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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第8章:脱・召喚前提運用移行編
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第93話 旧儀礼の発注書

 自分の名前のことは、ひとまず脇に置いた。


 その一点を「明らかにしてから」と賢者会議は条件をつけた。だが、明らかにするにも、その手前で片付けておくべきものが、まだいくつも残っていた。覆いを剥がす前に、覆いそのものを、一枚ずつ畳んでおく必要がある。


 その一枚が、翌朝、青ざめた顔の召喚管理官に運び込まれてきた。


「真鍋殿」と、管理官は一枚の書面を卓に置いた。


「召喚儀礼の、資材発注書です。今月分が、また発行されました」


「止めたはずでは」と修司は言った。


「止めたんです」と管理官は、ほとんど泣きそうな声で言った。


「召喚そのものは、凍結しました。儀礼も、執り行っていません。なのに、資材だけが、今月も勝手に発注されている。誰も発注などしていないのに、です」


---


 修司は、その発注書に現仕様を重ねた。


 誰かが手で書いたものではなかった。発注書は、召喚陣の側からではなく、まったく別の場所から自動生成されていた。神殿に残っていた旧い承認テンプレート。そして、何年も前に登録されたまま生き続けている、上位承認の予約枠。その二つが噛み合うと、人の手を介さずに、毎月この一枚が刷られる仕組みになっていた。


「召喚を止めても、これは止まらないわけだ」と修司は言った。


「発注の引き金が、召喚陣じゃない。古いテンプレートと、誰かがずっと昔に入れた予約承認。その二つが、今でも握手し続けてる」


「では、どこを止めれば」と管理官が聞いた。


「一か所じゃない」と修司は言った。


「権限の参照先が、ばらばらに分かれてる。神殿が持ってる承認、魔導省が持ってる予約枠、行政が握ってる資材の払い出し。どれか一つを止めても、残りが互いに補い合って、また動き出す。全部を、同じ卓で突き合わせないと、止まらない」


---


 翌日、修司は、その全部を一つの卓に乗せた。


 神殿の現場担当、魔導省の予約管理、行政の資材払い出し、そして資材部門の倉庫番。普段は別々の建物にいて、互いの仕事の中身を知らない者たちだった。


「あなた方は、それぞれ、何を前提に動いていますか」と修司は聞いた。


 神殿の担当が、最初に口を開いた。


「私どもは、上から承認が下りていれば、儀礼の準備を進めます。承認が下りているということは、召喚があるということですから」


「私たちは」と魔導省の予約管理が続けた。


「神殿が準備を始めるなら、資材の予約枠を確保します。準備が始まったのに資材がない、では困りますから」


「うちは」と行政の担当が言った。


「予約枠が立っていれば、払い出しの段取りを組みます」


 修司は、その三人を順に見た。


「気づきましたか」と彼は言った。


「誰も、召喚があるかどうかを、自分では確かめていない。神殿は承認を見て『召喚がある』と思い、魔導省は神殿の動きを見て『ある』と思い、行政は予約を見て『ある』と思っている。三人が、互いの動きを根拠にして、ぐるぐる回ってるだけだ。肝心の召喚は、もうどこにもないのに」


 三人は、顔を見合わせた。誰も、自分の持ち場の外を見たことがなかった。


---


 止め方は、見えた。だが、止めれば済む話ではなかった。


「真鍋殿」と、資材部門の倉庫番が、遠慮がちに手を挙げた。年かさの男だった。


「その発注を止めると……私の仕事は、なくなりますか」


 卓が、静かになった。


「私は、二十年、召喚儀礼の資材を数えてきました」と男は言った。


「他のことは、できません。発注がなくなれば、私が数えるものも、なくなる」


 修司は、すぐには答えなかった。止めるべき仕組みだ、ということと、それで食ってきた人がいる、ということは、別の話だった。仕組みだけを見て止めれば、この男の二十年が、ただ切り捨てられる。


「リゼット」と修司は呼んだ。


「こういう人が、何人いる。神殿にも、行政にも」


「数えてあります」とリゼットが言った。


「召喚前提の業務だけで食べていた人は、全部で十一人。みんな、この移行で、持ち場がなくなる人たちです」


「そのまま放り出すのか」とセルアスが言った。


「放り出しません」とリゼットは言った。


「召喚がなくなっても、資材を数える仕事は残ります。数える対象が、儀礼資材から、地方炉の備蓄や予備系統の部材に変わるだけです。むしろ、新しい運用のほうが、数えるものは増える」


 リゼットは、倉庫番の男に向き直った。


「あなたの二十年は、無駄になりません」と彼女は言った。


「数えてきた目は、どこへ行っても要ります。ただ、数える棚が、別の棚に変わるだけです」


 男は、しばらく書面を見ていたが、やがて、小さく頷いた。


「棚が変わるだけ、ですか」と彼は言った。


「そう思っていいなら、まだやれます。なくなるんじゃなくて、移るんだと」


「移るんです」とリゼットは言った。


「止めるのは仕組みであって、人ではありません。そこだけは、間違えないようにします」


 神殿の担当も、おずおずと口を開いた。


「私たちの儀礼の準備も、なくなるのですよね」と彼は言った。


「あれだけが、私たちの仕事でした」


「準備の段取りを組む力は、別のことにも使えます」と修司は言った。


「召喚なしの運用には、新しい手順がいくつも要る。それを現場で組み立てられる人が、いま、足りていない。あなた方の経験は、そっちで要ります」


 神殿の担当は、すぐには明るい顔をしなかった。だが、卓の上で握っていた手が、少しだけ緩んだ。


 修司は、止める作業を急がなかった。仕組みを止める速さより、人が次の持ち場へ移れる速さに、合わせた。早く止めて人を置き去りにすれば、その不安が、また別のどこかで、古い仕組みを呼び戻す。


---


 セルアスが、止める手順を一つずつ確かめながら言った。


「止めるのは、いいんです。けど、本当に止まったか、どうやって確かめます。今までも『止めたはず』が、止まっていなかった」


「テンプレートごと、差し替える」と修司は言った。


「古い承認テンプレートを消すだけだと、また別のどこかが拾って動き出す。だから、召喚を前提にしたテンプレートを、召喚なしの運用を前提にしたものに、丸ごと入れ替える。空白を作らない。空白があると、古い仕組みがそこに滑り込む」


 その日のうちに、召喚を前提にした自動処理の大半が、恒久的に止まった。神殿の旧テンプレートは、召喚なし運用版に差し替えられた。毎月勝手に刷られていた発注書は、もう刷られない。


「これで、儀礼と資材の側は、片がつきました」とセルアスが言った。


「ええ」と修司は言った。


「『止めたはず』が、やっと『止まった』になった」


---


 だが、止めた仕組みの一覧を最後まで追ったとき、修司の手が、一か所で止まった。


 ほとんどの自動処理は、何かの承認や予約を引き金にしていた。引き金を断てば、止まる。


 ところが、一つだけ、どの承認フローにも繋がっていないものがあった。


 基盤炉深層・保守接続。


 それは、神殿の承認も、魔導省の予約も、行政の払い出しも、何一つ参照していなかった。誰の承認がなくても、誰が止めようとしても、独立して、生き続けていた。制度の外で、炉が、ただ直接、それを要求していた。


「これは……止められないな」と修司は、低く言った。


「承認を断てば止まる、って話じゃない。これは制度が出してる要求じゃなくて、炉そのものが出してる要求だ」


 セルアスが、画面を覗き込んで、息を呑んだ。それは、昨夜、修司自身の名前が並んでいた、あの一点だった。


 覆いを一枚ずつ畳んでいったその先に、どの制度にも紐づかない、炉の生の要求だけが、剥き出しで残っていた。

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