここに登録したのか。それが、どうやっても読めない」
修司は、白いままの欄を指でなぞった。
「現仕様が映すのは、『今どう動くか』だけだ。『なぜそうなったか』は、最初から映らない。これまでもそうだった。レオのときも、カズヤのときも、意図までは読めなかった。今回も同じだ。自分のことだからって、特別に読めるようにはならない」
「読めないものを、読もうとして粘っても、出てこない、ということですね」
「出てこない。だから、読み方を変えるしかない」
修司は、白い欄から目を上げた。
「読めないなら、観測する。検証する。残ってるログを照らし合わせる。誰かの証言を聞く。――要するに、いつもの障害調査と同じだ。原因が画面に出てこない障害は、外から一つずつ潰して、輪郭を描く。それだけのことだ」
「対象が、あなた自身、というだけで」
「ああ。対象が、俺自身、というだけだ」
---
その立て直しを、修司は妙にすんなり口にした。だが、リゼットは、それを見逃さなかった。
「修司さん。今、ずいぶん簡単に言いましたね」
リゼットは、卓の向かいから、まっすぐに修司を見た。
「他人の障害なら、修司さんは何日でも粘ります。原因が出てこなければ、夜通しログを並べて、現場に三度足を運んで、関係者全員に話を聞く。なのに、自分の番になると、急に雑になります」
「雑にした覚えはない」
「『いつもの障害調査と同じだ。それだけのことだ』。――それが、雑です」
リゼットの声は、責める調子ではなかった。だが、引かなかった。
「自分のことになると、修司さんは、いつも、さっさと片づけて、後ろに回そうとします。あなたは参謀である前に、一人の召喚者で、選択権の対象です。自分の障害票を、他人の障害票より軽く扱わないでください」
修司は、言い返そうとして、口を閉じた。図星だった。昨夜、応答可の一行を「いつか向き合う未解決」として保存したのも、半分は誠実さで、半分は、後回しにする口実だったかもしれない。
「……分かった」
修司は、盤に新しい票を起こした。他人のためなら、何百と起こしてきた様式だ。今度は、宛先の欄に、自分の名前を書いた。
「正式に起票する。件名、基盤炉深層・最後の一点における、修司魂IDの予備接続登録。区分、原因調査。担当――俺だ。立会い、つける」
---
立会い、という一語に、セルアスが顔を上げた。
「一人で覗かないのですね」
「覗かない」
修司は、票の手続き欄を埋めながら言った。
「自分の登録を、自分一人でこっそり読んだら、何を読んだか、誰も確かめられない。それじゃ、これまで召喚者にやってきたことと、同じになる。誰にも見えないところで、一人の人間の扱いが、勝手に決まる」
修司は、票を閉じずに、セルアスへ回した。
「俺の魂IDの参照関係を読むのに、立会いと記録をつけたい。賢者会議に、正式に申請を出してくれ。炉のことをいちばん長く見てきたのは、あの人たちだ。俺の登録が炉のどこに繋がってるのか、一緒に見てもらう」
「あなたが、自分を、見える場所に置く、ということですね」
「昨日、見える場所に置くって決めたからな。盤の上に一行残すだけじゃなく、調べるところも、人に見せる」
セルアスは票を受け取って、めずらしく、少しだけ目元をゆるめた。
「面白くない結末を望む、と言っていたわりに。あなたは、ずいぶん丁寧に、自分を一件の障害として扱いますね」
「丁寧にやるさ。雑にやるなって、今、叱られたばかりだ」
卓の隅で、ずっと黙って試算盤を弄っていたマルファスが、ようやく口を開いた。例によって、温度のない声だった。
「無駄だと思いますよ。あなたが自分の登録経緯を調べたところで、結論は最初から見えている」
「言ってみろ」
「『繋げば一番楽』。それが結論だ。あなたの魂IDは応答可、削除不可、最後の一点にぴったり嵌まる。調べれば調べるほど、その事実が補強されるだけです。理由を知ったところで、最後の一点は埋まらない」
修司は、その醒めた見立てを、否定しなかった。
「お前の言うとおりだ。調べても、繋げば楽、って結論は動かない。だが、俺が知りたいのは、楽な解じゃない」
「では、何を」
「楽じゃない解が、本当に無いのかどうかだ。無いなら無いで、別の覚悟がいる。だが、無いと確かめもせずに『楽だから繋ぐ』のだけは、やらない。それは、これまで召喚者にやってきたことと、同じだ」
マルファスは、試算盤から手を離して、わずかに肩をすくめた。
「面白くない人だ。……いいでしょう。無いことの証明ほど、手間のかかる仕事はない。せいぜい付き合いますよ」
---
申請は、その日のうちに賢者会議へ届いた。返答は、思ったより早く来た。
持ってきたのは、賢者会議でいちばん若い、記録と観測に強いと評判のリアノンだった。彼女は、修司の申請票への返書を、卓に置いた。それから、自分でも信じきれていない、という顔で、付け加えた。
「マナベ殿。申請をお受けする前に、一つだけ、先にお伝えしておくことがあります。あなたの魂IDの、参照形式についてです」
「参照形式?」
「ええ」
リアノンは、返書の隅に書き写してきた、二つの書式の図を並べた。片方は修司の魂IDのもの、もう片方は、炉の深層保守系統のものだった。
「あなたの魂IDが世界を参照する書式は――炉の保守系統が、自分自身を点検するときの書式と、同じ形をしています。我々はずっと、それを、ただの偶然だと思ってきました」
修司は、並んだ二つの図を見た。線の引き方も、枝の分かれ方も、よく似ていた。似ている、というより、同じだった。
なぜ、自分が「最後の一点」に、こうもぴったり適合してしまうのか。その理由の半分が、いま、白かった欄のすぐ隣に、観測できる形で置かれていた。
「偶然じゃ、ないかもしれない、ってことか」
「断定は、まだできません」
リアノンは、図の縁を指で押さえた。
「書式が同じ、という事実は、観測できます。ですが、なぜ同じなのか、誰がそう揃えたのかは、この一枚からは出てきません。我々が言えるのは、ここまでです。あなたが最後の一点に適合するのは、たぶん、偶然ではない。それ以上は、まだ何も」
「それで十分だ」
修司は、ようやく図から目を上げた。
「全部分かる必要はない。書式が同じ、だから俺が嵌まる。そこまで観測できれば、調査としては一歩前だ。残りの『なぜ』は、能力じゃ届かない。届かないところは、人に聞いて、ログを照らして、一つずつ輪郭を描く。さっき、そう決めたばかりだろ」
修司は、その図から、しばらく目を離せなかった。読めなかったはずの自分の登録が、能力ではなく、ただの書き写しの一枚から、輪郭を見せはじめていた。最後の依存に向き合う調査は、派手な真相解明ではなく、こういう地味な紙の一枚から、始まるらしかった。




