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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第8章:脱・召喚前提運用移行編
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第98話 召喚を前提にしない承認フロー

 修司の例外接続を保留の名簿に載せた翌日から、卓の上の作業は、一人の問題から、国の手続きへと移った。


 召喚再開の凍結は、すでに出ていた。だが凍結は、王宮魔導院が出した一通の命令にすぎない。命令一つでは、別々の部署が別々の根拠で動かしている「次の召喚を待つ仕組み」は、止まりきらない。資材の発注は財務部の様式で回り、儀礼の準備は神殿の旧テンプレで進み、上位承認の予約枠は行政府の慣例で空けられたままだった。


 修司は、卓に積み上げた書式の束に手を置いた。


「凍結を、手続きにします。命令一本じゃなく、財務も神殿も行政も、それぞれの様式から『次の召喚を前提にした項目』を消す。全部の部署で、同じ日に、同じ形で。どこか一つが昔の様式のまま動いたら、また空の発注書が出ます」


 リゼットが、各部署から集めた様式の束を、種類ごとに卓へ並べた。財務の資材請求、神殿の儀礼次第、行政の承認予約。どれにも、召喚を待つ前提が、当たり前の一行として埋め込まれていた。凍結の命令が出たあとも、紙の上では、どの部署も、まだ次の召喚を待ち続けていたのだ。


---


 手続きを一本化するには、別々の部署に、同じ日付で署名をもらう必要があった。


 神殿の現場は、早かった。召喚儀礼の資材発注を恒久停止し、旧テンプレを召喚なし運用版へ差し替える件は、すでに第93話で現場の合意ができている。神官の一人は、形だけ残っていた次第に短く目を通すと、「これを消すだけです」と、迷わず署名した。


 魔導省と軍務も続いた。試験稼働で、生活必須系統が召喚者供給なしに動いた記録を見せると、現場の担当者は納得が早かった。彼らが日々向き合っているのは正当性の議論ではなく、止まると人が困る系統だったからだ。


 地方代表のヴェルクは、配分の比率だけ最後まで確かめてから、筆を取った。


「中央の都合で、削減が地方にだけ寄ってないか。そこは、見張らせてもらう」


「見張っていてください。見張られてる方が、ごまかしようがなくて、こっちも楽です」


---


 賢者会議の署名は、すんなりとはいかなかった。


 長老ガレオンは、移行の済んだ系統の一覧を確かめてから、筆を取った。


「世界が保たぬという我らの懸念を、お主は一つずつ潰してきた。残るは、いちばん奥の一点だけだ。そこに目をつぶらぬのなら、止める理由はもうない」


 若手のリアノンも続いた。最後まで筆を止めていたのは、ヴェイドだった。かつて小炉を一基失い、村ごと寒さに沈めた男だ。


「お前の試験稼働は、まだ数日だ」


 ヴェイドの声は、低かった。


「数日落ちなかったからといって、冬の底でも落ちぬとは限らん。私は、灯りの消えた村を見ている。お前は、見たことがあるか」


「ありません。だから、戻せる形で入れています。どの系統も、切り戻しを先に用意してから試験を始めました。冬の底で危なくなったら、その系統だけ元へ戻す。落ちきる前に、戻す。それでも不安なら、あなたが冬の底まで見張ってください。落ちそうになったら、真っ先にあなたへ報せます」


 ヴェイドは、しばらく修司を睨んでから、筆を取った。


「報せろ。一夜でも遅れたら、私は止める側に戻る」


 条件つきの賛成だった。修司は、それでよかった。手放しの賛成より、見張る目が一つ増えるほうが、ありがたかった。


---


 最後まで署名を渋ったのは、王宮上層だった。


 宰相づきの老臣が一人、卓に着いた。書類には目もくれず、修司を見据えた。


「召喚を、永久にやめると、紙に書くおつもりか。我が王国は、勇者召喚によって守られてきた。その一行を消すことは、王の権威の根拠を、自ら手放すということになる。民は、何を頼りに王を仰げばよいのか」


「召喚をやめても、王国は回ります」


 断言ではなかった。修司は、束ねてきた記録を、老臣の前に並べた。試験稼働の初日に地方都市の夜の暖房が召喚者供給を一滴も使わずに灯った記録。生活必須系統が定常で動いている数日分の運用ログ。贅沢系統を削った魔力が、人の眠る部屋に回った配分の表。


「権威の根拠が召喚だと言うなら、召喚が止まった夜に、王国の灯りが一つでも消えたか、見てください。消えていません。民が頼りにしているのは、召喚そのものじゃない。冬の夜に暖房が落ちないこと、水が出ること、明日も同じように暮らせること――そっちです。それを守れるなら、王の権威は、損なわれません」


---


 老臣は、しばらく黙って、記録の表を眺めた。


「……権威を守るために召喚を残す、という話を、私はしに来た。だが、お主の出してきたものは、召喚がなくても暮らしが守られている、という証拠だ。守られている暮らしの上にしか、権威は立たんのだとしたら――残すべきは、召喚という形ではなく、暮らしのほうか」


「俺は、王の権威を否定しに来たんじゃありません」


 修司は、まっすぐ老臣を見返した。


「召喚という、人を一人連れてきて炉の足しにする仕組みを、頼りにしなくても回る形を作りに来ました。権威の話は、王宮で決めてください。俺が触るのは、止まると人が困る仕組みのほうです」


 老臣は、もう一度ログを見てから、ゆっくりと筆を取った。論破されたのではなかった。何を守れば権威が残るのか、その順番を並べ直しただけで、召喚を残すという一行は、暮らしを守るという一行の前で、後ろへ下がった。


---


 その日のうちに、署名が揃った。


 召喚再開の凍結は、命令から手続きへ変わった。財務の様式から召喚前提の資材項目が消え、神殿の次第から召喚儀礼が外れ、行政の承認予約枠から「次の召喚」の予約が抜かれた。どの部署も、もう召喚を待たない様式で回り始める。空けられていた新規召喚枠は、廃止ではなく、出力が不足した時のための安全余裕へ恒久転用された。


「召喚を待つための余白が、召喚しないための余白に、変わりましたね」


 セルアスの言葉に、修司は頷いた。


「待つのをやめた、ってことだ。いつか来る召喚を当てにして空けておいた枠を、来ない前提で、別の使い道に振り直した。これで、書類の上では、この国は召喚を前提にしない国になる」


---


 手続きの完成を、修司は素直には喜べなかった。


 制度は、確かに切り替わった。だが、移行計画の図の隅には、まだ線の引けない一点が残っている。基盤炉深層の、最後の依存。それは財務にも神殿にも行政にも載っていない。どの部署の様式にも属さず、制度の外側で、炉そのものが要求している一点だった。


 保守主任からの報せも、同じことを告げていた。セルアスが、その紙を卓に置いた。


「制度がどう切り替わっても、深層の最後の一系統は、相変わらず外からの接続を一つ、欲しがり続けている、と。様式を消しても、発注を止めても、あの要求だけは消えません。炉は、書類を読みませんから」


「だろうな。部署の様式をいくら直しても、炉そのものの仕様は変わらない。あれは、人が後から足した制度じゃなく、炉が最初から持ってる要求だ。紙を片づけても、残るものは残る」


 修司は、図の隅の、まだ線の引けない一点を見た。


「紙の上は、片づいた。だが、いちばん深いところの一点だけは、どの手続きにも入ってない。制度を全部切り替えても、あれは制度の外にある」


 その一点を、いちばん簡単に埋められる名前が、保留の名簿に載った自分自身であることを、修司は思い出していた。


 召喚を前提にしない国の骨格は、できた。だが、その国がまだ手放せずにいる最後の依存は、制度ではなく、人の形をしていた。そしてその人の名前を、修司は、もう知っていた。

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