第92話 世界が保たない、と言う人たち
試験稼働が回り始めた矢先に、賢者会議から正式な要請が届いた。移行計画の即時停止、だった。
これまで実務者を通じてしか接触してこなかった賢者会議が、初めて修司を直接呼んだ。セルアスが同行を申し出た。
会議の間は、古い石造りの広間だった。長卓の向こうに、賢者が数人並んでいる。その中央に、ガレオンという白髪の老人が座っていた。賢者会議の中で最も長く炉を見てきた人物だ、とセルアスが小声で教えた。
「真鍋殿」とガレオンは静かに切り出した。
「あなたの進めている移行は、止めていただきたい」
「理由を伺えますか」と修司は言った。
「召喚者供給を絶てば、いずれ基盤炉が崩壊する」とガレオンは言った。
「炉が落ちれば、王国全体が落ちる。あなたは表層の数字を埋めて回っているつもりだろうが、いちばん深いところで、炉は召喚者を必要とし続けている。それを絶つのは、世界の土台を抜くことだ」
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修司は、その言葉を頭から否定しなかった。
ガレオンの言うことには、嘘がなかった。炉の深層が「誰か」を待っているのは、修司自身が現仕様で確かめている。賢者会議は、その一点を何百年も守るために、召喚という仕組みを維持してきた。彼らは無能でも、悪人でもない。世界が保たないという恐れは、根拠のある恐れだった。
「あなた方が、世界を保たせるために召喚を続けてきたことは、分かっています」と修司は言った。
「その判断には、理由があった。私はそれを、ただの古い因習だとは思いません」
ガレオンの眉が、わずかに動いた。論破されると身構えていた相手が、まず同意してきたからだ。
「では、なぜ止めない」
「止め方が、違うからです」と修司は言った。
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修司は、持参した一枚を長卓に広げた。試験稼働の結果だった。
「あなた方は、『召喚者供給を絶てば世界が保たない』と言う。それは、全部を一度に絶てば、の話です」と修司は言った。
「私は、全部を絶っていません。召喚者由来の供給のうち、大部分は、もう召喚を待たない形に置き換わっています。地方炉、備蓄、夜間の削減、贅沢系統のカット。半端なものの寄せ集めですが、現に回っている」
「寄せ集めなど、いつ崩れるか分からん」とガレオンの隣の賢者が口を挟んだ。
「崩れたら戻せる形で入れています」と修司は返した。
「一系統ずつ、切り戻せるように。試して、駄目なら戻す。だから、これは賭けではありません」
修司は、紙の上の一点を指した。
「保たないのは、世界全体ではありません」と彼は言った。
「ここです。基盤炉の深層。この一点だけが、どんなありあわせでも埋まらない。あなた方が『世界が保たない』と恐れているのは、本当はこの一点のことだ。それを、世界全体の話に広げてしまっているだけです」
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広間が、静かになった。
ガレオンは、紙の上の一点を長く見ていた。
「……我々は」と、彼はやがて言った。
「全体が保たないと、思い込んでいたのかもしれん。一点と全体を、区別してこなかった。区別する必要が、なかったからだ。召喚さえ続けていれば、一点も全体も、まとめて満たされていた」
「召喚は、よく効く薬でした」と修司は言った。
「効きすぎて、どこが本当に病んでいるのか、見えなくなっていた。薬を一度引けば、本当に治さなきゃいけない場所が、一点だけ、はっきり残る」
末席の若い賢者が、身を乗り出した。リアノンという名の、まだ若い女だった。
「では、その一点は」と彼女は言った。
「召喚を全部やめても、残るのですね。一点だけは」
「残ります」と修司は言った。
「だから、そこだけは、別に向き合う必要がある。召喚という大きな仕組みで丸ごと覆い隠すのではなく、一点として、正面から」
「丸ごと覆うのをやめる、というのは」とリアノンは言った。
「……怖いことです。今まで隠れていた一点が、剥き出しになる」
「ええ」と修司は言った。
「でも、剥き出しになって初めて、それが何なのかを、見られる」
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だが、賢者の全員が、それで頷いたわけではなかった。
「待たれよ」と、ガレオンの向かいに座っていた、痩せた賢者が口を開いた。名をヴェイドといった。
「一点だと言うが、その一点こそが、いちばん恐ろしいのだ。表層がいくら回ろうと、深層の一点が崩れれば、炉は止まる。私は、若い頃に、地方の小炉が一つ落ちるのを見た。たった一基だ。それでも、その冬、村が一つ、消えた」
「覚えています」とガレオンが、低く言った。
「あの冬のことは」
「あのとき我々が学んだのは」とヴェイドは続けた。
「『一点くらい』と侮るな、ということだ。真鍋殿、あなたは一点を切り分けたと言う。だが、切り分けて、剥き出しにして、それで万一その一点が崩れたら――あなたは、あの冬を、もう一度この国に呼ぶことになる」
修司は、その言葉を、まっすぐ受け止めた。脅しではない。実際に村を一つ失った者の、重い警告だった。
「だからこそ、覆ったままにはできないんです」と修司は言った。
「覆って見えなくしている限り、その一点が、いつ、どう崩れるかも分からない。剥き出しにするのは、危険を増やすためじゃない。崩れる前に、手を打てるようにするためです。見えていれば、支えられる。見えなければ、落ちるまで気づけない」
ヴェイドは、すぐには納得しなかった。だが、反論も、しなかった。それは、頭ごなしの拒絶ではなく、考え込む沈黙だった。
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ガレオンは、しばらく黙ってから、ゆっくりと首を振った。
「あなたの言うことは分かる。だが、危うい。長年覆ってきたものを剥がすのは、覆ったまま温存するより、ずっと危ない」
「温存し続ければ」と修司は言った。
「いつか、覆いの方が先に保たなくなります。召喚に頼り続ければ、帰りたい人を帰せないまま、炉の都合で異世界に縛り続けることになる。それは、世界を保たせているようでいて、人を保たせていない」
その一言に、ガレオンは何も返さなかった。
賢者たちの間で、低い議論が始まった。全否定の声は、少し減っていた。
「ならば、その一点だけをどうするか」という方へ、空気が動き始めている。全体を守るか壊すかではなく、一点とどう向き合うか。問いの形が、変わりつつあった。
「即時停止は、求めないことにしましょう」とガレオンが、最後に言った。
「ただし、条件があります。その一点が何で満たされているのか、それを明らかにしてからだ。正体も分からぬまま、覆いだけ剥がすのは認められん」
「それは、私も知りたいことです」と修司は言った。
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会議の帰り、修司はセルアスとともに、その「一点が何で満たされているか」を端末で追った。
現仕様は、答えを少しずつ返してきた。基盤炉の深層が要求している、外部からの接続。それを、今、満たしているもの。
一つは、帰還を待っている召喚者たちだった。彼らがまだこの世界にいる間、その存在が、わずかに一点を満たしている。帰還が進むほど、その分が抜けていく。
そして、もう一つ。
修司は、自分の登録情報の前で、手を止めた。
基盤炉深層・保守補助。削除可否、不可。標準召喚者分類、外。
一点を満たしているものの一覧の中に、自分の名が、静かに並んでいた。
「……これは」とセルアスが、画面を見て言葉を失った。
修司は、しばらくその一行を見ていた。世界が保たないと人々が恐れた、その最後の一点。それを今、辛うじて満たしているのは、帰りたがっている召喚者たちと――修司自身だった。
「俺が、覆いの一部だったわけだ」と修司は、低く言った。
炉の深層が待っている「誰か」の正体に、初めて、自分の名前が引っかかっていた。




