第90話 炉は、誰かを前提にしている
翌朝、修司は基盤炉の保守区へ降りた。ドルムが待っていた。
「受け入れ準備を絞ると炉が揺れる、と言ったな」とドルムが言った。「あれから、どこが揺れるのかを追ってみた。妙なことになってる」
ドルムが記録板を差し出した。修司は数字を追い、そのまま端末を開いた。
昨日までに、召喚者由来の供給リンクは、表層のものはほぼ分離してきた。特権系統のマージンも削った。炉を「召喚者を供給源として組み込まない」形へ、少しずつ作り替えてきたはずだった。
だが、端末に映る炉の深層は、違う絵を見せていた。表層の供給リンクをすべて切っても、深いところで一系統だけが、何かを待ち続けている。
〔深層系統/状態:接続待ち/対象:未定義〕
「表層は切れている」と修司は言った。「でも、ここだけ、接続を待ったままです」
「待ってる、ってのはどういうことだ」とドルムが聞いた。
「炉の浅いところは、もう召喚者がいなくても回る形になりました。でも深いところに、最初から『外から何かが繋がってくる』前提で作られた一点がある。そこは、繋ぐ相手がいなくなっても、繋がりを待つのをやめないんです」
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修司は深層の構造を、しばらく読み続けた。
見えてきたのは、認めたくない形だった。基盤炉の深層には、外部由来の保守接続を前提とした機構がある。炉が定常運用を保つために、外から誰かが接続していることを当たり前としている。
召喚制度のことが、頭をよぎった。召喚者が古代魔導基盤への外部リソースとして登録・接続されていたことは、すでに分かっている。だが、その制度がなぜここまで肥大化したのか、これまで腑に落ちていなかった。
今、一つの当たりが見えた。
召喚制度は、この深層の一点を満たすために、後の世で継ぎ足された運用だったのではないか。炉が「外からの接続」を要求し続ける。その要求を、人を呼んで埋めてきた。それが召喚だったのではないか。
修司は、それを断定しなかった。現仕様閲覧で読めるのは、今この炉がどう動いているか、どことどう繋がっているか、何を待っているか――そこまでだ。誰がいつ何のためにこの機構を作ったのか、その意図までは読めない。読めるのは現状の処理であって、設計者の心ではない。
だが、形は合っていた。炉が接続を待つ。召喚がそれを埋める。要求と供給が、過不足なく噛み合っている。偶然そうなったにしては、噛み合いすぎていた。
「これは、運用の継ぎ足しの問題ではないかもしれません」と修司は言った。「炉の仕様そのものが、誰かの接続を前提にしている」
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ドルムは長く炉の番をしてきた男だった。修司の言葉を聞いて、しばらく黙ってから口を開いた。
「昔から、言われてたことがある」
「何をですか」
「この深い系統だけは、触るな、ってな。歴代の番が、代替わりのたびに申し送る。理屈は誰も知らねえ。ただ、ここは常に何かが繋がってる前提だから、迂闊に切るな、塞ぐな、空にするな、と。俺もそう教わって、そう守ってきた」
「理由は、伝わっていない」
「ああ。理由は誰も知らねえまま、禁止だけが残ってる。お前さんの言う『接続待ち』ってのは、たぶん、その『触るな』と同じものを指してる」
修司は頷いた。現場には、理由を失った禁止だけが、仕様の痕跡として残っていた。誰も意味を知らないまま守り続けてきた一線。それが、炉がいちばん深いところで誰かを求めている証拠だった。
「困りましたね」と修司は静かに言った。「召喚者を炉から外す。それが今までの目標でした。でも、召喚者を外しても、炉が別の誰かを接続として要求するなら」
「解放は、終わらねえな」とドルムが言った。
「ええ。誰も召喚しない、で終わりにできない。炉が次の『誰か』を待つ限り、また同じことが起きる」
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昼、修司は執務室でセルアスに状況を伝えた。セルアスは、報告を聞き終えるまで一度も口を挟まなかった。
「つまり」とセルアスがようやく言った。「私どもが進めてきた、召喚に頼らない定常運用への移行は、根本のところで壁に当たっている、ということですか」
「壁、というより、土台です」と修司は言った。「これまでは、召喚者を供給源として組み込んだ『運用』を組み替えてきました。儀礼資材も、承認テンプレートも、運用の継ぎ足しだった。止められた。でも、炉の深層にあるのは運用ではなく、炉そのものの仕様です。組み替えでは外せない」
「帰還を進めれば炉が目減りする、という問題も、これに繋がりますか」
「繋がると思います。帰還で召喚者が抜けるたびに炉が痩せるのは、炉が『接続された誰か』を当てにしているからです。地方炉の再稼働も、備蓄の転送も、時間を買う策にはなる。でも、炉が誰かを待つ仕様である限り、買った時間が切れれば、また同じ場所に戻る」
セルアスは少しの間、卓上の一点を見ていた。
「では、私どもが次に向き合うのは、運用の問題ではなく」
「炉の仕様そのものです」と修司は言った。「召喚制度を止めるだけでは足りない。炉が、なぜ、誰の接続を前提に作られたのか。そこまで降りないと、解放は完成しません」
言いながら、修司は自分でその重さに気づいていた。これは、運用改善の範囲を一歩越える。建前と実態のズレを直す仕事から、仕組みそのものの設計意図へ踏み込む段階に入りつつあった。
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午後、エイラに深層系統の記録を確認してもらった。魂IDや波形の記録を扱う、技術側の担当だ。
エイラは深層接続のログを開き、ノードの一覧を淡々と読み上げていったが、途中で手を止めた。
「修司さん。この、深層接続のノード名なんですが」
「何かありましたか」
「見覚えのある書式です。これ……召喚者台帳の、魂IDと同じ並びです」
修司は端末を覗き込んだ。深層系統が接続先として待っているノード。その識別子の形式が、召喚者一人ひとりに振られた魂IDと、同じ書式で並んでいた。
炉の深層が待っているのは、抽象的な「外部リソース」ではなかった。魂IDで識別される、具体的な「誰か」だった。
修司は、その並びをしばらく見つめた。自分の魂IDのことが、頭の隅で重くなった。帰還先ノード未定義、管理参照は基盤炉深層保守補助、削除可否は不可、標準召喚者分類外――先日見た、自分の照会結果。
あれと、目の前の深層接続が、同じ書式で並んでいる。
まだ、何も繋げて考えてはいけない、と修司は自分に言い聞かせた。書式が同じことと、意味が同じことは違う。端末が見せているのは形だけだ。
それでも、炉がいちばん深いところで「誰か」を待っていて、その「誰か」が魂IDで数えられているという事実は、もう消えなかった。
「記録に残してください」と修司はエイラに言った。「断定はしません。深層接続のノードが、魂ID書式と一致している。その事実だけを、正確に」
窓のない保守区で、炉の低い唸りが続いていた。誰も召喚しなくなった炉が、それでもまだ、誰かを待っている音だった。その「誰か」が魂IDで数えられている以上、これはもう、制度の話ではない。修司は端末を閉じ、深く息を吐いた。次に向き合うのは、炉が誰を待っているのか、という問いだった。




