第94話 最後に残る一点
代替供給の試験稼働は、思っていたよりも、うまく回り始めていた。
地方炉の再稼働、備蓄魔石の計画的な持ち出し、夜間の負荷削減、贅沢系統の恒久カット。一つひとつは頼りないありあわせだったが、束ねると、召喚者由来供給の穴を、少しずつ塞いでいった。マルファスが切り戻し手順を添えて部分実装するたび、「保たない」と言われていた系統が、一つまた一つと、召喚を当てにせずに動き出した。
報告も、悪くないものが届き始めていた。出力不足が懸念されていた地方都市で、朝の水道が止まらなかった。夜の暖房が、前の冬より弱いが、それでも切れずに灯った。地方代表から届いた書面には、「贅沢ではないが、凍えはしない」とだけ書かれていた。修司は、その素っ気ない一行を、何度か読み返した。召喚者を一人も足さずに、ひと冬を越せる目処が、初めて立ったのだ。
「ここまで、よく来たと思います」とセルアスが言った。
「半年前なら、『召喚なしで冬を越す』なんて、誰も本気にしなかった」
「ここまでは、見えてた通りだ」と修司は言った。
「あとは、残った穴を、どこまで細かく潰せるか――」
その言葉を、基盤炉保守主任が遮った。
「真鍋殿。一つだけ、どうしても切れない系統があります」
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保守主任は、年季の入った技師だった。炉のことを、制度ではなく、手触りで知っている男だった。
「表層の供給リンクは、もう全部、代替に振り替えました」と彼は言った。
「なのに、深層の一系統だけが、まだ外の接続を待ってる。試しに切ってみたんです。ほんの少しだけ。そうしたら、炉全体が、波打った。慌てて戻しました。あれは、切れません。切れば、炉が、足元から崩れる」
「波打った、というのは」と修司は聞いた。
「出力が、揺れたんです」と保守主任は言った。
「呼吸が、乱れた、と言ったほうが近い。あの一点だけは、何かが繋がっている前提で、炉が息をしてる。繋がりを抜くと、息の仕方を、忘れる。歴代の保守も、ここだけは触るな、常に何か繋いでおけ、とだけ言い伝えてきました。理由は、誰も知らないまま、です」
修司は、その深層系統に、現仕様を重ねた。
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見えてきたのは、思っていたより、ずっと厄介な形だった。
基盤炉の深層には、外から高密度のリソース接続を「常に一つ」受け入れる機構があった。一つでいい。だが、ゼロにはできない。そういう作りだった。表層の召喚者供給は、本来この一点を満たすためのものが、長い年月のあいだに肥大して、王国全体を巻き込む大仕掛けに膨らんだもの――修司には、そう見えた。
「逆だったんだ」と修司は、低く言った。
「召喚があるから、炉がそれを使ってたんじゃない。炉が、この一点を埋めてくれる『誰か』を要求し続けてて、それを満たすために、召喚って仕組みが、後から膨らんだ。順番が、逆だ」
「それは……」とセルアスが言いかけて、言葉を探した。
「断定は、しない」と修司は言った。
「なぜそう作られたか、誰が作ったかは、俺には読めない。今、そう動いてる、ってことだけは、確かだ」
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マルファスが、試算を組んだ。
召喚者をすべて分離し、帰すべき者を帰し、残る者を供給から外した想定。そうすると、代替で塞いだ穴のほとんどは保つ。だが、深層の一点だけが、未充足のまま赤く残った。その一点が満たされないと、炉は急に落ちはしないが、じわじわと出力を下げ、やがて呼吸の仕方を見失う。
「今は、保ってます」とマルファスが言った。
「試算より、現実のほうが、まだ持ちこたえてる。計算が甘いのか――それとも、もう誰かが、この一点を、肩代わりしてるのか」
「肩代わり」と修司は繰り返した。
心当たりは、一つしかなかった。
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カズヤだった。
深い供給リンクを持つ勇者。簡単には帰還手順に乗せられない、いちばん炉に近い召喚者。修司が深層系統の参照先をたどると、カズヤの接続が、その一点に、部分的に重なっていた。
「あいつが、今、炉の最後の穴を、半分、塞いでるのか」と修司は言った。
「本人の意思とは、関係なくな」
それは、いちばん認めたくない構図だった。カズヤを帰す。それは、召喚者解放の総仕上げのはずだった。だが、カズヤを帰せば、塞がれていた一点が、また剥き出しになる。解放を完成させようとするほど、炉の最後の穴が、はっきりと口を開ける。
その日の夕方、修司はカズヤを訪ねた。隠しておくのは、性に合わなかった。
「あんたが、今、炉の最後の穴を、半分くらい埋めてる」と修司は、回りくどい言い方をしなかった。
「あんたが帰れば、その穴が、また開く。それが、今の状況だ」
カズヤは、しばらく黙っていた。
「だから帰すな、ということですか」とカズヤは言った。
「逆だ」と修司は言った。
「帰す。それは、変えない。ただ、帰したあとに開く穴を、別の手で塞ぐ算段を、先に立てる。あんたを穴埋めに使ったまま、見て見ぬふりはしない」
「マナベさんらしいですね」とカズヤは、少し笑った。
「穴を、人で塞ぐな、ってことですよね。俺で塞ぐのも、なし、と」
「そういうことだ」と修司は言った。
カズヤは頷いたが、その目は、まだどこか修司を試すように見えていた。
「召喚者を、全員、外す」と修司は言った。
「それと、炉が保つこと。この二つが、最後の一点で、正面からぶつかってる。どっちかを諦めれば、楽になる。だが、どっちも、諦められない」
セルアスも、マルファスも、答えを持っていなかった。
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修司は、その一点に登録されている、接続候補のリストを照会した。
炉が「この者なら、深層保守の接続として受け入れる」と認めている、登録済みの候補。ほとんどは、すでに帰還準備に入った召喚者か、カズヤの名だった。当然だ、と思った。深く繋がれた者しか、この穴は埋められない。
リストを、上から順に下までたどった。
いちばん下に、見覚えのある一行があった。
〔真鍋修司/基盤炉深層保守補助/削除可否:不可/標準召喚者分類外〕
脇に置いていたはずの、自分の名前だった。覆いを一枚ずつ畳んだその先に剥き出しで残った最後の一点に、帰すべき召喚者たちと並んで、修司自身が、候補として登録されていた。
「……俺も、候補に入ってるのか」と修司は、誰にともなく言った。
画面の光が、その一行だけを、静かに照らしていた。
修司は、その一行を、また脇に置こうとした。今は、移行を詰める方が先だ。自分のことは、全部が片付いてから考えればいい。そう思って、画面を閉じかけた。
その手を、リゼットの声が止めた。
「修司さん」と彼女は言った。
いつの間にか、卓の後ろに立っていた。書面を抱えたまま、画面の一行を、じっと見ていた。
「今、その行を、閉じようとしましたね」と彼女は言った。
「あとで考える、という顔でした。あなたは、召喚者の一人ひとりについては、帰すのか残すのか、燃料にしないと、あれだけ言うのに。自分の名前が候補に並んでいるのは、見なかったことにする」
「……今は、移行が先だ」と修司は言った。
「ええ。今は、それでいい」とリゼットは言った。
「でも、覚えておいてください。あなたは、現場を救う参謀である前に、ここへ呼ばれてきた一人です。穴を人で塞ぐな、とカズヤさんに言ったのは、あなたです。その『人』に、あなた自身は、入っていないんですか」
修司は、答えなかった。
答えられなかった、というほうが、近かった。閉じかけた画面の中で、自分の名前が、最後の一点の候補として、まだ静かに灯っていた。




