第95話 削除可否:不可
翌日、修司は誰もいない時間を選んで、自分の魂IDを、正面から開いた。
脇に置く、と決めていたものを、いつまでも置いておけない。リゼットの問いが、夜のあいだ、ずっと耳に残っていた。閉じたままにしておけば、見なかったことにできる。だが、それはまさに、修司が召喚者一人ひとりに対して、してはならないと言い続けてきたことだった。
画面に、自分の登録情報が並んだ。
〔真鍋修司/召喚枠:戦闘不適合/固有:現仕様閲覧〕。そこまでは、最初からあった。問題は、その下に、いつの間にか増えていた数行だった。
〔帰還先ノード:未定義〕
〔基盤炉深層保守補助〕
〔削除可否:不可〕
〔標準召喚者分類外〕
四行を、修司は一つずつ、ゆっくり読んだ。読めば読むほど、これは事務的な記録ではなく、自分という存在に貼られた、用途の札のように見えてきた。
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修司の能力は、登録の「現仕様」を読む。
だから、これが今どう動いているかは、はっきり分かった。この四行は飾りではなく、生きて作用している。深層保守補助として、修司の接続は炉に対して有効で、削除は不可に設定されている。そういう状態で、今、動いている。
だが、そこから先が、読めなかった。
誰が、いつ、なぜ、この四行を足したのか。修司の現仕様閲覧は、「今どうあるか」は映すが、「なぜそうしたか」――登録した者の意図までは、決して映さない。何度見ても、四行は四行のまま、理由を語らなかった。
「読めるのは、ここまでか」と修司は、ひとりごちた。
いちばん知りたいところに、いつもの壁があった。
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午後、修司はマルファスとセルアスに、画面を見せた。
隠して進めるほうが、よほど性に合わなかった。穴を人で塞ぐな、と言った口で、自分の登録だけを伏せておくわけにはいかない。
「これは……」とマルファスが、画面に顔を寄せた。
しばらく、登録の構造をたどっていた。技術屋らしく、感情より先に、仕組みのほうへ手が伸びていた。
「断定はできません」とマルファスは、前置きをした。
「ですが、構造だけ見れば――真鍋殿は、基盤炉深層保守の『予備の接続先』として、設計のどこかで組み込まれているように見えます。召喚者を全員外したとき、最後の一点が未充足になる。その未充足を、いざとなれば埋められる候補として、あなたが登録されている。削除不可なのは、たぶん、埋め手を失わないためです」
「予備の燃料、ってことか」と修司は言った。
「そこまでは、言っていません」とマルファスは、慎重に言った。
「予備接続、です。燃料とは、違う。けれど――炉の都合で、外せないように繋がれている、という点は、否定できません」
セルアスは、何も言えずに、修司の横顔を見ていた。
「試しに、外せるか、見てみる」と修司は言った。
移行台帳の上で、修司は自分の登録を、帰還準備の列へ移す操作をなぞった。ほかの召喚者なら、ここで「帰還候補」へ静かに移る。だが、修司の行は、列を移らなかった。〔削除可否:不可〕の四文字が、わずかに濃くなっただけだった。炉の側が、その一行を、手放すまいと握り直したように見えた。
「動かない」と修司は言った。
「ほかの誰でも動くのに、俺だけ、台帳の上で固まってる。書き換えを、向こうが、拒んでる」
「設計が、そう守っているんです」とマルファスが、低く言った。
「埋め手を失わないために、その一行だけは、誰の操作でも消えないようにしてある。あなたの意思でも、たぶん、消せない。少なくとも、台帳の側からは」
「自分の登録なのに、自分で外せない、か」と修司は言った。
乾いた笑いが、少しだけ漏れた。笑うしかない、という種類の笑いだった。
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整理すると、構図は、いやになるほど単純だった。
召喚者を全員外しても、修司の例外接続が残っていれば、炉は最後の一点を埋められる。逆に、修司自身を登録から外そうとすれば、「削除可否:不可」が、それを阻む。
修司が皆を帰す道筋を完成させればさせるほど、最後に残る一点を埋める候補は絞られ、削除できない自分の名前だけが、くっきりと浮かび上がってくる。皆の帰り道を作る作業が、そのまま、自分を炉に縛る作業になりかねない。
「……今は、これは置いておく」と修司は言った。
自分でも、逃げだと分かっていた。
「移行が先だ。地方の冬越しの目処は立ったが、まだ穴は残ってる。カズヤの安全な切断手順も、組み切れてない。俺の登録は、それが全部片付いてから、改めて――」
「修司さん」とリゼットが言った。
いつから部屋にいたのか、卓の端に、静かに立っていた。
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修司は、身構えた。昨日と同じ問いが、また来る。そう思った。
だが、リゼットは、同じことを繰り返さなかった。
「昨日のことは、もう、問いません」と彼女は言った。
「あなたが『今は移行が先』と言うのは、半分は逃げで、半分は本当でしょう。現場が待っている。それも、事実です。だから、急かしはしません」
「……助かる」と修司は、正直に言った。
「ただ、一つだけ」とリゼットは続けた。
「片付いてから考える、とあなたは言いました。でも、考える順番を、間違えないでください。あなたの登録は、移行を全部終えてから出てくる『おまけ』ではありません。移行を進めるほど、あなたへの依存が深くなる。これは、移行の途中で、一緒に解いておかないと、最後には『修司を繋いだままにすれば全部丸く収まる』という、いちばん楽な答えが、ひとりでに正解の顔をして残ります」
修司は、口をつぐんだ。
その通りだった。皆を帰すために動けば動くほど、自分という埋め手の価値が上がる。何もしなくても、流れは、自分を炉に残す方向へ、ゆっくり傾いていく。後回しにするとは、その傾きに、身を任せることだった。
「……分かった」と修司は言った。
「俺の登録も、移行の項目の一つとして、台帳に載せる。後回しにはしない。ただし、いちばんあとだ。皆を先に帰す。それだけは、変えない」
「それで、いいと思います」とリゼットは言った。
「あなたが、自分を勘定の外に置かない。今はそれだけで」
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その夜、修司は、カズヤの接続図を、もう一度開いた。
深く繋がれた勇者と、削除不可の参謀。形はまるで違うのに、二人の接続は、炉の同じ深層系統を、同じように参照していた。炉のために繋がれている、という一点で、二人は、よく似ていた。
カズヤを安全に帰す手順を組めば、その手順の影絵として、自分を外す手順の形も、見えてくるかもしれない。逆に、自分の「削除可否:不可」を解く鍵があるとすれば、それは、カズヤの切断手順のどこかに、隠れているのかもしれなかった。
深い接続を、いきなり引き抜けば、本人が危ない。カズヤの切断は、長い段階を踏んで、負荷を少しずつ逃がしながら進めるしかない。修司は、その段取りを図の上に書き出しながら、ふと、同じ手つきが、いつか自分にも要るのだと気づいた。急いで外そうとすれば、たぶん、自分も――炉も、無事では済まない。だから、焦らない。手順を、一段ずつ。
それは、皆に言い続けてきたことと、何も変わらなかった。穴は、人で塞がない。その人の中に、ようやく、自分も入れたのだと思った。
「先に、あいつからだ」と修司は、図を見ながら言った。
誰が、なぜ、自分をこの一点に繋いだのか。それは、まだ読めない。だが、読めない意図に答えを出す前に、まず、読める手順から手をつける。それが、修司のやり方だった。
画面の隅で、〔削除可否:不可〕の四文字が、消えも揺れもせず、ただ静かに灯り続けていた。




